旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡:日本の鉄道はここから始まった
近代的なオフィスビル群がそびえ立つ汐留と、新たに生まれた街・高輪ゲートウェイシティ。それぞれに残るふたつの遺構が、明治の日本がどのように近代へと舵を切ったのか、その物語を今に伝えています。「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」は、日本の鉄道発祥の地として国の史跡に指定されている貴重な文化遺産です。明治5年(1872年)、新橋停車場から横浜を目指して走り出した日本最初の鉄道は、なんと東京湾の海上に築かれた石造りの堤の上を駆け抜けていきました。伝統と革新の交わるこの場所は、近代日本の幕開けを今に伝える稀有な史跡として、訪れる人々に深い感動を与えてくれます。
ふたつの遺構が語る、鉄道誕生の物語
この史跡は、ふたつの場所から構成されています。ひとつは現在のJR新橋駅近くの汐留にある「旧新橋停車場跡」、もうひとつは約2キロメートル南、新たに開発された高輪ゲートウェイシティ内にある「高輪築堤跡」です。両者は離れた場所にありますが、明治5年10月に新橋・横浜間に開業した、東アジア初となる全長約29キロメートルの同じ鉄道路線の遺構です。
旧新橋停車場跡は1965年(昭和40年)に国の史跡として指定され、1990年代の再開発に伴う発掘調査で当時の駅舎遺構が確認されました。2021年9月、思いがけない発見によって新たに見つかった高輪築堤跡が追加指定され、現在の名称となりました。
日本最初の鉄道、海上をゆく
明治政府は1869年(明治2年)、東京と横浜を結ぶ鉄道の建設を決定しました。しかし高輪一帯には軍事を担う兵部省の軍用地や旧薩摩藩邸があり、これらの権力者たちは鉄道用地としての提供を拒みました。この難題を前に、政治家・大隈重信は思い切った代案を打ち出したと伝えられています。すなわち「鉄道を海上に築こう」という発想でした。
イギリス人技師エドモンド・モレルが鉄道建設の主任技師として技術指導にあたり、現在の田町駅と品川駅の間の海岸線に沿って、約2.7キロメートルにわたる石積みの築堤が築かれました。明治5年9月12日(新暦10月14日、現在の「鉄道の日」)に開業した路線では、人々の驚きの眼差しのなか、海上を蒸気機関車が走り抜けていきました。その情景は三代歌川広重の錦絵にも生き生きと描かれ、後世まで語り継がれることになります。築堤の工事はイギリスの設計思想と日本の石積み技術を融合させたもので、明治期の技術交流を物語る貴重な遺構となっています。
なぜ史跡に指定されたのか
旧新橋停車場跡は、日本初の鉄道の東京側起点として、また近代的な交通機関が日本に上陸した象徴的な「玄関口」として、1965年に史跡指定を受けました。その後の発掘調査により、当時のプラットホームや駅舎の基礎石が地中に保存されていたことが確認され、日本鉄道の出発点を示す貴重な考古学的証拠が得られました。
一方、高輪築堤は永遠に失われたものと考えられていました。明治末期から大正にかけての東京湾埋め立てにより地中に姿を消し、その後百年以上にわたり、当時の写真や錦絵のなかにしか存在しない遺構となっていました。ところが2019年4月、新設された高輪ゲートウェイ駅の西側で進められていた再開発工事のなかで、思いがけず築堤の石垣が姿を現したのです。2020年に港区教育委員会が実施した本格的な発掘調査の結果、橋台部や信号機跡を含む築堤の遺構が、ほぼ完全な形で残されていることが明らかになりました。
文化審議会は、この築堤がイギリスと日本の両方の技術によって造られている点で明治日本の文明開化を象徴し、交通の近代化や土木技術の歴史を知るうえで極めて重要であると評価しました。この答申を受けて、2021年9月17日、高輪築堤跡は既指定の旧新橋停車場跡に追加指定され、史跡の名称も「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」へと改められました。
見どころ
復元された旧新橋停車場の駅舎
明治5年の創建当時と同じ場所に建つ、丁寧に復元された旧新橋停車場の駅舎は、2003年(平成15年)に開業しました。アメリカ人建築家リチャード・ブリジェンスによる原設計を忠実に再現したファサードは、欧米の建築意匠と明治初期の日本で利用できた素材・技術が融合した姿を今に伝えています。正面入口の前には、日本の鉄道距離の起点となった「0哩標識(ゼロマイル標識)」のレプリカや、復元された軌道、プラットホームの一部が設置されています。
鉄道歴史展示室
復元駅舎の内部にある鉄道歴史展示室は入館無料で、日本の鉄道黎明期について学べる魅力的な施設です。1階の常設展示では、ガラス張りの床から明治5年の駅舎基礎石の遺構を直接見下ろすことができます。展示ケースには、改札鋏や工具類、お雇い外国人技師たちが使用した西洋陶磁器、駅弁とともに販売され使い捨てられた素朴な汽車土瓶などが並んでいます。2階は企画展示室となっており、明治期の錦絵、写真、鉄道関連資料を活用した特別展が年に3回ほど開催されています。
高輪築堤・第7橋梁
高輪築堤跡で発見された遺構のなかでも、第7橋梁付近はとくに印象深い場所です。地元住民の要望によって築堤に設けられた小さな開口部で、漁師たちはこの下を漁船で通過することができました。鉄道の建設者たちが地域の生業に配慮した姿勢を伝える、貴重な遺構といえます。優美な弧を描く石垣は、まさに三代広重の錦絵に描かれた、海上を走る蒸気機関車と橋の下を行き交う船の風景そのもの。この区間約80メートル分と、整備予定の公園隣接部約40メートル分が、現地で保存されることが決まっています。
ふたつの時代を伝える石積み
高輪築堤の石垣をよく観察すると、ふたつの異なる積み方が見て取れます。明治5年の開業時に築かれた当初の石垣は、水平に石を積み上げる「布積み」と呼ばれる技法で造られています。明治32年(1899年)に3線へ拡幅された際に追加された部分は、斜め方向に石を積む「谷積み」で、それぞれ87度と75度という鋭い勾配をもっています。ふたつの石積みが並ぶ姿は、明治の近代化が二世代にわたって進展していった軌跡を、そのまま石に刻みつけているのです。
訪問のご案内
復元駅舎と鉄道歴史展示室を含む旧新橋停車場跡は通年で一般公開されており、入館は無料です。JR新橋駅または都営大江戸線・汐留駅からそれぞれ徒歩数分という抜群のアクセスにあり、東京観光のルートに気軽に組み込むことができます。
高輪築堤跡については、2026年3月28日にグランドオープンを迎えた高輪ゲートウェイシティの開発と一体で公開準備が進められています。現地保存される遺構の一般公開は2027年度の予定ですが、それに先立って、複合棟「THE LINKPILLAR 2」1階に「(仮称)築堤ギャラリー」が設けられており、築堤の歴史と土木技術について学ぶことができます。2027年度以降は、保存された第7橋梁付近を実際に見学できるようになるほか、AR(拡張現実)技術を用いた解説展示によって、鉄道開業期のイノベーションを体感できる場として整備される予定です。
周辺の見どころ
旧新橋停車場跡のある汐留・新橋エリアは、ぶらりと散策するのに格好の地域です。徒歩で南東に向かえば、江戸時代の大名屋敷から皇室の離宮を経て今に至る浜離宮恩賜庭園が広がり、潮の満ち引きを取り入れた池や伝統的な茶屋がゆったりとした時間を演出してくれます。反対方向には、これも江戸時代の大名庭園であった旧芝離宮恩賜庭園が徒歩数分の距離にあります。美術愛好家の方には、駅舎跡からほど近いパナソニック汐留美術館がおすすめです。西洋美術やデザインに関する企画展を頻繁に開催しています。
高輪築堤跡を訪ねる方には、2026年3月に開館したばかりの「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」をはじめ、ニュウマン高輪のショッピング施設や多彩な飲食店など、高輪ゲートウェイシティの新しい楽しみが広がっています。さらに徒歩圏内には、忠臣蔵で知られる赤穂義士の墓所がある泉岳寺もあり、江戸時代の忠義と明治の近代化という、ふたつの時代を一日のうちに体感することができます。
Q&A
- 高輪築堤の遺構は、今すぐ見学できますか?
- 2026年現在、現地保存される第7橋梁付近の一般公開は2027年度に予定されています。それに先立って、高輪ゲートウェイシティ内の「THE LINKPILLAR 2」1階にある「(仮称)築堤ギャラリー」で関連展示をご覧いただけます。なお、旧新橋停車場跡と鉄道歴史展示室は通年で開館しています。
- 入館料はかかりますか?
- 旧新橋停車場の鉄道歴史展示室は入館無料です。15名以上の団体でお越しの場合のみ、事前のご連絡をお願いしています。
- 明治時代の駅舎は今も残っていますか?
- いいえ、創建当時の駅舎は1923年の関東大震災とその後の火災によって失われました。現在の建物は2003年に同じ場所に復元されたものです。展示室1階のガラス張りの床からは、地下に保存されている当時の駅舎基礎石をご覧いただけます。
- なぜ陸地ではなく海の上に鉄道を敷いたのですか?
- 高輪一帯には軍事を担当する兵部省の軍用地や旧薩摩藩邸があり、これらの土地を鉄道用地として提供することが認められなかったためです。政治家・大隈重信が海上に鉄道を敷設するよう指示し、イギリス人技師エドモンド・モレルの指導の下で工事が進められたと伝えられています。
- 当時走っていた機関車を見ることはできますか?
- はい。明治5年の鉄道開業時に使用された蒸気機関車「一号機関車」は、国の重要文化財に指定され、東京から約1時間の距離にある埼玉県さいたま市の鉄道博物館に保存されています。新橋・高輪の史跡とあわせて訪ねるのにおすすめです。
基本情報
| 名称 | 旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡(きゅうしんばしていしゃじょうあとおよびたかなわちくていあと) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 当初指定 | 1965年(昭和40年)5月12日(旧新橋停車場跡) |
| 追加指定 | 2021年(令和3年)9月17日(高輪築堤跡を追加・名称変更) |
| 所在地 | 東京都港区東新橋・三田・高輪 |
| 鉄道開業 | 1872年(明治5年)9月12日(新橋〜横浜間) |
| 主任技師 | エドモンド・モレル(イギリス) |
| 築堤の長さ | 海上鉄道敷の総延長 約2.7キロメートル |
| 築堤の幅・高さ | 幅 約17.5メートル(明治5年単線時)→ 約21メートル超(明治32年3線拡幅時)/ 高さ 約3.8メートル |
| 復元駅舎 | 旧新橋停車場(2003年開館) |
| 展示室開館時間 | 10:00〜17:00(入館は16:45まで) |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、年末年始、展示替え期間中 |
| 入館料 | 無料 |
| アクセス | JR新橋駅から徒歩約5分/都営大江戸線「汐留駅」から徒歩約3分 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/171775
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/725
- 文化庁広報誌ぶんかる「高輪築堤跡の史跡指定について」
- https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_003.html
- 港区立郷土歴史館「高輪築堤跡」
- https://www.minato-rekishi.com/muse/tikutei.html
- 東日本鉄道文化財団「旧新橋停車場」
- https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
- JR東日本「『史跡旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡』における高輪築堤跡保存活用計画の策定」
- https://www.jreast.co.jp/takanawachikutei/hozonkatsuyou.html
- 港区観光協会「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」
- https://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/places/757
- TAKANAWA GATEWAY CITY 公式サイト
- https://www.takanawagateway-city.com/
最終更新日: 2026.04.29