若桜鉄道安部駅プラットホーム:昭和7年の鉄道情景を今に伝える登録有形文化財

鳥取県東部、八頭郡八頭町の田園地帯にひっそりと佇む安部駅。そのプラットホームは、昭和7年(1932年)に築かれた延長72メートルのコンクリート造構造物で、平成20年(2008年)に国の登録有形文化財に登録されました。木造の本屋、ガラス張りの開放的な待合所とともに、ほぼ建設当時の姿で現役の駅として使われ続けており、戦前の地方鉄道の情景をそのまま体感できる、全国でも稀有な場所のひとつです。

静かな里山に佇む、時を忘れさせる駅

安部駅に降り立って最初に感じるのは、都市の喧騒との対比です。自動改札機もなければ、絶え間ない構内放送もありません。単線の線路に沿ってゆるやかに伸びるプラットホームの向こうには山並みが連なり、季節ごとに表情を変える田園が広がります。三方をガラス窓で囲み、南面を吹き放しとした待合所は、単なる待合空間というよりも、風景を眺めるための小さな東屋のような佇まいです。旅人の足を自然と止めさせ、深呼吸をひとつ促してくれる、そんなやさしい空気が流れる駅といえるでしょう。

プラットホームが歩んできた歴史

若桜線そのものは、内陸の八頭谷の木材や農産物を鳥取市方面の港まで運ぶ目的で、昭和初期に鉄道省によって段階的に建設されました。全線が開通したのは昭和5年(1930年)12月のことですが、安部駅はその開業からおよそ1年2か月遅れた昭和7年2月5日に開業しています。

この遅れには、地元で今も語り継がれる興味深い経緯があります。鉄道計画当時、八東川を挟んで向かい合う日下部地区と安井宿地区との間で、駅をどちらの集落に置くかを巡る激しい対立が起きました。両地区の住民が集団で村内を行進するほどの紛糾となり、最終的にとられた妥協案は二つでした。ひとつは駅を日下部地区に設置すること、もうひとつは駅名を両地区から一字ずつ取って「安部」とすることです。実際に「安部」という地名は周辺には存在せず、駅名そのものが当時の話し合いの記憶を今に伝える唯一の手がかりとなっています。さらに本屋には、両地区の利用者に配慮して二か所の入口が設けられました。建築の細部にまで地域感情への思いやりが刻まれた、珍しい構造の駅舎です。

なぜ登録有形文化財に指定されたのか

平成20年(2008年)7月8日、安部駅プラットホームは文化庁により国の登録有形文化財に登録されました。この登録は、プラットホーム単体としての建築的価値だけでなく、若桜線全体に残る昭和初期の鉄道施設群の一翼を担う構造物としての評価でもあります。若桜線は、駅舎・橋梁・落石覆・転車台・給水塔・流雪溝に至るまで、開業当時の鉄道インフラがほぼ完全な形で残されている、全国でも極めて貴重な路線です。同日には、若桜駅をはじめとする沿線の23件の鉄道施設が一斉に登録有形文化財となり、ひとつの鉄道路線としては日本最大規模の文化財登録となりました。

安部駅プラットホームは、その独特の構造によってこの近代化遺産群に重要な彩りを添えています。延長72メートルのコンクリート造で、側面は花崗岩を3段に積み、笠石にはコンクリートブロックを用いるという、昭和初期の公共土木工事に特徴的な堅実な工法が採用されています。本屋・プラットホーム・待合所の三者が一体となって構成する歴史的鉄道景観は、現代の鉄道では決して再現できない情趣に満ちています。

建築の見どころとディテール

このプラットホームで最も写真映えするのは、何といっても待合所です。本屋と向かい合うように配されたこの小さな建物は、南面を吹き放ちとして光と風が自由に通り抜けるよう設計されており、東・西・北の三面はガラス窓が連続的に並びます。晴れた午後には柔らかな光が室内に差し込み、木製のベンチと相まって、まるで里山に置かれた小さな硝子のあずまやのような風情を醸し出します。

側壁の花崗岩は、長い年月を経て柔らかな灰色に風化し、当時の石工の丁寧な手仕事を今に伝えています。一つひとつの石塊が手作業で積まれ、3段に重ねられた構成は、周囲の田園風景と静かに呼応する視覚的なリズムを生み出しています。プラットホームの向かいに建つ木造平屋の本屋もまた登録有形文化財に登録されており、切妻造の屋根、線路側に張り出した庇、そして手動信号時代の名残である「閉塞取扱所」の張り出し部分など、機械化以前の鉄道運用の姿を物語る貴重なディテールが随所に残されています。

映画ロケ地としての顔

映画ファンの方であれば、安部駅は『男はつらいよ 寅次郎の告白』(平成3年公開、シリーズ第44作)のロケ地としてご記憶かもしれません。寅さんが駅の公衆電話から柴又に電話をかける印象的なシーンが、この駅で撮影されました。木製の改札口、年季の入ったベンチ、静かなプラットホームのすべてが、映画の空気感を支える重要な要素として登場します。映画をご覧になった方にとっては、ホームに立つことそれ自体が、銀幕の一場面の中に身を置く体験となるでしょう。映画を知らない方も、その独特のレトロで写真映えする雰囲気に惹かれ、思わずカメラを構えてしまう、そんな魅力にあふれた駅です。

安部駅周辺の見どころ

安部駅周辺は、徒歩でゆっくり散策する楽しみが詰まったエリアです。駅から徒歩約5分の安部橋下流側には桜並木があり、毎年4月初旬には見事な花を咲かせます。開花期間中は地元の日下部地区の方々によって夜桜のライトアップも行われ、18時から21時30分頃まで幻想的な情景を楽しむことができます。

時間に限りのある旅行者には、若桜鉄道の起点・郡家駅から安部駅までの往復プランがおすすめです。郡家駅から若桜駅までの往復は最短でも1時間以上かかりますが、安部駅で下車して折り返すプランなら約40分で郡家駅に戻ることができ、若桜鉄道の魅力を効率よく体験できます。折り返し列車を待つ約10分間は、駅舎内に展示されたパネルで若桜線の歴史や登録有形文化財としての価値を学ぶことができ、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

もしさらに足を延ばす余裕があれば、隣の隼駅はスズキの大型バイク「隼」の名を冠することから、全国のライダーが集う聖地として知られています。終点の若桜駅では、現役の転車台や蒸気機関車時代の給水塔をはじめ、戦前の鉄道施設群がさらに豊富に残されており、鉄道ファンならずとも見応えのある光景に出会えます。

Q&A

Q鳥取市から安部駅へはどのように行きますか。
AJR鳥取駅からJR因美線に乗車し、郡家駅まで約20分で到着します。郡家駅で若桜鉄道若桜線(若桜方面行き)に乗り換え、約25分で安部駅に着きます。乗り換え時間を含めて全体で約1時間ほどの行程です。
Q駅員はいますか。切符は駅で買えますか。
A安部駅は基本的に無人駅です。近隣の理髪店のオーナーが兼務する形で駅員を担う時間帯もありますが、理髪店の休業時には完全な無人となります。切符は車内での精算が一般的で、地方鉄道としては標準的な運用です。
Q訪れるのに最適な季節はいつですか。
A桜が咲く4月初旬は特におすすめで、近くの八東川沿いの桜並木が見事に咲き誇ります。秋(10月下旬〜11月)の紅葉も周囲の山々を彩り、たいへん風情があります。平日の朝など、人の少ない時間帯に訪れると、より静かで落ち着いた雰囲気を楽しめます。
Q駅にトイレや売店はありますか。
A改札外に男女共用の水洗式トイレが設置されています。駅構内に売店や自動販売機はありませんので、必要に応じて飲み物や軽食を持参されることをおすすめします。徒歩圏内に地元の商店や飲食店が点在しています。
Q駅やプラットホームの写真撮影は自由にできますか。
Aはい、撮影は歓迎されており、鉄道ファンや建築愛好家の方々にも人気のスポットです。ただし、列車の接近にはくれぐれもご注意いただき、地元の方々が日常的に利用される現役の駅であることへの配慮もお願いいたします。

基本情報

名称 若桜鉄道安部駅プラットホーム(わかさてつどうあべえきぷらっとほーむ)
所在地 鳥取県八頭郡八頭町日下部字徳尾1236-2
建設年 昭和7年(1932年)
構造 コンクリート造、延長72m、待合所付
員数 1棟
文化財種別 登録有形文化財(建造物)
登録年月日 平成20年(2008年)7月8日
所有者 八頭町
運営 若桜鉄道株式会社
アクセス 若桜鉄道郡家駅から若桜方面行きで約25分、安部駅下車(プラットホームは駅そのもの)

参考文献

文化遺産オンライン 若桜鉄道安部駅プラットホーム
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143068
文化遺産オンライン 若桜鉄道安部駅本屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/120377
若桜鉄道株式会社 登録有形文化財ご紹介
https://wakatetsu.co.jp/bunkazai
日本遺産ポータルサイト 若桜鉄道若桜駅本屋及びプラットホーム、転車台ほか計23件
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/4487/
やずナビ(八頭町観光情報) 映画のロケ地 若桜鉄道安部駅で桜を楽しもう!
https://yazukanko.jp/info/2026/04/05/abe_sakura/
Wikipedia 安部駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/安部駅

最終更新日: 2026.05.07