東京タワーの足元に建つ本堂

東京都港区東麻布。赤い鉄骨が空へ伸びる東京タワーのすぐ西側に、木造平屋の小さな本堂が建っている。浄土宗の寺院、心光院の本堂である。昭和三十年(一九五五)の落成で、平成二十九年(二〇一七)に国の登録有形文化財となった。

建築面積はおよそ一〇七平方メートル。入母屋造に桟瓦を葺いた屋根を載せた、けっして大きくはない建物である。それでもこの本堂に厚みを感じるのは、六百年を超える寺の来歴と、背後にそびえる鉄塔という二つの時間が、ここで隣り合っているからだ。

増上寺の学寮から将軍菩提の別院へ

心光院のはじまりは学びの場であった。明徳四年(一三九三)、酉誉聖聰上人が貝塚(現在の千代田区麹町付近)に増上寺を開いたとき、その山内に結ばれた学寮が前身と伝わる。寺の歩みは本山の歩みに重なる。慶長三年(一五九八)に増上寺が徳川家の菩提寺として芝へ移ると、心光院もこれに随った。

元禄八年(一六九五)、寺は特別な役割を担う。二代将軍徳川秀忠(台徳院殿)の菩提のため、増上寺の別院・念仏道場と定められたのである。その後、宝暦十一年(一七六一)には将軍家の廟所造営にともない、赤羽橋付近へと移った。これらの堂宇の多くを失わせたのが戦災である。昭和二十年(一九四五)の空襲で堂舎は焼け、本尊の頭部と表門だけが火をまぬがれた。

そして都市そのものが土地を組み替えた。昭和二十五年(一九五〇)の区画整理により、心光院は現在の東麻布の地へ移る。江戸期からの表門も曳かれ、移築された。いま建つ本堂は、その五年後、昭和三十年に落成したものである。

昭和の建物が守られる理由

日本の建造物の保護には二つの仕組みがある。古く希少な建物は重要文化財や国宝に「指定」される。これとは別に、平成八年(一九九六)に設けられたのが「登録有形文化財」という、比較的新しい建物も含めて地域の景観をかたちづくる建造物を守るための、より緩やかな枠組みである。心光院本堂は後者にあたる。登録の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」と記録されている。

その造作が選定の理由を説明している。柱はヒノキを用い、内陣と須弥壇の後方という最も神聖な区画にだけ円柱を立て、ほかは角柱とした。虹梁や蟇股といった寺院建築の語彙を備えながら、本堂は自らの年代を偽らない。住宅にも見られる透かしの欄間や、西面にはめ込まれた格子のガラス窓が、ここが二十世紀半ばの建物であることを率直に示している。伝統的な手法と近代の意匠、二つの言葉を同時に話す本堂なのである。

見どころ

桜田通りからの坂道を上って近づくと、まず目に入るのは色である。寺の朱塗りの表門が、その背後にそびえる東京タワーの赤い鉄骨と向き合う。江戸の大工が塗った朱と、昭和の技師が選んだ赤との出会いだ。古い門と鉄塔が一枚に収まるこの構図を求めて、訪れる人がカメラを構える。歴史ある建物が、近代の都市の只中で位置を保つ。登録が評価しているのは、この光景そのものである。

本堂前の小さな石庭に立つと、街区の喧噪が遠ざかる。扉が開かれているとき、堂内では金色の阿弥陀如来が薄明かりのなかに座し、背後からの光に照らされて浮かび上がる。近代のガラスがもたらす、静かに劇的な効果である。軒先では大工仕事に目を留めたい。火灯窓の輪郭、彫られた蟇股、飴色に枯れたヒノキの地肌。

境内には小さな見どころが点在する。一隅の堂には於竹大日如来が祀られる。江戸の奉公人お竹は、自らの食事を貧しい人に施し、台所の流しの網にかかった飯粒で過ごしたと伝わる。その慎ましい信心に心を動かされた五代将軍の生母桂昌院から、品々が寄せられたという。この規模の寺に物語が積み重なっていることが、参拝の楽しみの一つになっている。

アクセスと周辺

本堂へは、都営大江戸線の赤羽橋駅から徒歩でおよそ五分。東京メトロ日比谷線の神谷町駅、都営三田線の御成門駅・芝公園駅からはそれぞれ十分ほどである。隣には瑠璃光寺が建ち、その近代的な本堂が心光院の木造と対照をなす。東京タワーは文字どおり目と鼻の先にあり、心光院が生まれた本山・増上寺へも、芝公園の方へ歩けばほどよい距離である。

Q&A

Q本堂の内部は拝観できますか。
A心光院は活動中の寺院で、境内は参拝のため通常開かれています。本堂内部は常時公開されているわけではなく、東京文化財ウィークなどの特別公開で内部が見られたことがあります。堂内の拝観を希望する場合は、事前に寺へ問い合わせ、日中の時間帯に礼をもって訪ねるのがよいでしょう。
Qなぜ昭和の建物が文化財なのですか。
A本堂は「登録有形文化財」です。これは最古の記念物に限らず、地域の歴史的な性格をかたちづくる建造物を対象とする区分です。伝統的な寺院の造作に二十世紀半ばの意匠を併せ持ち、東京タワーと並び立つその立地が、独特の都市景観の一部となっています。
Q東京タワーとの関係は。
A東京タワーの建つ土地は、かつて広大な増上寺の境内の一部でした。心光院が昭和二十五年にこの地へ移り、同三十年に本堂を再建したのち、昭和三十三年に隣でタワーが立ち上がり、木造の門と赤い鉄骨が重なる現在の景観が生まれました。
Q表門も文化財ですか。
Aはい。江戸期の表門は昭和二十年の空襲をまぬがれ、現在地へ移築されました。本堂とともに登録有形文化財となっています。
Q何宗の寺院ですか。
A阿弥陀如来への信仰を中心とする浄土宗の寺院です。心光院は増上寺の学寮を前身とし、いまもその別院として続いています。増上寺は東国における浄土宗の大本山の一つです。

基本情報

名称心光院本堂(しんこういんほんどう)
所在地東京都港区東麻布一丁目1-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/平成二十九年(二〇一七)五月二日登録、登録番号13-0374
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
年代昭和三十年(一九五五)落成/昭和二十五年に現在地へ移転
員数一棟
構造及び形式木造平屋建、入母屋造桟瓦葺、建築面積約一〇七平方メートル
所有者宗教法人心光院
宗派浄土宗(増上寺別院)
アクセス都営大江戸線・赤羽橋駅から徒歩約五分/東京メトロ日比谷線・神谷町駅、都営三田線・御成門駅から各徒歩約十分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「心光院本堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011480
心光院 公式サイト
https://shinkoin.com/
新纂浄土宗大辞典「心光院」
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BF%83%E5%85%89%E9%99%A2
大本山 増上寺 公式サイト(由来・歴史)
https://www.zojoji.or.jp/info/

最終更新日: 2026.06.21