富士山原始林及び青木ヶ原樹海とは

富士山の北西山麓に広がる森林一帯は、二つの時代をまたいで国の天然記念物に指定されてきた経緯をもつ。最初の指定は大正15年(1926年)2月24日。当時はまだ「富士山原始林」の名で、五合目付近の御庭・奥庭、その下の弓射塚、そして大室山一帯の原始林、これらを結ぶ富士林道沿いの森を一体として保護する内容だった。それから80年あまり経った平成22年(2010年)3月8日、文部科学省告示第41号によって青木ヶ原樹海が追加指定され、現在の長い名称に改められた。

指定基準は(二)、すなわち「代表的原始林、稀有の森林植物相」である。山頂方向の針葉樹矮性帯、中腹の針広混交林と落葉広葉樹林、山麓に1200年の歳月をかけて溶岩流上に再生した針葉樹林という三層の植生が、ひと続きの保護地として残されている点に、この記念物の地理的な独自性がある。

大正15年の原指定—富士林道沿いの三つの森

原指定の根拠となったのは、東京帝国大学の早田文藏が1911年(明治44年)に英文で刊行した『The Vegetation of Mt. Fuji』であった。富士山の垂直分布を体系的に記述した嚆矢的な植生研究で、指定告示文にもそのまま引用されている。

告示文は森を三つに区分する。大室山周辺の大室原始林は落葉広葉樹林である。低位の側火山である大室山が貞観の溶岩流を分けて流れさせたために、噴火以前からのブナを含む樹相が損なわれずに残った。やや上方に位置する弓射塚原始林は針葉樹と広葉樹の混生林。標高約2,300メートルの御庭・奥庭原始林は、風雪に矮小化したコメツガやカラマツ、シラビソが溶岩塊の上に張り付くように生える「天狗の庭」とも呼ばれる景観で、すぐ脇を御中道(おちゅうどう)と呼ばれる富士信仰の周回路が通る。延長およそ四里(約16キロメートル)に及ぶこれらの森を結ぶのが、原指定で言及される「富士林道」である。

貞観噴火と青木ヶ原樹海の成立

青木ヶ原樹海が立つ溶岩流は、平安初期の貞観6年(864年)に始まった富士山北西斜面での割れ目噴火によるものである。『日本三代実録』には、駿河国・甲斐国の両国司から朝廷へ噴火の報告が相次いだ記述があり、活動は貞観8年(866年)頃まで続いたとされる。最大の噴出口は長尾山と推定され、噴出量は総計およそ14億立方メートルと見積もられている。

溶岩は西北方向に流れ下って一帯の森林を焼き払い、最終的に剗の海(せのうみ)と呼ばれた古湖の大半を埋没させた。現在の西湖と精進湖は、この埋め残された湖盆の北縁と南縁にあたる。湖底のボーリング調査からは、両湖が地下で一続きの古湖盆を共有していることが確認されている。

溶岩冷却後、コケが先駆植物として岩肌に着生し、ツガ・ヒノキを主とする針葉樹がゆっくり加わって、現在見られる景観へと成熟していった。指定範囲はおよそ30平方キロメートル、標高920〜1,300メートルに広がる。樹齢330〜360年程度の大木も少なくない。

溶岩の上で育つ森

樹相の異常さは、植生帯としての矛盾にある。この標高帯は本来であればミズナラやブナを主とした落葉広葉樹林帯にあたる。それにもかかわらず樹海ではツガ、ヒノキ、ハリモミ、ヒメコマツ、アカマツといった針葉樹が優勢を占める。要因は土壌である。溶岩流が冷えてできた玄武岩質の地盤は保水力に乏しく、養分も限られるため、深根性の広葉樹より浅く広がる根を張れる針葉樹のほうが定着しやすい。

遊歩道を歩くと、その事情が足元から読み取れる。地表のすぐ下に岩盤があるため、樹木は根を下に伸ばすことができず、隆起した根が苔をまとって岩を抱き込むように地面を這う。雨が降っても水は岩の隙間に吸い込まれて沢を作らない。樹海の中に川が一筋もないのは、地面のせいである。

溶岩洞穴と溶岩樹型

貞観の溶岩流は立ち木を巻き込んで流れた。樹幹を取り込んだ部分は、木材が燃え尽きた後に円筒形の空洞となって地中に残る。鳴沢村の前丸尾・西原道下に分布する12基の「鳴沢熔岩樹型」は国の特別天然記念物に指定されており、最大のものは直径1.8メートル、長さ4.6メートルに達する。

樹海の中にも、見学可能な溶岩洞穴が三つある。富岳風穴(ふがくふうけつ)は総延長201メートル、最大高8.7メートルの横穴で、内部の年平均気温は約3度。昭和初期までは蚕の卵を貯蔵する天然の冷蔵庫として使われていた。鳴沢氷穴(なるさわひょうけつ)は総延長153メートルの竪穴系環状洞窟で、昭和4年(1929年)に天然記念物に指定されている。年間を通して氷柱が立ち、特に1月から5月にかけてが見頃である。西湖蝙蝠穴(さいここうもりあな)は総延長約350メートルと、富士山麓の溶岩洞穴のなかで最大規模である。かつてはコウモリの越冬地として知られていた。

樹海を歩くということ

樹海散策の入門コースとしては、富岳風穴と鳴沢氷穴を結ぶ東海自然歩道(片道徒歩約30分)と、西湖野鳥の森公園から西湖蝙蝠穴を経由する樹海遊歩道(片道約40分)の二本がよく知られている。いずれも整備された道で、距離が短く、迷う心配はない。

ただし遊歩道を外れた途端、地面は剥き出しの溶岩塊と落葉に覆われ、起伏も激しくなる。地元のガイドが繰り返し注意するのも、ほとんどが「道を外れない」ことに尽きる。また、樹海一帯は文化財保護法と自然公園法(特別保護地区)の両方の規制下にあり、溶岩や苔、植物を持ち帰る行為は禁止されている。2009年には溶岩を持ち去って転売した者が森林窃盗で逮捕された事例もある。

樹海全体を上から見渡せる展望地としては、紅葉台と三湖台が挙げられる。紅葉台レストハウスの展望台から望むと、青木ヶ原の樹冠が眼下にうねるように広がり、その向こうに富士山が立ち上がる。樹冠が風で揺れるさまが波頭に似ていることから「樹海」と呼ばれるようになった。

周辺で楽しむ

樹海は富士五湖のうち西湖、精進湖、本栖湖と縁を接している。西湖の西岸には茅葺き屋根の集落を再現した「西湖いやしの里根場」があり、隣接する西湖野鳥の森公園では約210種の野鳥が記録されている。精進湖は富士五湖で最も小さく、富士山の手前に大室山が重なる「子抱き富士」の構図で写真愛好家に親しまれてきた。本栖湖の北西湖岸からの眺めは、千円札の裏面に採用された富士の構図でもよく知られる。

標高を上げれば、富士スバルラインの五合目に到達する。そこから西へ約2キロメートル進むと、原指定の核心部である御庭・奥庭の矮性針葉樹帯に入る。森林限界に近いこの一帯では、樹海とは別物の風景—ねじれた幹のコメツガ、地を這うシャクナゲ、間に覗く赤いスコリア層—が広がる。同じ天然記念物の指定範囲のなかに、これほど対照的な森が二つ含まれている点に注目したい。

Q&A

Qガイドなしで樹海を歩いても大丈夫ですか
A整備された遊歩道(東海自然歩道、樹海遊歩道など)を歩く限りは、ガイドなしでも問題ありません。ただし遊歩道を一歩外れると景観の手がかりが乏しく、地形も足を取られやすいため、自然観察を深めたい場合は富士河口湖町認定のネイチャーガイドの利用が望ましいでしょう。
Q樹海では方位磁石が狂うと聞きましたが本当ですか
A磁鉄鉱を含む玄武岩質の溶岩のため、地面に近づけると磁針が局所的に振れることはあります。ただし方位磁石が完全に役立たなくなるという俗説は誇張で、通常の使用方法であれば方位は読み取れます。むしろ問題は視覚で、樹海内は同じような景色が続き、目印になる沢や尾根がないことの方が遭難要因として大きいとされます。
Qどの季節に訪れるのがよいですか
A樹海は針葉樹が中心のため一年を通して常緑で、季節による表情の差は控えめです。5月下旬から7月初旬には葉緑素を持たない腐生植物のギンリョウソウが顔を出します。夏は洞窟内の冷気が涼を運び、秋は紅葉台周辺の広葉樹が色づきます。降雪時は鳴沢氷穴等の洞窟が休業することがあるため事前確認をおすすめします。
Q世界遺産との関係はどうなっていますか
A青木ヶ原樹海と富士山原始林は、2013年に登録された世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産である富士山域に含まれます。また富士箱根伊豆国立公園の特別保護地区にも指定されており、文化財保護法と自然公園法の双方による多重保護下にあります。
Q溶岩洞穴は子ども連れでも入れますか
A富岳風穴は横穴型で、手すりや照明が整備されており比較的歩きやすく、家族連れに適しています。鳴沢氷穴は縦穴型で急な下りと低い天井部があり、未就学児には負担になる可能性があります。西湖蝙蝠穴は全長が長く起伏もあるため、体力に合わせて選んでください。三洞窟いずれも9:00〜17:00(天候により変動)の営業です。

基本情報

名称富士山原始林及び青木ヶ原樹海(ふじさんげんしりんおよびあおきがはらじゅかい)
指定区分国指定天然記念物
原指定年月日大正15年(1926年)2月24日(旧名称「富士山原始林」)
追加指定・名称変更平成22年(2010年)3月8日(青木ヶ原樹海を追加指定、名称変更)
指定基準(二)代表的原始林、稀有の森林植物相
所在地山梨県南都留郡富士河口湖町、鳴沢村
面積青木ヶ原樹海部分で約30平方キロメートル
標高樹海部分は920〜1,300メートル、御庭・奥庭は2,000メートル超
主な樹種ツガ、ヒノキ、ハリモミ、ヒメコマツ、アカマツ、ミズナラなど
関連指定富士箱根伊豆国立公園特別保護地区/世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」(2013年)構成資産
主なアクセス富士急行河口湖駅から西湖周遊レトロバスで約30分、「西湖コウモリ穴」「風穴」「氷穴」各停留所下車

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1096
文化遺産オンライン「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/216389
静岡大学防災総合センター「鳴沢の青木ヶ原溶岩と溶岩樹型」
https://www.cnh.shizuoka.ac.jp/research/barchive/mtfuji/026-2/
静岡大学防災総合センター「貞観噴火と宝永噴火」
https://www.cnh.shizuoka.ac.jp/research/barchive/mtfuji/003-2/
富士の国やまなし観光ネット「青木ヶ原樹海散策コース」
https://www.yamanashi-kankou.jp/kokuritsukoen/jp/miryoku/hiking/course3.html
富士山の洞窟 天然記念物 富岳風穴・鳴沢氷穴 公式サイト
https://www.mtfuji-cave.com/

最終更新日: 2026.05.19