失われた霊廟の入口だけが残った

旧台徳院霊廟惣門(きゅうだいとくいんれいびょうそうもん)は、東京都港区芝公園四丁目にある寛永9年(1632年)造営の門で、昭和5年(1930年)5月23日に指定を受け、現在は国の重要文化財である。台徳院は江戸幕府二代将軍・徳川秀忠(1579〜1632)の戒名。秀忠が没したその年に、三代将軍家光が増上寺境内の南側に霊廟を造営した。惣門はその一番外側、参詣者が最初にくぐる門として建てられた。

形式は三間一戸八脚門。中央に一つだけ開口を設け、主柱の前後に四本ずつ控柱を立てる構えである。屋根は入母屋造で銅瓦葺、長い年月を経て銅は鈍い青緑色に変わっている。軒の裾には前後とも唐破風が付く。波打つ曲線を描くこの破風は、格式ある入口に限って用いられた意匠だった。

日比谷通りから近づくと、細部より先に寸法が目に入る。門の大きさは、その奥に何が控えているかを来訪者に告げるために決められたものだった。

奥にあったものは、もう無い。

指定、戦災、そして四つの門

昭和5年(1930年)、台徳院霊廟の建造物15件が国の保護下に置かれた。徳川将軍家の霊廟のなかでも装飾の密度が高く、日光東照宮の原型となったと評されることが多い建築群である。本殿・相の間・拝殿が一体となった権現造で、周囲を透塀が巡り、近くには五重塔も建っていた。

昭和20年(1945年)5月25日夜、東京への空襲は芝一帯に及んだ。霊廟はほぼ全焼している。焼け残ったのは惣門、勅額門、丁子門、御成門、そして奥院玉垣の五件だった。昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行されると、これらは重要文化財に位置づけ直され、その区分が現在まで続いている。昭和35年(1960年)、四つの門のうち三つが解体され、埼玉県所沢市の狭山不動尊へ移築された。芝に残ったのは惣門だけである。

ただし、まったく動かなかったわけではない。周辺の再開発に伴い、昭和34年(1959年)に当初の位置から東へ45メートルほど移されたと伝わる。この土地に属する門という印象を失わない程度の距離であり、同時に、かつてこの門が起点となっていた参道の軸線はすでに失われている。

門の奥に何があったかを知りたければ、北へ徒歩5分の増上寺へ向かうとよい。大殿地下1階の宝物展示室に、霊廟の10分の1模型が常設展示されている。明治43年(1910年)のロンドン日英博覧会に東京市が出品したもので、彫刻を高村光雲、建築を古宇田実らが監修した。閉会後に英国王室へ贈られてロイヤル・コレクションに入り、平成26年(2014年)4月に長期貸与として日本へ戻り、修復を経て平成27年(2015年)4月から公開されている。全体で4メートル×6メートル。焼失前の霊廟を写した写真はモノクロしか残っていないため、彩色を確かめられるのはこの模型だけである。

現地で見るべきもの

門の内側、通路の左右に仁王像が二躯立つ。方形の台座に載せた岩坐の上に据えられ、港区指定有形文化財となっている。寄木造で、砥粉地に彩色を施したものだ。平成16年から17年(2004〜2005年)の修理の際、像内から銘札が見つかった。もとは現在の埼玉県川口市西立野にあった真言宗・西福寺の仁王門に安置されていたこと、寛政元年(1789年)と弘化3年(1847年)の二度修理されたこと、安政2年(1855年)の暴風で破損したまま同寺観音堂の片隅に置かれていたこと、昭和23年(1948年)の三度目の修理の後に浅草寺へ移されたことが記されていた。その後この門に納まるまでの経緯は、同じ精度では記録されていない。

惣門は屋外の公共空間に建っている。日比谷通りに面し、ザ・プリンス パークタワー東京の東側入口にあたり、右の側道が車用、左の側道が歩行者用となっている。門番も入場券も閉門時間もなく、路上からの撮影に制限もない。真後ろに東京タワーが立ち上がるため、来訪者が持ち帰る構図はたいてい同じになる。手前に寛永9年、その上に昭和33年。

足を止めて見たい箇所が二つある。一つは銅瓦。本瓦の形を金属で写したもので、乾いた日と雨の日とでは継ぎ目の光り方が違う。もう一つは唐破風で、国の台帳には前後両面に付くと明記されている。片側だけ見て通り過ぎず、くぐった後に振り返るとよい。

最寄りは都営三田線芝公園駅で徒歩5分ほど、御成門駅から7分ほど、都営大江戸線赤羽橋駅からも同程度である。増上寺、その裏手の徳川将軍家墓所、東京タワーはいずれも互いに徒歩15分圏内に収まる。この門だけを目的地にするより、芝の徳川史跡を歩く出発点として立ち寄る形が現実的だろう。

Q&A

Q旧台徳院霊廟惣門は誰でも見学できますか。拝観料や公開時間はありますか。
A見学できます。日比谷通りに面した通路上に建っており、時間の制限も料金もありません。囲いのある施設ではないため開門・閉門という概念もありません。周囲はザ・プリンス パークタワー東京の敷地にあたるので通常の配慮は必要ですが、門をくぐって通り抜けること自体は想定された使われ方です。
Q旧台徳院霊廟惣門はどこにありますか。最寄り駅からの行き方は。
A所在地は東京都港区芝公園四丁目8番2号です。都営三田線芝公園駅から徒歩約5分、御成門駅から約7分、都営大江戸線赤羽橋駅から約7分。増上寺は北へ徒歩5分ほどの距離にあります。
Q旧台徳院霊廟惣門は撮影できますか。
A路上および歩行者用側道からの撮影に制限はありません。背後に東京タワーが入る構図が定番です。三脚の使用やホテルの動線を妨げる撮影は別扱いになるため、事前にホテル側へ確認してください。
Q旧台徳院霊廟惣門の左右に立つ二躯の像は何ですか。
A仁王像です。寺院の門に置かれ、災いを退ける役割を持つ守護像で、港区指定有形文化財に指定されています。平成16年から17年の修理で見つかった銘札から、埼玉県川口市の西福寺にあったものが浅草寺を経てこの門に入ったことが分かっており、この門のために造られた像ではありません。
Q旧台徳院霊廟惣門以外の台徳院霊廟の建物は、今どこにありますか。
A霊廟の大半は昭和20年5月25日の空襲で焼失しました。焼け残った四つの門のうち三つは昭和35年に埼玉県所沢市の狭山不動尊へ移築され、芝に残ったのは惣門だけです。焼失前の全体像は、増上寺大殿地下1階の宝物展示室にある10分の1模型で確認できます。

基本情報

名称旧台徳院霊廟惣門(きゅうだいとくいんれいびょうそうもん)
所在地東京都港区芝公園四丁目8番2号
指定区分重要文化財(国指定)
指定年昭和5年(1930年)5月23日
員数1棟
年代寛永9年(1632年)/江戸前期
構造・形式三間一戸八脚門、入母屋造、前後裾唐破風付、銅瓦葺
所有者文化庁データベースに所有者名の記載なし/管理団体は株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド
公開状況屋外に常時公開、拝観料なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧台徳院霊廟惣門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/513
文化遺産オンライン「旧台徳院霊廟惣門」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/188353
増上寺宝物展示室「台徳院殿霊廟模型について」
https://www.zojoji.or.jp/takara/mokei/
ザ・プリンス パークタワー東京「アクセス・周辺案内」
https://www.princehotels.co.jp/parktower/access/

最終更新日: 2026.08.22