市田家住宅主屋 ― 日本橋の布問屋が上野桜木に構えた隠宅

文化庁のデータベースは、この建物の性格を「日本橋布問屋の隠宅として建設」という一文で説明している。隠宅、つまり家督を次代に譲った当主が移り住むための家である。建てたのは初代市田善兵衛。明治40年(1907年)、日本橋で布問屋を営んでいた彼は、上野桜木の一角に自分の住まいを構えた。東京美術学校(現在の東京藝術大学)の正門からは、歩いて数分の距離にあたる。

構造は木造2階建、瓦葺。建築面積は111平方メートル。屋根は寄棟造で桟瓦を葺き、外壁は押縁下見板張とする。員数は1棟。データベースの記載としてはそれだけだが、この一行が百年以上住み継がれてきた家のすべてを引き受けている。

間取りは丁寧に読むだけの価値がある。6畳と8畳の座敷を東西に並べ、西面と南面に縁を廻す。庭に向かって二方向が開くつくりである。東側には南北に玄関・茶の間・台所を配した。もてなしの場と、日々の暮らしを回す場が、はっきり分けられている。

2階は後から加わった。大正初期、1912年から1925年のあいだに、座敷の上部へ増築されている。

登録有形文化財という選択

日本の建造物を守る制度には、性格の異なる二つの仕組みがある。国宝・重要文化財の「指定」は強い保護をかける代わりに、現状変更に許可を要する厳格な制度で、対象は限られる。もう一方の登録有形文化財の「登録」は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた、より軽やかな仕組みである。届出を基本とし、所有者の負担を抑えたうえで、建物が使われ続けることを前提とする。私有され、いまも人が住み、価値はあるが凍結してしまっては意味がない。市田家住宅は、この制度がまさしく想定した種類の建物である。

主屋の登録年月日は平成17年12月26日、告示は翌27日。登録番号は13-0191、第48回の登録である。適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」。三つある基準のうちの第一号だった。

文化庁が挙げる理由は、かなり具体的だ。この主屋は、当時の住宅間取実例図集に掲載された和風住宅の一事例である、というのである。明治後期、施主と建築者のあいだで参照されたこの種の図集に載ったということは、建てられた時点でひとつの手本と見なされていたことを意味する。現存する明治の住宅の多くは、稀少であるがゆえに価値を持つ。この家はむしろ、かつて標準的と見なされたことによって価値を持っている。

いま、どう見るか

まず屋根を見たい。四方に流れる寄棟造は、切妻に比べて手間も費用もかかる。111平方メートルという控えめな規模の家に、その屋根が架かっている事実には意味がある。その下、押縁で押さえた下見板張の壁は、細かな横縞を刻む。光の当たる角度によって、表情がまるで変わる。

次に、増築の継ぎ目を探してみるとよい。2階は竣工から十年以上あとに、座敷の上だけに載せられた。全体を持ち上げたのではない。だから輪郭は、伸びるのではなく段をつくる。

そして、これが訪ねる人にとって最も大切なことだが、この家は博物館ではない。平成13年(2001年)、地域の住民と東京藝術大学に関わる有志が集まってNPO法人たいとう歴史都市研究会を立ち上げ、市田家と定期借家契約を結んだ。以来、若い世代がシェア居住しながら日常の維持管理を担っている。1階の座敷は、お茶会、餅つき、落語や民謡の会、展示やコンサートの場として使われてきた。

この使われ方は、家がすでに身につけていた習性の続きでもある。戦後、市田家の長女・春子さんのもとには、道を挟んだ東京藝術大学、なかでも音楽学部声楽科の学生たちが下宿し、30名ほどがこの座敷から巣立っていったという。

定時の公開はない。内部を見るには催しの機会をとらえるほかなく、予定はたいとう歴史都市研究会のウェブサイトに掲載される。ただし表門とその袖塀は道路から見える。上野桜木は江戸期に寛永寺の子院が建ち並んだ土地で、明治中頃から分譲が始まり、芸術家や文化人が住まいを構える屋敷町へと変わっていった。その来歴は、歩けばまだ読み取れる。

Q&A

Q内部を見学できますか。
A随時の見学はできません。市田家が所有し、NPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受けて管理する建物で、実際に人が住んでいます。1階座敷が公開されるのは、コンサート・お茶会・展示などの催しの際に限られます。訪問前に同会のウェブサイトで開催予定をご確認ください。
Q登録有形文化財と重要文化財はどう違うのですか。
A登録は平成8年に設けられた比較的緩やかな制度で、使われ続けている建物を想定しています。大きな改変の前に届出を行い、税制上の優遇や技術的な助言を受けられます。重要文化財の指定は許可制で、対象となる件数もはるかに少なくなります。
Q初代市田善兵衛とはどのような人物ですか。
A日本橋で布問屋を営んだ商人で、明治40年に隠宅としてこの家を建てました。敷地は現在も市田家が所有し、NPO法人へ賃貸されています。
Q隠宅なのに2階があるのはなぜですか。
A2階は当初からのものではなく、大正初期(1912〜1925年)に座敷の上部へ増築されました。明治40年の当初部分と後の増築部分は、いずれも平成17年の登録の対象に含まれています。
Q同じ敷地に他の文化財はありますか。
Aあります。市田家住宅蔵(13-0192)、表門(13-0193)、裏門(13-0194)が、主屋と同じ日に登録されています。4棟でひとつの屋敷構えを成しています。

基本データ

名称市田家住宅主屋(いちだけじゅうたくしゅおく)
所在地東京都台東区上野桜木一丁目26
種別登録有形文化財(建造物)/住宅・建築物
登録番号13-0191(第48回登録)
登録年月日平成17年12月26日(告示 平成17年12月27日)
登録基準造形の規範となっているもの
員数1棟
年代明治40年(1907年)/大正初期(1912〜1925年)に増築
構造及び形式木造2階建、瓦葺、建築面積111平方メートル。寄棟造、桟瓦葺、外壁押縁下見板張
間取り6畳・8畳の座敷を東西に並べ、西・南面に縁を廻す。東側南北に玄関・茶の間・台所
所有市田家(個人)/NPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受けて管理
公開状況常時公開なし。1階座敷は催事開催時のみ

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)市田家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005108
文化遺産オンライン 市田家住宅主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140878
たいとう歴史都市研究会 市田邸
https://taireki.com/ichidatei/
たいとう歴史都市研究会 市田邸について
https://taireki.com/ichidatei2/

最終更新日: 2026.07.15