山寺の暮らしを支えた建物

山梨県甲州市塩山上萩原、雲峰寺の本堂の右手に庫裏が建つ。台所と日々の生活を受け持った建物で、四棟の指定建造物のなかでは間口が最も広い。桁行19.3メートル・梁間9.1メートル、一重の切妻造で、東側面には庇が付き、茅葺の屋根が長く伸びる。本堂が祈りのために建てられたのに対し、庫裏は働くために建てられた。炊事、貯蔵、そして常住する僧たちの日課の場である。

形式はあえて簡素である。屋根は切妻で、長辺ではなく妻側から入る妻入とし、茅葺が東の側面を庇葺きおろしとして一続きに覆う。周囲の谷の農家に近い、用のための建築である。

江戸前期の年代と、その異同

国の文化財データベースは庫裏を江戸前期、1615〜1660年の幅に置く。指定は本堂・仁王門・書院とともに昭和24年(1949年)2月18日である。この江戸前期という年代には留意しておきたい。地元の解説の一部は、庫裏を本堂・仁王門と同じ16世紀の武田家による再興の一環とみなすことがある。文化庁の一次記録はそれより数代のちに置いており、本記事はこの一次資料に従う。より古い伝えは、確定した事実というより伝承として読むのがよい。

いずれにせよ庫裏は、天平17年(745年)の縁起に始まり、武田家の庇護によって再興された寺の長い歩みのなかにある。雲峰寺は武田氏の領国から見て鬼門にあたる位置にあり、その祈願所であった。生活のための建物は、寺の必要に応じて建てられ、また改められてきた。

見どころ

まず屋根を読みたい。妻側から入る切妻の茅葺屋根は、正面に高い三角の面を見せ、庭の奥の書院の広い寄棟や、本堂の檜皮葺とは対照をなす。茅の稜線を東側へ追うと、庇葺きおろしが屋根を一続きに延ばし、下の壁を覆っているのが分かる。

庫裏は境内の配置を完成させる。石段の下に仁王門、正面に本堂、その奥に書院、そして右手にこの長い生活の棟がある。198段の石段を登りきって四棟をあわせて見れば、まとまりよく読みやすい禅寺の姿が立ち上がる。事前に予約すれば宝物殿にも入ることができ、天正10年(1582年)の武田家滅亡の後に納められた軍旗が展示されている。なかには風林火山の四句で知られる高さのある孫子の旗がある。

Q&A

Q庫裏とは何ですか。
A寺の台所と生活の間です。炊事や貯蔵、常住する僧の日々の営みが行われた建物を指します。
Qいつ建てられましたか。
A国のデータベースは江戸前期、およそ1615〜1660年とします。より古いとする地元の解説もありますが、本記事は一次記録に従います。
Qなぜ最も大きな建物なのですか。
A生活の棟には台所や貯蔵、共同の暮らしのための広さが要りました。間口は19.3メートルで、四棟のうち最も広い建物です。
Q妻入とはどういう意味ですか。
A屋根の長辺の軒側ではなく、切妻の妻側に入口を設けることです。正面が三角の形に見えます。
Q交通アクセスを教えてください。
AJR中央本線塩山駅から大菩薩登山口行きバスに乗り、終点で下車して徒歩約5分です。無料駐車場があります。

基本情報

名称雲峰寺庫裏(うんぽうじくり)
所在地山梨県甲州市塩山上萩原
所有者雲峰寺
指定区分重要文化財(昭和24年〈1949年〉2月18日指定)
員数1棟
時代江戸前期(1615〜1660年)
構造及び形式桁行19.3m、梁間9.1m、東側面庇付、一重、切妻造、妻入、庇葺きおろし、茅葺
アクセスJR中央本線塩山駅から大菩薩登山口行きバス、終点下車徒歩約5分

参考文献

文化庁 — 国指定文化財等データベース 雲峰寺庫裏
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/856
甲州市観光協会 — 雲峰寺
https://www.koshu-kankou.jp/map/m4940.html
富士の国やまなし観光ネット — 風林火山史跡巡り
https://www.yamanashi-kankou.jp/history/shingen/forest.html
雲峰寺 — ウィキペディア日本語版
https://ja.wikipedia.org/wiki/雲峰寺

最終更新日: 2026.07.11