市田家住宅裏門 ― 勝手口の門に、照明が吊ってある

どの家にも、人に見せる前提でない側がある。明治40年(1907年)、日本橋の布問屋・初代市田善兵衛が上野桜木に構えた屋敷にも、それはある。台所のある北側だ。荷が届き、ごみが出ていく面である。そこに開く門が、この裏門にあたる。間口1.5メートル、屋根は瓦ではなく鉄板葺。屋敷地北辺の東寄りに位置し、主屋東北方の台所勝手口に対応している。

簡素であって当然の門である。ところが、そうなっていない。

形式は腕木門。柱から腕木を持ち出して切妻の屋根を受ける。戸は引き違いの板戸で、開き戸ではない。荷物を抱えたまま使う開口には、こちらが理にかなう。そして鴨居と棟木のあいだ、その中央に、照明器具が吊られている。

裏へ回るだけの理由が、二つある

ひとつはその照明、というより、そこに照明を吊ると誰かが考えたという事実である。勝手口の門に灯りを設けるのは、この門が何時に使われるかを見越した判断だ。夜が明ける前に入ってくる者、日が落ちてから訪れる出入りの商人、夜に台所から出ていく家人。日が沈んだあとの屋敷の裏側がどう見えるかを、誰かが考えていた。

もうひとつは腕木にある。屋根を受けるこの部材に、刳形が付けてある。まっすぐな角材のままで何の支障もない場所に、わざわざ曲線の輪郭を刻んである。文化庁の解説文は「気を遣ったつくり」と評しており、その根拠がこの刳形だろう。裏門である。それでも刳形が入った。

同じ敷地の南に建ち、同じ日に登録された表門と比べてみたい。あちらは間口2.0メートル、屋根は桟瓦葺、上部黒漆喰塗・腰縦板張・板葺の袖塀を従える。裏門にはそのいずれもない。幅は狭く、屋根は金属で、袖塀もなく単独で建つ。共通しているのは、腕木門という形式と、部材への気の配りようと、境界とは閉ざすものではなく整えるものだという前提である。

解説文は最後をこう結ぶ。屋敷背面の景観を整えている、と。論旨はその一節に尽きている。

登録の内容と、いま見に行くには

裏門の登録年月日は平成17年12月26日、告示は翌27日。登録番号13-0194、第48回の登録である。種別は建築物ではなく「その他工作物」。適用基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、表門と同じである。主屋と蔵はこれとは別の基準、「造形の規範となっているもの」で登録されている。

登録有形文化財は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正によって設けられた、指定より緩やかな保護の枠組みである。現状変更は届出制で、私有され、なお使われている建物を対象とする。市田家住宅の4棟はその両方にあてはまる。所有は市田家のまま。平成13年(2001年)以降、地域住民と東京藝術大学に関わる有志が設立したNPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受け、会員が主屋にシェア居住しながら建物の維持にあたっている。

裏門は敷地北側の路地に面して建つ。外から見ることはできるが、敷地の内側は見えない。内部が開かれるのは同会の催しの日に限られる。藝大の正門から谷中の方へ抜ける裏道を歩けば、この門のすぐそばを通る。わざわざ回り込む価値があるとすれば、それは、人が家の裏側など見ようと思わないからだ。この門はまさしく、その思い込みを裏切るために建てられている。

Q&A

Q裏門が登録された理由は何ですか。
A国土の歴史的景観に寄与していることです。解説文は腕木の刳形などを挙げて「気を遣ったつくり」と評し、この門が屋敷背面の景観を整えていると記します。単独の造形としてではなく、通りにおける役割が評価されました。
Q屋根が瓦でなく鉄板なのはなぜですか。
Aデータベースは現状の葺材を鉄板葺と記録しています(表門は桟瓦葺)。当初からの材であったかどうかまでは記載がないため、勝手口という格式の差によるものか、後年の葺き替えによるものかは断定できません。
Q刳形とは何ですか。
A木部材の輪郭を曲線状や段状に削り出す加工のことです。この門では屋根を受ける腕木に施されており、大工が裏の入口をも設計の対象と見なしていたことを最もよく示す部分といえます。
Q場所はどこですか。
A台東区上野桜木一丁目26の敷地、その北辺の東寄りです。主屋東北方の台所勝手口に対応します。表門は南面の道路に向いています。
Qこの門から入れますか。
A入れません。私有の住宅で、門は現役で使われています。外観は路地から眺められます。主屋1階の座敷が公開されるのは、管理にあたるNPO法人が催しを開く日に限られます。

基本データ

名称市田家住宅裏門(いちだけじゅうたくうらもん)
所在地東京都台東区上野桜木一丁目26
種別登録有形文化財(建造物)/住宅・その他工作物
登録番号13-0194(第48回登録)
登録年月日平成17年12月26日(告示 平成17年12月27日)
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
年代明治40年頃(1907年頃)
構造及び形式木造、鉄板葺、間口1.5メートル
詳細切妻造、鉄板葺の腕木門。引き違いの板戸を建て込む。鴨居棟木間中央に照明器具を吊る。腕木に刳形を付ける
位置屋敷地北辺の東寄り。主屋東北方の台所勝手口に対応
所有市田家(個人)/NPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受けて管理
公開状況外観は北側路地から見学可能。門からの通行はできない

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)市田家住宅裏門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005111
国指定文化財等データベース(文化庁)市田家住宅表門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005110
たいとう歴史都市研究会 市田邸
https://taireki.com/ichidatei/
たいとう歴史都市研究会 市田邸について
https://taireki.com/ichidatei2/

最終更新日: 2026.07.15