草思堂主屋 ― 吉川英治が書き手の住まいに造り替えた養蚕民家
昭和19年(1944年)、作家の吉川英治は東京の中心部を離れ、青梅の山あいにある旧吉野村柚木へ移り住んだ。迎え入れたのは、養蚕のために建てられた大型の民家である。建築は明治中期、おおむね1883年から1897年の間とされ、屋根裏で蚕を飼う暮らしを前提とした造りだった。吉川はこの家を「草思堂」と名づけ、戦後の昭和23年頃、自らの設計で書き手の生活に合うよう手を入れた。
主屋は木造2階建、建築面積はおよそ240平方メートルで、現在は銅板で葺かれている。切妻造の屋根の棟には煙出しが三つ並ぶ。蚕を育てた部屋の熱気と空気を抜くための開口で、明治期の養蚕民家らしい外観を今に残している。現役の農家建築のなかに文学の場が同居している点が、青梅まで足をのばす値打ちになっている。
主屋が登録された理由
文化庁は令和5年(2023年)2月27日、この主屋を登録有形文化財(建造物)に登録した。同じ敷地に建つ三棟とあわせ、「旧吉川英治邸(草思堂)」として一括で扱われている。主屋の登録番号は13-0479、登録基準は「造形の規範となっているもの」である。
評価は二つの層から成る。一つは養蚕民家としての主屋そのものである。三つの煙出しと木組みが、改変や取り壊しの進んだ今では数少ない明治期の養蚕住宅の姿をとどめている。もう一つは吉川自身の手仕事である。古い民家を壊さず、骨格を残したまま、作家に必要な空間を内側につくり直した。
見どころ
ゆっくり眺めたい場所が二つある。土間を入ってすぐの一角に、吉川は和洋折衷の応接室を設けた。編集者や来客が彼を待つための部屋で、設計には特にこだわったという。いまもその趣味の一端がうかがえる。
その奥には、庭に向かって開く十畳二間の続き間がある。吉川はここで執筆し、就寝した。縁側から広がる緑の眺めが、机に向かう時間を形づくった。代表作『新・平家物語』の多くは、この座敷で書かれたと伝わる。第一回菊池寛賞を受けた長編である。障子を開け放った座敷に座れば、原稿が積み上がっていく日々が思い浮かぶ。
Q&A
- 主屋の中に入れますか。
- はい。吉川が「草思堂」と名づけた主屋は、青梅市吉川英治記念館の一部として通常公開されており、続き間の座敷や応接室を見学できます。
- 吉川英治はここで何を書きましたか。
- 昭和19年から28年までこの家に暮らし、庭に面した座敷で『新・平家物語』を執筆したと伝わります。ほかにも複数の作品をこの地で手がけました。
- 建物はいつのものですか。
- 養蚕民家としての建築は明治中期、おおよそ1883年から1897年の間です。吉川が自らの設計で改修したのは昭和23年頃にあたります。
- 記念館への行き方は。
- JR青梅線の二俣尾駅から徒歩約15分です。青梅駅からは吉野行きの都営バスに乗り、「柚木」で降りるとすぐです。
- 敷地の他の建物も登録されていますか。
- はい。洋館、長屋門、土蔵が同じ日に登録されており、同じ来館で見ることができます。
基本情報
| 名称 | 旧吉川英治邸(草思堂)主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都青梅市柚木町一丁目101-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0479 |
| 登録年月日 | 令和5年(2023年)2月27日/登録基準:造形の規範となっているもの |
| 年代 | 明治中期(1883〜1897年頃)/昭和23年頃改修 |
| 構造 | 木造2階建、銅板葺、建築面積約240平方メートル |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 青梅市 |
| アクセス | JR青梅線・二俣尾駅から徒歩約15分。青梅駅から吉野行き都営バス「柚木」下車すぐ |
| 公開状況 | 青梅市吉川英治記念館として公開(月曜休館。開館時間は事前確認を推奨) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧吉川英治邸(草思堂)主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014463
- 青梅市吉川英治記念館 公式サイト
- https://ome-yoshikawaeiji.net/
- 青梅市公式ホームページ 青梅市吉川英治記念館
- https://www.city.ome.tokyo.jp/site/provincial-history-museum/24522.html
最終更新日: 2026.06.25