震災の翌々年に着工した鉄筋コンクリートの住宅
旧山口萬吉邸主屋(きゅうやまぐちまんきちていしゅおく)は、東京都千代田区九段北にある昭和2年(1927年)竣工の鉄筋コンクリート造住宅で、平成30年(2018年)5月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。九段坂を上りきった高台、靖国神社と日本武道館から徒歩数分の位置にある。現在は「kudan house(九段ハウス)」の名で運営されているため、その呼称で目にする機会も多い。
文化庁の国指定文化財等データベースは、員数1棟、鉄筋コンクリート造3階建地下1階、建築面積280平方メートルと記録する。意匠を木子七郎、構造を内藤多仲が担当したこと、壁式構造の量感ある躯体を当時流行のスパニッシュ風意匠で軽快にまとめたことも、同じ解説文に記されている。
着工は大正15年(1926年)1月。竣工は昭和2年10月と、運営者が公開する沿革に記録されている。
施主の山口萬吉は5代目にあたる。明治30年(1897年)生まれ。山口家はもともと刈羽郡小国(現在の長岡市小国町)の豪農で、分家が長岡で小間物商を興し、戊辰戦争下の物資調達で財を成したと伝わる。萬吉は20歳になる前に渡米し、8年ほどを米国で過ごしてから帰国した。
帰国後に出会ったのが、当時早稲田大学の教授だった内藤多仲である。大正12年(1923年)の関東大震災を東京で体験した施主と、耐震構造理論を組み立てていた学者。この組み合わせが、以後の設計をほぼ決定づけた。
「造形の規範」として登録された理由
登録有形文化財には3つの登録基準があり、本件が満たすのは第一の「造形の規範となっているもの」である。登録番号は13-402。評価の軸は構造と意匠の二つに分かれる。
構造を担った内藤多仲(1886年〜1970年)が選んだのは、柱と梁ではなく壁そのものが建物を支える壁式鉄筋コンクリート造だった。壁厚は8寸、約24センチに及ぶ。運営者は、この耐震性能が現行の新耐震基準を大きく上回っており、平成30年の改修にあたって耐震補強を追加する必要はまったくなかったと説明している。
内藤はのちに東京タワーや2代目通天閣の構造設計を手がけ、「耐震構造の父」と呼ばれた人物である。文化庁の解説文は、壁式構造の内藤自邸(大正15年)もまた木子との共同設計であったと付記している。同じ手法を、施主の家と設計者自身の家でほぼ同時期に試していたことになる。
意匠を担当した木子七郎(1884年〜1955年)は、宮廷建築家の家系である木子家の四男。大林組を経て独立し、松山の萬翠荘(大正11年/現在は重要文化財)や愛媛県庁舎本館(昭和4年)を残した。ここで用いたのは、大正末から昭和初期の日本で流行したスパニッシュ様式である。半円アーチ、スタッコ塗りの壁面、丸みのあるスペイン瓦。重い躯体の輪郭を、表面の質感でやわらげている。
設計者の記録には食い違いがある点を書き添えておきたい。文化庁のデータベースが挙げるのは木子と内藤の二人だが、運営者が公開する沿革では、意匠に今井兼次(1895年〜1987年、ガウディを日本に初めて紹介した建築家)が加わり、木子が長期の海外出張中は吉田鉄郎が現場を代行したとされる。書籍やウェブ記事では「3人の建築家による共同設計」と紹介されることが多い。一次資料である文化庁の記載はより限定的である。
壁式構造には代償もある。24センチの壁は撤去できないため、内部は細かく仕切られ、まとまった広さの空間は3階と地下にしか取れない。設計はこの制約を逆手に取り、接客のための部屋、家族の部屋、女中部屋、物置や機械室を地下1階地上3階の4層に振り分けて、部屋ごとに性格を与えた。和室も違和感なく組み込まれている。
残ったもの、そして見学の実際
注目したいのは半屋外の空間の多さである。1階には庭に向かって開くスクリーンポーチ、2階にはベランダ、3階には屋上。庭を窓越しに眺めるのではなく、建物の内側に立体的に引き込む構成になっている。
3階の広間はもともとダンスホールとして設計された板張りの部屋で、中央の間仕切りを開くと大きく使える。地下にはアーチ状の柱が並ぶホワイエがあり、展示やトークセッションの会場として使われている。かつての金庫室は、床と壁だけの茶室に改装された。
家具・建具装飾を手がけたのは梶田恵(1890年〜1948年)。鳩山一郎邸や明治生命館の家具も手がけた工芸家で、運営者によれば、その製作費は建物本体の建設費とほぼ同額に達したという。ただし当時の家具の多くは現存しない。昭和20年(1945年)、空襲を避けるため長岡へ疎開させる途中、鉄道貨物車ごと焼失した。一方で、竣工当時の石炭ボイラー設備や照明器具、建具の一部は現在も建物内に残されている。
建物そのものは3月10日の東京大空襲を耐えた。鉄筋コンクリート造であったことが大きい。終戦後はGHQに接収されて将校の居宅となり、返還後も外国政府の関係機関やフルブライト委員会への賃貸が20年近く続いた。山口家の一家が再び住まいとして使うようになるのは昭和38年(1963年)である。
平成30年、東京急行電鉄・竹中工務店・東邦レオの3社が所有者から共同でマスターリースを受けた。改修設計は竹中工務店、延床面積は839平方メートル。運営は東邦レオグループの株式会社NI-WAが担い、会員制のビジネスイノベーション拠点「kudan house」となった。この保存活用は2020年の日本建築学会作品選集新人賞、2024年の第33回BELCA賞ロングライフ部門を受けている。
訪問を考える場合、前提を一つ押さえておきたい。kudan houseは法人会員向けの会員制ビジネスサロンで、一棟貸しが基本であり、予約なしで見学できる施設ではない。現実的な入館経路は展覧会である。「CURATION⇄FAIR Tokyo」をはじめ、事前予約制で一般公開されるアートや建築の催しが繰り返し開かれてきた。館内の撮影は運営者との個別調整になる。街路に面した門と塀は同じ日に別件で登録されており、こちらは通りからいつでも眺められる。最寄りは東京メトロ九段下駅1番出口で、徒歩約5分(約400メートル)。周辺に駐車場が少ないため、運営者は車での来訪を控えるよう案内している。
Q&A
- 旧山口萬吉邸主屋は見学できますか。一般公開されていますか。
- 通常は見学できません。建物は法人会員制のビジネスサロン「kudan house」として一棟貸しで運営されており、予約なしの入館はできません。一般が入れるのは、事前予約制で開催される展覧会やプログラムの期間に限られます。訪問前に運営者のニュースページで開催情報を確認してください。
- 旧山口萬吉邸主屋はどこにあり、どう行けばよいですか。
- 東京都千代田区九段北一丁目、九段坂を上った高台、靖国神社のすぐ近くにあります。東京メトロ九段下駅1番出口から約400メートル、徒歩5分ほどです。周辺は駐車場が少なく、運営者は車での来訪を控えるよう呼びかけています。
- 旧山口萬吉邸主屋を設計したのは誰ですか。
- 文化庁の国指定文化財等データベースは、意匠を木子七郎、構造を内藤多仲としています。運営者が公開する沿革ではこれに今井兼次が加わり、木子の長期海外出張中は吉田鉄郎が現場を代行したとされます。家具・建具装飾は梶田恵の手によるものです。
- 旧山口萬吉邸主屋は国宝や重要文化財ですか。
- いずれでもありません。登録有形文化財(建造物)です。築おおむね50年以上の建物を対象に平成8年(1996年)に始まった制度で、指定文化財より規制が緩やかで、使い続けながら保存することを促す仕組みです。登録は平成30年5月10日、登録番号13-402です。
- 旧山口萬吉邸主屋の耐震性はどの程度ですか。
- 壁式鉄筋コンクリート造で、壁厚は約24センチ(8寸)あります。運営者は、この性能が現行の新耐震基準を大きく上回っており、平成30年の改修で耐震補強を追加する必要はなかったと説明しています。関東大震災の3年後に着工した建物である点が、この設計の背景にあります。
基本情報
| 名称 | 旧山口萬吉邸主屋(きゅうやまぐちまんきちていしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都千代田区九段北一丁目32-4(文化庁データベース記載。運営者は来館者向けに九段北1-15-9と案内) |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号13-402 登録基準:造形の規範となっているもの |
| 指定年 | 平成30年(2018年)5月10日 登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 鉄筋コンクリート造3階建地下1階、建築面積280平方メートル(改修後の延床面積839平方メートル、耐力壁厚約24センチ) |
| 所有者 | 株式会社山口萬吉事務所 |
| 公開状況 | 通常非公開。会員制ビジネスサロン「kudan house」として運営。一般の入館は事前予約制の展覧会・プログラム開催時に限られる。外観は街路から見学可能。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧山口萬吉邸主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012296
- 文化遺産オンライン「旧山口萬吉邸主屋」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/615360
- kudan house 公式サイト「history 山口家と旧山口萬吉邸」
- https://kudan.house/history/
- kudan house 公式サイト「facility 施設概要」
- https://kudan.house/facility/
- 竹中工務店 建築作品「旧山口萬吉邸 kudan house」
- https://www.takenaka.co.jp/majorworks/21800242018.html
- 千代田区文化財サイト「登録有形文化財(建造物)」
- https://www.edo-chiyoda.jp/knainobunkazai/kunainiarushiteibunkazai/1/166.html
最終更新日: 2026.08.22