妻から入って、まっすぐ奥へ
杉谷神社拝殿及び幣殿は、鳥取県鳥取市気高町日光にある大正5年(1916年)建立の社殿で、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は31-0291、員数は1棟、所有は宗教法人杉谷神社である。
境内の中央に西を向いて建つ。木造平屋建、瓦葺、建築面積は38平方メートル。奥に控える本殿の建築面積が7.3平方メートルだから、五倍を超える。人が上がって座る建物と、神を納める箱との、そのままの寸法差である。
拝殿は入母屋造の妻入で、屋根は桟瓦葺。棟は東西に走る。妻入という形式は、屋根の三角形が見える側から入るということで、この社の場合、参拝者は西の妻から入り、そのまま棟の通りに沿って東へ進むことになる。歩く方向と、建物の背骨と、その先の本殿が一直線に並ぶ。正面には一間の向拝が付き、周囲には切目縁を回す。板を建物と直角方向に張った縁で、雨の日は端から濡れていく。
内部は仕切りのない一室で、床は畳敷き。竿縁天井を高く張っている。木の細い桟を等間隔に渡した簡素な天井で、これを高い位置に持ち上げると、床面積のわりに天井の見上げが深くなる。祝詞の声が響く空間である。
拝殿の背面、一段高くなったところから幣殿が奥へ張り出す。切妻造の桟瓦葺で、本殿へ接続する通路にあたる。参拝者がここへ立ち入ることはない。
大正の造営と、三百年続いた寄付
登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。文化庁の解説は、この拝殿及び幣殿が本殿と一体で境内の景観を作っている点を評価している。事実、本殿は大正4年(1915年)、拝殿及び幣殿は大正5年(1916年)と、建立は一年違いで連続する。ひとつの造営計画が二年に分けて進んだ、と読むのが自然だろう。
この社は天正16年(1588年)の創建と伝わる。鹿野城主の亀井茲矩が日光池を干拓して水田を開いた折に、神霊の加護を願って建てたという。棟札の写しに「奉建立日光大明神一宇本願亀井新十良」の文字があり、新十郎は茲矩の若い頃の通称である。現存する棟札は慶長10年(1605年)以降のもの29枚。造営や修理のたびに一枚が加わり、そのまま社に積み上がってきた。
亀井家は元和3年(1617年)に石見国津和野へ転じている。それでも鳥取県神社庁は、亀井家累代の崇敬が篤く、津和野移封後も昭和に至るまで祭祀料の奉奠や社殿建築費の寄付があったと記す。大正の造営に亀井家の金が入ったかどうかを直接示す資料は確認できなかったが、旧領を離れた家が三百年にわたって氏神へ支出を続けていたという事実は、この社殿を読むうえで無視できない。
登録は令和6年3月6日付、第106回の登録である。前年の令和5年(2023年)11月24日、文化審議会が杉谷神社、鹿野町寺内の加知彌神社、国府町宮下の宇倍神社の3件計9棟を登録するよう答申していた。鳥取市内の神社建築がまとめて評価された回にあたる。
同じ境内の本殿(登録番号31-0290)は別件として同日に登録された。杉谷神社の登録物件は2件2棟である。
雨の降る祭りと、その理由
例祭は9月18日。春祭は4月の第三日曜日で、この日は榊と竜神神輿が村内を巡る。神輿に竜神を載せるのには、この土地の言い伝えが関わっている。
『日光根元記』『稲葉民談記』『因幡誌』に記された話はこうである。天正の世、領主の亀井武蔵守が日光池を干拓して水田を開いたとき、池の主であった蛇鯨という怪魚を食べてしまう。以後、凶事が続き、領主自身も病に伏した。枕元に美しい女が現れて、蛇の霊を祀れと告げる。社を建てて日光大明神と号すると、やがて病は癒え、村は栄えたという。
もうひとつ、土御門院の御代のこととして伝わる話がある。出雲国造の一族が朝廷の歌会に召されて上京する途中、この地で洪水に遭った。水神に祈り、道を通してくれるなら三女を差し出すと約した。海中に砂の道が現れ、上京はかなって歌の誉れを得たが、約束のとおり娘は入水することになった。
日光の祭りは蛇の祭りだから必ず雨が降る、と地元では言われている。いずれも文献に記された伝承であり、史実として確かめられる性質のものではない。ただ、干拓という行為に対する後ろめたさのようなものが、四百年以上たっても祭りの形に残っている、とは言えそうである。
訪ねる場合の実際を書いておく。拝観料や決まった拝観時間、特別公開の予定は公表されていない。境内に門や塀はなく、日中の参拝を妨げるものは見当たらない。拝殿の内部は畳敷きの一室だが、常時開放されているかどうかは公表資料からは分からない。外からでも、向拝の見上げと切目縁の納まり、妻壁の構成は十分に見える。撮影を禁じる掲示は公表されていないが、祭礼中は神職や氏子の指示に従いたい。
所在地は鳥取市気高町日光1035。JR山陰本線の宝木駅から直線距離でおよそ1.3キロメートル、浜村駅からは2キロメートル弱で、浜村温泉の東隣の集落にあたる。バス停は「矢口」が近い。集落内の道は狭く、車の場合は駐車場所に注意が要る。同じ回に登録された加知彌神社は鹿野町寺内、宇倍神社は国府町宮下にあり、鹿野城跡や亀井茲矩の墓所(気高町田仲)と合わせて回れば、一日で亀井氏の足跡をたどれる。
Q&A
- 杉谷神社拝殿及び幣殿はいつ建てられ、いつ登録有形文化財になったのですか?
- 大正5年(1916年)の建立で、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財(建造物)へ登録されました。登録番号は31-0291、員数は1棟です。前年の令和5年11月24日に文化審議会が、加知彌神社・宇倍神社と合わせて3件9棟の登録を答申しています。
- 杉谷神社拝殿及び幣殿は内部に入って参拝できますか?拝観料は必要ですか?
- 拝観料や決まった拝観時間、特別公開の予定は公表されていません。境内に門や塀はなく、日中の参拝は妨げられていません。拝殿の内部は畳敷きの一室ですが、常時開放されているかは公表資料からは確認できません。奥の幣殿と本殿は非公開です。
- 杉谷神社の例祭や春祭はいつ行われますか?
- 例祭は9月18日、春祭は4月の第三日曜日です。春祭では榊と竜神神輿が村内を巡ります。竜神を担ぐのは、干拓の際に池の主である蛇の霊を祀ったという創建伝承によるもので、日光の祭りは蛇の祭りだから必ず雨が降る、と地元で言い伝えられています。
- 杉谷神社拝殿及び幣殿へのアクセスと駐車について教えてください。
- 所在地は鳥取市気高町日光1035です。JR山陰本線の宝木駅から直線距離でおよそ1.3キロメートル、浜村駅からは2キロメートル弱。浜村温泉の東隣の集落が日光です。バス停は「矢口」が最寄りです。集落内の道は狭いため、車の場合は駐車場所に配慮してください。
- 杉谷神社拝殿及び幣殿と本殿は、なぜ別々に登録されたのですか?
- 登録有形文化財は建物ごとに登録されるためです。拝殿及び幣殿(31-0291、大正5年)と本殿(31-0290、大正4年)は建立年が異なり、構造も瓦葺と銅板葺で違います。同日に2件2棟として登録され、文化庁の解説は両者が一体で境内の景観を作っている点を評価しています。
基本情報
| 名称 | 杉谷神社拝殿及び幣殿(すぎたにじんじゃはいでんおよびへいでん) |
|---|---|
| 所在地 | 鳥取県鳥取市気高町日光1035 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 31-0291/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 令和6年(2024年)3月6日登録(第106回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積38平方メートル/木造平屋建、瓦葺/拝殿は入母屋造妻入桟瓦葺、正面に一間の向拝、切目縁付き/幣殿は切妻造桟瓦葺/大正5年(1916年)建立 |
| 所有者 | 宗教法人杉谷神社 |
| 公開状況 | 境内は常時参拝可。幣殿・本殿は非公開。拝観料・拝観時間の設定は公表なし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「杉谷神社拝殿及び幣殿」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014932
- 文化遺産オンライン「杉谷神社拝殿及び幣殿」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/583512
- 杉谷神社(鳥取縣神社廳)
- https://tottori-jinjacho.jp/pages/913/
- 宇倍神社など鳥取市の神社3件が国登録有形文化財へ(日本海新聞)
- https://www.nnn.co.jp/articles/-/186134
- 登録有形文化財(建造物)最近の登録(文化庁)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei_saikin.html
- 亀井茲矩の歴史(亀井茲矩公没後400年記念事業)
- https://www.shikano-net.com/kamei/rekishi.html
最終更新日: 2026.08.21