長屋門 ― 戦時の記憶を抱えた養蚕農家の表構え

草思堂で最初に出迎えるのが、この長屋門である。江戸時代末期、おおよそ1830年から1868年の間に建てられたもので、かつての養蚕農家の表構えを成している。木造2階建の門は現在こそ銅板で葺かれているが、もとは杉皮葺だった。正面の東側には出格子が張り出し、上部のつしには小さな窓が開く。

建築面積は約63平方メートルと、門と呼ぶには大きい。中央の通路の両脇には袖部屋が組み込まれている。長屋門はただの門ではなく、その造りが二度見の値打ちになっている。この門は、ひとつの家のくぐり抜けた難しい年月を背負っている。

長屋門が登録された理由

文化庁は令和5年(2023年)2月27日、この長屋門を登録有形文化財(建造物)に登録した。登録番号は13-0482、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。主屋・洋館・土蔵とともに、「旧吉川英治邸(草思堂)」として一括で登録された。

明治期の農家の入口の姿を、こうした建物が珍しくなった地域にとどめている点が評価された。出格子、つしの窓、横に長く低い構えが、敷地全体の調子を決めている。養蚕農家への入口として、いまも道からその構えが読み取れる。

袖部屋とその歴史

二つの袖部屋には、それぞれ異なる来歴がある。西袖部屋は土間、東袖部屋は板敷である。戦時中、この門は人を受け入れた。袖部屋は都市から疎開してきた人々の住居として使われたのである。戦後、吉川英治はこの空間を自ら用い、近くの主屋で暮らして執筆するかたわら、袖部屋を書庫や物置とした。

敷地の奥へ進む前に、中央の通路でいったん立ち止まりたい。門は庭とその先の建物を縁取り、柱や梁の傷みには、作家の家族と近隣の人々がこの一角に身を寄せ合った戦時の歳月が刻まれている。

Q&A

Q長屋門とは何ですか。
A通路の両脇に部屋を組み込んだ門のことです。出入口であると同時に、農家や屋敷で使える室内空間を兼ねていました。
Q戦中・戦後はどう使われましたか。
A戦時中は袖部屋が都市からの疎開者の住居となりました。戦後は吉川英治が書庫や物置として使いました。
Q門はいつのものですか。
A江戸時代末期、おおよそ1830年から1868年の間の建築で、昭和58年頃に改修されました。現在の銅板葺はもとの杉皮葺を替えたものです。
Q門をくぐれますか。
A長屋門は青梅市吉川英治記念館の入口に建ち、来館者は入館時にここを通ります。袖部屋の内部公開は限られる場合があるため、最新の案内をご確認ください。
Q行き方を教えてください。
AJR青梅線・二俣尾駅から徒歩約15分です。青梅駅からは吉野行き都営バスで「柚木」下車、徒歩すぐです。

基本情報

名称旧吉川英治邸(草思堂)長屋門
所在地東京都青梅市柚木町一丁目101-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0482
登録年月日令和5年(2023年)2月27日/登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
年代江戸時代末期(1830〜1868年頃)/昭和58年頃改修
構造木造2階建、銅板葺、建築面積約63平方メートル
員数1棟
所有者青梅市
アクセスJR青梅線・二俣尾駅から徒歩約15分。青梅駅から吉野行き都営バス「柚木」下車すぐ
公開状況青梅市吉川英治記念館の入口に所在(月曜休館。内部公開の可否は事前確認を推奨)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)旧吉川英治邸(草思堂)長屋門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014466
青梅市吉川英治記念館 公式サイト
https://ome-yoshikawaeiji.net/
青梅市公式ホームページ 青梅市吉川英治記念館
https://www.city.ome.tokyo.jp/site/provincial-history-museum/24522.html

最終更新日: 2026.06.25