丘の斜面を客席に変えたコンクリート
旧制和歌山中学校運動場スタンド(桐蔭高等学校運動場スタンド)は、和歌山県和歌山市吹上にある和歌山県立桐蔭高等学校の校地内に建つ大正11年(1922年)竣工の鉄筋コンクリート造観覧席で、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
校地の東半を占める運動場の北辺から東辺にかけて、全長156メートルにわたって続く。特徴は構造そのものよりも、敷地東側の丘陵斜面をそのまま客席に転用した造り方にある。鉄骨で櫓を組むのではなく、もともとある傾斜にコンクリートの段を刻んでいった。北面は中央階段の西側が11段、東側が10段。東面は12段で、途中に2箇所の階段が差し込まれている。
装飾はない。打ち放しの段が水平に連なるだけである。
ただし大正11年という年を考えると、この素っ気なさは軽く見るべきものではない。当時の中等学校で、常設のコンクリート観覧席を備えた運動場は限られていた。ロープを張り、たまたまそこにあった土手に人が座る、というのが普通だった。この客席は同じ場所で一世紀を越え、いまも下のグラウンドでは部活動が続いている。
連覇の翌年に建った ― 寄付金が生んだ大スタンド
このスタンドは野球部の産物である。
大正10年(1921年)8月、和歌山中学校は第7回全国中等学校優勝野球大会に出場し、決勝で京都一商を16対4で下して初優勝した。8月20日に和歌山城砂の丸広場で開かれた祝賀会には2万人を超える人が集まったと伝わる。翌大正11年8月には第8回大会でも優勝し、2年連続の全国制覇を果たした。
この連覇が、一校の運動場を地域の関心事に変えた。和歌山県と和歌山市が寄付金を出し、有志の拠出も加わって、優勝から3ヶ月後の大正11年11月、コンクリートの大スタンドが完成する。学校に残る卒業記念写真を並べると変化がよく分かる。大正11年の写真は背後が更地で、大正12年の写真には段状の客席が写り込んでいる。
大正11年12月2日、皇太子(のちの昭和天皇)が和歌山中学校に行啓した。午前11時53分に到着し、歴史と代数の授業を台覧したのち、新設のスタンドを備えた運動場へ移動。県内中等学校の選手によるリレーレースを、午後には和中現役対卒業生の野球試合を観戦している。皇太子が野球を観戦したのはこれが最初だったと学校の記録は伝えている。
当時の在校生が書いた「皇太子殿下奉迎感想文」も、いまなお学校に残されている。
野球部の歩みはこの後も続く。昭和2年(1927年)には第4回全国選抜中等学校野球大会で優勝し、優勝校に与えられた渡米資格を得て7月から米国遠征に出発した。戦後、桐蔭高等学校となってからも昭和23年(1948年)と昭和36年(1961年)に夏の全国大会で準優勝している。
登録の理由と、この制度の性格
登録番号は30-0290。第97回の登録として令和3年2月4日に告示された。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。
登録有形文化財は、重要文化財の指定とは考え方が異なる。おおむね築50年を経た建造物を対象とし、現役で使い続けることを前提に、大きく改変する際の届出を求める緩やかな保護制度である。学校施設との相性がよい。実際このスタンドは柵で囲われても展示物にされてもおらず、文化庁の記録には昭和後期の改修が併記されている。
所有者は和歌山県。地元紙の報道によれば、学校側が当初手続きを進めていたのは旧図書館1件だけだった。文化庁の担当官に「スタンドも建ててから99年になる」と伝えたところ、併せて申請してはどうかと勧められ、2件同時の登録に至ったという。
訪ねるときに知っておきたいこと
桐蔭高校は現役の学校であり、運動場も日常的に使われている。授業のある時期に自由に立ち入ることはできず、公開日や見学料の設定もない。間近で見たい場合は事前に学校へ連絡し、目的を伝えたうえで許可を得る必要がある。研究や文化財関係の目的であれば相談の余地はあるが、予告なく門前に立っても対応は難しい。
外からでも手掛かりはある。令和3年2月、正門南側のレンガ塀に登録を報告する記念パネルが設置された。翌3月には、運動場スタンド、旧図書館、野村吉三郎箴言碑の3件について解説板が校内に据えられ、除幕式が行われている。
撮影は、公道からであれば制限されない。校地内での撮影には許可が要り、生徒が写り込む構図は避けたい。
行き方は難しくない。JR和歌山駅または南海和歌山市駅から和歌山バスに乗り、小松原5丁目で下車して東へ徒歩約5分。和歌山城、県立博物館、県立近代美術館が徒歩圏にあるため、市街地を半日歩く行程に無理なく組み込める。
同じ日に登録された旧図書館は、同じ校地の北寄りに建っている。スタンドからは目と鼻の先である。
Q&A
- 旧制和歌山中学校運動場スタンドは見学できますか。拝観時間や料金は。
- 自由な見学はできません。和歌山県立桐蔭高等学校の校地内にあり、学校が通常どおり運営されているため、公開時間や見学料の設定はありません。間近で見るには事前に学校へ連絡して許可を得てください。正門脇のレンガ塀に設置された登録記念パネルは、校外からでも見ることができます。
- 桐蔭高等学校運動場スタンドは、なぜ大正11年に建てられたのですか。
- 和歌山中学校の野球部が大正10年・大正11年と全国中等学校優勝野球大会を連覇したことがきっかけです。連覇を受けて和歌山県・和歌山市および有志から寄付金が集まり、大正11年11月に完成しました。
- 昭和天皇が旧制和歌山中学校運動場スタンドで野球を観戦したというのは本当ですか。
- 学校の記録によれば、大正11年12月2日に皇太子(のちの昭和天皇)が行啓し、完成間もないスタンドのある運動場で和中現役対卒業生の野球試合を台覧しました。皇太子が野球を観戦した最初の機会だったと同校は伝えています。
- 旧制和歌山中学校運動場スタンドの規模はどのくらいで、いまも使われていますか。
- 文化庁の記録では鉄筋コンクリート造1基、延長156メートルです。北面は中央階段を挟んで西側11段・東側10段、東面は12段。下のグラウンドは現在も部活動や保健体育の授業で日常的に使われています。
- 桐蔭高等学校へのアクセスと、周辺に併せて見られる場所は。
- JR和歌山駅・南海和歌山市駅から和歌山バスで小松原5丁目下車、東へ徒歩約5分です。和歌山城、県立博物館、県立近代美術館が近接しています。同じ日に登録された旧制和歌山中学校図書館(同窓会館)も同じ校地内にあります。
基本データ
| 名称 | 旧制和歌山中学校運動場スタンド(桐蔭高等学校運動場スタンド) |
|---|---|
| 所在地 | 和歌山県和歌山市吹上5丁目39-1他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 30-0290 |
| 指定年 | 令和3年(2021年)2月4日登録(第97回登録) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 鉄筋コンクリート造、延長156メートル/大正11年建設、昭和後期改修 |
| 所有者 | 和歌山県 |
| 公開状況 | 現役の高等学校の校地内にあり一般公開なし。間近での見学は事前連絡・許可が必要。見学料なし。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース ― 旧制和歌山中学校運動場スタンド(桐蔭高等学校運動場スタンド)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013620
- 文化遺産オンライン ― 旧制和歌山中学校運動場スタンド(桐蔭高等学校運動場スタンド)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/594999
- 和歌山県立桐蔭高等学校 ― 桐蔭の歴史
- https://www.toin-h.wakayama-c.ed.jp/about/history/
- わかやまの文化財 ― 旧制和歌山中学校(桐蔭高等学校)
- https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-970/
- わかやま新報 ― 二つの国登録有形文化財 桐蔭高校で報告会
- https://www.wakayamashimpo.co.jp/2021/03/20210310_99959.html
最終更新日: 2026.08.27