古代中国の墓から東京へ渡った三つの銀杯

東京・文京区目白台の永青文庫は、細川家に伝わった刀剣や禅画、近代日本画で知られる美術館である。その所蔵品のなかに、日本ではなく古代中国でつくられた小さな銀製の杯が三口ある。いずれも高さは四センチに満たず、はるか海を越えて細川家の手にわたるまでに、二千年以上の時を経てきたと伝わる品である。

三口はまとめて「銀杯(ぎんぱい)」の名で重要文化財に指定されている。一つは口縁に二つの小さな耳状の張り出しをもつ浅い楕円形の杯で、古代中国で酒器として用いられた「耳杯(じはい)」の形をとる。残る二口は、ひょうたんを縦に割ったような匏(ほう)状で、長軸の一方に金属を起こした指のかかりがつくられている。昭和四十五年(一九七〇年)五月二十五日、考古資料として指定を受けた。

細部に目を凝らすと見どころがある。耳杯では、口縁の内外と内底に鍍金がよく残り、金の遺った部分だけが銀地のなかでほのかな金色の光をたたえる。三口にはそれぞれ底面に数文字が鏤刻(るこく)され、最も小さい一口には側面に十七字の長い銘もきざまれている。

洛陽金村の出土品としての価値

この銀杯は、中国でも名高く、また数奇な来歴をもつ遺跡と結びつけられている。河南省・洛陽の旧都にほど近い金村(きんそん)の古墓群である。ここは東周、すなわち紀元前八世紀から前三世紀にいたる長い時代の王侯の墓所で、戦国時代を含む。日本側の記録は、この銀杯を金村の「韓君墓」と称される墓から出たものとして記している。韓は、当時の有力な戦国諸侯の一つである。

ただし、その来歴には慎重さが要る。金村の墓群は学術的な発掘ではなく、一九二八年ごろ大雨で大きな墓室の一部が崩れたのを機に始まった盗掘によって開かれ、出土品は古美術市場を通じてカナダ、日本、アメリカなどへ散逸した。当時の記録が乏しいため、「金村出土」とされる遺物の多くは確かな出土地点ではなく言い伝えに基づき、その年代も戦国期から漢初までと幅をもって見られている。文化庁の記載が「伝・出土」と記すのは、この不確かさをそのまま示したものである。

価値の一端は素材そのものにある。古代中国では青銅が祭祀と身分の金属であり、銀製の容器は比較的まれで贅沢な品だった。紀元前六世紀ごろからは、金銀の象嵌や鍍金で器面を飾る技法が盛んになる。三口の銀杯はその流れのなかに位置づけられる。二口は鋳造、一口は銀板を打ち起こした鍛造で、鍍金や刻銘とあわせて、奢侈品であると同時に当時の金工技術を知る手がかりとなっている。

見どころ

まず、つくり方の違いに注目したい。三口のうち二口は鋳造で、金属を流し込んで成形している。残る一口は薄手に打ち起こした鍛造で、より高度な技を要する。この鍛造の杯がもっとも凝っている。指のかかりは大ぶりな柄状に引き出され、その反対側の両脇には、持ち上げると動く小さな游環(ゆうかん)が下がっている。

次に鍍金である。耳杯では、口縁や内底、つまり飲む者の指や唇が触れたであろう箇所に金がよく残り、無地の銀地に思いがけない輝きを添える。匏状の二口はより静かで、見どころは銀のかたちの輪郭線と、親指がおさまる指のかかりの加工にある。

刻まれた文字も、ゆっくり眺める価値がある。底面には三字ずつの短い文字が、もっとも小さい杯の側面には十七字の銘がきざまれている。これらの一部は今なお完全には読み解かれておらず、器の重量など実用的な情報を記したものと推定されている。展示ケースの前に立つ者は、長く研究者を悩ませてきたのと同じ謎を読みとくことになる。

美術館とその周辺

訪ねる前に一つ押さえておきたい。銀杯は常設の展示品ではなく、研究・保存される所蔵品の一つである。永青文庫はテーマを定めた企画展を入れ替えながら開いており、この杯が並ぶのは展示の趣旨にかなったときに限られる。これらの品をめあてに行くなら、出かける前に開催中の展覧会を確かめておきたい。なお、館内の撮影はできない。

建物そのものにも見るべきものがある。肥後熊本藩を治めた細川家の家政所として昭和初期に建てられたもので、その江戸下屋敷の跡地に立つ。所蔵品の母体は、昭和二十五年(一九五〇年)に十六代・細川護立(もりたつ、一八八三〜一九七〇)が散逸を防ぐため設けた収集にある。護立は中国古美術や日本の絵画・書蹟を深く集めた人物で、この銀杯もその関心の延長線上にある。

美術館のすぐ下手には、神田川の水を引いた池をもつ回遊式の肥後細川庭園が広がる。入園は無料で、館の見学とあわせやすい。庭園脇の急坂、胸突坂(むなつきざか)は、かつて下屋敷が見おろした斜面を登っていく。少し歩けば椿山荘の庭や、別の旧細川邸内に建つ学生寮の和敬塾もある。この一帯は、ゆっくりと半日を歩いて回るのにふさわしい。

Q&A

Qいつ行けば銀杯を見られますか。
A常時は見られません。テーマ別の企画展で随時公開される所蔵品のため、出かける前に開催中の展覧会をご確認ください。開館は十時から十六時三十分まで(入館は十六時まで)で、月曜日、展示替期間、年末年始は休館です。
Qこの銀杯はどこから来たものですか。
A中国・河南省洛陽の金村にある東周時代の墓から出土したと伝えられています。一九二〇年代後半に正規でない発掘が行われ、出土品が古美術市場を通じて各地に散ったため、来歴は確実な記録ではなく言い伝えに基づくものです。
Q「耳杯」とはどのような器ですか。
A楕円形の浅い杯の長辺に、耳のように小さく平たい張り出しを左右につけた酒器です。古代中国で広く用いられた形で、永青文庫の三口のうち一口がこれにあたり、鍍金が今も残っています。
Q永青文庫へはどのように行けますか。
A東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅、または東西線の早稲田駅から、それぞれ徒歩約十五分です。JR目白駅からの都バスや文京区のコミュニティバスを使う方法もあります。
Q近くに立ち寄れる場所はありますか。
A館のすぐ下に無料で入れる肥後細川庭園があります。徒歩圏には椿山荘の庭や胸突坂もあり、旧細川家の屋敷地一帯を半日かけて歩いて回れます。

基本情報

名称銀杯(ぎんぱい)
所在地東京都文京区目白台一丁目一番一号(永青文庫)
指定区分重要文化財(考古資料)/昭和四十五年(一九七〇年)五月二十五日指定
員数三口(鋳銀製鍍金の耳杯一口、匏状の杯二口。うち一口は鋳造、一口は鍛造)
寸法(概数)耳杯:長径一二・二センチ、高三・九センチ/鋳造の匏状杯:長径一一・〇センチ、高三・二センチ/鍛造の匏状杯:長径一二・八センチ、高二・二センチ
由来中国製。伝・洛陽金村出土(東周時代)
保管永青文庫
公開状況常設展示はなく、企画展で随時公開。館内撮影不可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 銀杯
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9927
文化遺産オンライン(NII)— 銀杯
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187482
永青文庫(文京区)
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b014/p003842.html
永青文庫(GO TOKYO)
https://www.gotokyo.org/jp/spot/436/index.html

最終更新日: 2026.06.13