吉田家住宅土蔵とは

吉田家住宅土蔵は、富山県射水市二口にある大正後期(1919〜1926年)建築の道具蔵で、令和5年(2023年)8月7日に国の登録有形文化財に登録された。読みは「よしだけじゅうたくどぞう」である。

土蔵造の2階建で、建築面積は42平方メートル。主屋の南東に、基壇を築いてその上に建つ。屋根は切妻造・平入の桟瓦葺を置屋根形式で載せ、棟を南北に通す。

文化庁のデータでは、時代の欄が「昭和前」、年代の欄が「大正後期」、西暦が1919〜1926年となっている。大正の終わりから昭和の初めにかけての建物と見てよい。

吉田家住宅土蔵が登録された理由

吉田家住宅土蔵は「造形の規範となっているもの」として登録された。同じ屋敷の4件のうち、この基準による登録は土蔵だけである。

文化庁の解説は、伝統的な土蔵の形を踏まえながら、外壁の腰や開口部に近代の材料と仕上げを取り入れた点を挙げ、「近代らしい土蔵」とまとめている。明治の主屋や石蔵から半世紀ほど後、蔵づくりがどう変わったかを示す一棟である。

漆喰の壁、洗出しの腰、鉄の扉

吉田家住宅土蔵の外壁は漆喰で仕上げ、壁の下部の腰はモルタルの洗出し仕上げとしている。洗出しは、モルタルが固まりきる前に表面を水で洗い、混ぜ込んだ小石の粒を浮き出させる仕上げで、ざらりとした石の肌合いが出る。

開口部には鉄扉が用いられている。土を厚く塗り込めた扉を重ねる在来の土蔵とは異なる、近代の建材による戸締まりである。白い漆喰の上部、粒の見える腰、鉄の扉と、壁面を上から下へたどると三つの素材が並ぶ。

板敷の2室と西の出入口

吉田家住宅土蔵の出入口は西にあり、その前に下屋が付く。内部は1階・2階とも板敷の一室で、北西の隅に階段を設けている。文化庁の写真一覧には、2階の小屋組も収められている。

同じ屋敷の石蔵と比べると、棟を南北に通すこと、置屋根であること、出入口を西に開くことが共通する。50年ほどの隔たりがありながら、蔵の向きと屋根の載せ方は明治の石蔵にそろえている。一方で石蔵の1階が土間なのに対し、吉田家住宅土蔵は1階も板敷で、米ではなく道具を納める蔵としてつくられている。

吉田家住宅土蔵の見学

吉田家住宅土蔵は主屋の南東、屋敷の奥寄りに建つ。通りからどこまで見えるかは確認できていない。板敷の内部や小屋組が公開されているかどうかも分からなかった。

2023年の射水市の資料では屋敷の一般公開が予定されていたが、現在の公開日、料金、撮影の可否は未確認である。訪ねる前に問い合わせ、公開日以外は敷地に入らないようにしたい。屋敷への行き方は吉田家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q吉田家住宅土蔵は見学できますか?
A内部の公開は確認できていません。2023年の射水市の資料には屋敷の一般公開の予定が記されていますが、現在の公開日や料金は未確認です。事前に問い合わせてください。
Q吉田家住宅土蔵はいつ建てられたのですか?
A文化庁は大正後期(1919〜1926年)としています。時代の欄は「昭和前」とされており、大正末から昭和初めの建物です。
Q吉田家住宅土蔵の外観の特徴は?
A外壁は漆喰仕上げで、腰をモルタルの洗出し仕上げとし、開口部に鉄扉を用いています。文化庁は近代らしい土蔵と評しています。
Q吉田家住宅土蔵は何に使われていたのですか?
A文化庁の解説では道具蔵とされています。内部は1階・2階とも板敷の一室です。
Q吉田家住宅土蔵はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A「造形の規範となっているもの」として、令和5年(2023年)8月7日に登録されました。

基本情報

名称吉田家住宅土蔵
所在地富山県射水市二口字馬渡り1953他
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和5年(2023年)8月7日登録
員数1棟
寸法土蔵造2階建、瓦葺、建築面積42㎡
所有者文化庁データベースに記載なし(2023年の射水市資料では一般社団法人吉田はんが管理)
公開状況一般公開の予定あり(2023年の射水市資料)。現在の公開日・料金は未確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「吉田家住宅土蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014596
文化遺産オンライン「吉田家住宅土蔵」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/549918
射水市「令和4年度 射水市文化財審議会 会議概要」(令和5年3月28日、PDF)
https://www.city.imizu.toyama.jp/appupload/EDIT/118/118156.pdf

最終更新日: 2026.10.27