昭和7年、郊外に建った小さな洋風住宅

池上家住宅主屋は、東京都世田谷区桜一丁目651にある昭和7年(1932年)建築の木造2階建住宅で、平成18年(2006年)11月29日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。現に居住されている個人の住宅であり、一般公開はされていない。

名称にある「主屋」は、屋敷地のなかで人が住まう中心の建物を指す語で、蔵や門、離れと区別するために使われる。登録の対象はこの1棟のみ。建築面積は148平方メートルで、木造2階建、瓦葺である。戦前期の住宅としてはむしろ小さい。そして、その小ささこそが登録の理由に直結している。

世田谷の西部一帯に家が建ち並ぶのは、大正12年(1923年)の関東大震災の後である。下町で家を失った世帯が郊外電車の沿線へ移り、旧来の集落のあいだに広がっていた畑地が、昭和初期にかけて次々と宅地に割られていった。そこに建ったのは邸宅ではない。多くは俸給生活者のための中規模の住宅で、地元の大工の手により、雑誌や百貨店が流行らせた洋風の意匠を部分的に取り入れて造られた。同じ時期の住宅で、内部まで当初の姿を保っている例はきわめて少ない。

「登録」と「指定」は別の制度である

この住宅を理解するうえで、まず制度の区別を押さえておきたい。国宝・重要文化財は「指定」される文化財で、許可制のもとに厳選され、手厚い保護と補助を受ける。一方の登録有形文化財は「登録」される文化財である。平成8年(1996年)10月1日施行の文化財保護法改正で導入された制度で、届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護措置をとる。近代の建造物が社会的な評価を受ける前に取り壊されていく状況に、指定制度だけでは追いつかなかったために設けられた仕組みだ。池上家住宅主屋は登録有形文化財であって、重要文化財ではない。

文化庁が挙げた登録基準は「造形の規範となっているもの」の一点である。同庁の解説文が、その判断の根拠を具体的に記している。建物は敷地の北寄りに東西棟として建つ。2階の屋根は切妻造で、スペイン瓦を葺く。半円筒形のこの瓦は大正末から昭和初期にかけて日本の建築に広く用いられたもので、別荘にも集合住宅にも店舗にも使われた。2階南面にはサンルームが張り出し、冬の低い日射しを室内に導く。外壁はリシン吹付。細かい骨材を吹き付けた、艶のないざらついた仕上げである。西面に突き出した玄関ポーチなどには埼玉県秩父地方産の石材が張られる。そして内部は、アール・デコの意匠を良好な状態で保っている。

最後の一点が、この住宅を特別にしている。同時期の外観であれば、東京にもまだ点々と残る。内部が残る例はほとんどない。改修の際に真っ先に失われるのが内装だからである。文化庁は全体を「昭和初期の小規模洋風住宅の佳品」と評した。登録番号は13-0210、第53回の登録にあたる。

訪れる人へ。見られるもの、見られないもの

先に率直な結論を書く。中には入れない。池上家住宅主屋は現役の個人住宅であり、公開設備も開館時間も見学の受付もない。登録有形文化財の制度は所有者に公開を義務づけていないし、この物件についても公開の予定は示されていない。現地を訪ねるのであれば公道から眺めるにとどめ、門の前に立ち止まらず、住まいの内側に踏み込むような撮影は避けたい。桜一丁目は細い生活道路が格子状に走る静かな住宅地で、カメラを提げた人影はよく目立つ。

それでも足を運ぶ価値があるとすれば、周辺の文脈のほうにある。最寄り駅は東急世田谷線の上町駅で、徒歩10分ほど。三軒茶屋と下高井戸を結ぶこの2両編成の路面電車型の路線は、数百メートルおきに踏切があり、車窓から住宅の裏庭が続けて見える。乗ること自体が目的になる種類の鉄道である。桜から世田谷にかけての街路には戦前の宅地割の痕跡が残っており、リシン吹付の壁とスペイン瓦の切妻がどういうものか一度知ってしまうと、道すがら同じ語彙の断片があちこちの家に見つかるようになる。

同じ上町駅から徒歩5分ほどのところに、こちらは中に入れる建物がある。大場家住宅、通称・世田谷代官屋敷である。彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の私邸兼役宅で、主屋と表門の2棟が昭和53年(1978年)1月21日に重要文化財に指定された。住宅建造物としては都内で最初の指定である。同じ敷地に世田谷区立郷土資料館が建ち、入館は無料。池上家住宅主屋を外から眺めるだけで終わらせたくない人にとって、実際の行き先はここになる。座敷の公開時期は年によって変わるため、訪問前に区の案内を確認してほしい。

Q&A

Q池上家住宅主屋は見学できますか。公開日や拝観料はありますか。
A見学できません。現に人が住んでいる個人住宅で、公開日・開館時間・入場料の設定はなく、見学の受付も行われていません。登録有形文化財は所有者に公開を義務づける制度ではありません。公道からの遠望にとどめ、私生活への配慮をお願いします。
Q池上家住宅主屋はどこにありますか。最寄り駅は?
A東京都世田谷区桜一丁目651です。最寄り駅は東急世田谷線の上町駅で、徒歩約10分。東急田園都市線の桜新町駅は南へ約1.5キロメートル離れています。
Q池上家住宅主屋は重要文化財ですか。登録有形文化財との違いは?
A重要文化財ではなく、登録有形文化財(建造物)です。登録有形文化財は平成8年(1996年)に導入された制度で、届出制と指導・助言による緩やかな保護を行います。重要文化財・国宝は許可制のもとで厳選される指定文化財で、両者は別の枠組みです。
Q池上家住宅主屋の建築的な特徴は何ですか。
A2階屋根を切妻造としてスペイン瓦を葺き、2階南面にサンルームを張り出します。外壁はリシン吹付、西面の玄関ポーチなどには秩父産の石材を張ります。内部にはアール・デコの意匠が良好に残ります。建築面積は148平方メートル、木造2階建です。
Q池上家住宅主屋の周辺で見学できる文化財はありますか。
A東急世田谷線上町駅から徒歩5分ほどの大場家住宅(世田谷代官屋敷)があります。主屋と表門が昭和53年(1978年)に重要文化財に指定され、同じ敷地の世田谷区立郷土資料館は入館無料です。座敷の公開時期は年により異なります。

基本情報

名称池上家住宅主屋(いけがみけじゅうたくしゅおく)
所在地東京都世田谷区桜一丁目651
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号13-0210 第53回登録
指定年平成18年(2006年)11月29日 登録
員数1棟
寸法建築面積148平方メートル/木造2階建、瓦葺/昭和7年(1932年)建築
所有者個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。現役の個人住宅のため内部見学不可。外観は公道からの遠望のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「池上家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005929
文化遺産オンライン「池上家住宅主屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/118804
文化庁「登録有形文化財(建造物)」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
世田谷区「区内にある文化財の紹介」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02059/3397.html
世田谷区立郷土資料館「世田谷代官屋敷(大場家住宅)」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02423/9013.html
世田谷区「世田谷代官屋敷の座敷を公開しています」
https://www.city.setagaya.lg.jp/02059/3563.html

最終更新日: 2026.08.22