三度校名が変わってもなお現役の門柱

愛知県西尾市亀沢町、鶴城丘高等学校の正門には、舗装から約3.6メートルの高さで立ち上がる鉄筋コンクリート造の門柱がある。生徒たちは毎朝この二本の柱の間を抜けて登校するが、足を止める者はほとんどいない。この門柱が建てられたのは大正14年(1925年)頃で、当時の校名は愛知県立蚕糸学校といった。生糸の輸出が日本の近代経済を支えていた時代、養蚕と製糸の技術者を育てるために置かれた学校である。

門柱の規模はさほど大きくなく、通りからは見落としやすい。それでも一度立ち止まる価値があるのは、その意匠にある。直線を基調とした幾何学的な造形は、1920年代の建築家たちがウィーンから取り入れたもので、西三河の一地方の学校の入口にそれが用いられている。

間口は約10メートル。中央の開口部を二本の主柱が挟み、その外側に主柱の九割ほどの高さの脇柱が立つ。両端には土塁留が付く。全体は鉄筋コンクリート造のモルタル仕上げで、表面には横方向の目地が刻まれ、一見すると切石を積んだように見える。

学校の門柱が国の文化財になった経緯

この門柱が国の登録有形文化財となったのは、平成29年(2017年)6月28日のことである。登録制度は、国宝や重要文化財の指定に比べて法的な拘束力は緩やかで、比較的新しい時代の建造物のうち、その地域の景観をかたちづくっているものを幅広く保護することを目的とする。今回適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」であった。

この事例で注目されるのは、門柱が単独で登録されたのではない点である。同じ日に、あわせて13件が登録された。いずれも愛知県内の旧制県立学校の正門であり、しかもすべてが現在も現役で使われている。県の担当部局はこれを全国初の事例と説明している。現役で使用中の県立学校の門柱を一括して登録したのは、全国で初めてのことであった。きっかけは一人の県民から寄せられた提案で、これを受けて県教育委員会が平成27年(2015年)に県立高校を調査し、戦前に建てられ今も使われている門柱を洗い出したという。

13件のうち7件は、鶴城丘高等学校のものを含め、共通の出自をもつ。いずれも県の営繕課が標準設計として図面を引いたもので、刈谷高校や瑞陵高校の門柱を見たことのある人なら、ここでも同じ語彙を見いだすだろう。直線で構成された輪郭、目地を切った柱身、そして柱頭部に並ぶ幾何学模様である。

この造形には名前と系譜がある。世紀転換期にウィーンで起こり、歴史的な装飾を削ぎ落として清新な幾何学へ向かったセセッション(分離派)の流れを汲むものだ。日本でこの様式を広めたのは建築家の武田五一で、彼は大正7年から9年(1918年から1920年)にかけて名古屋高等工学校、現在の名古屋工業大学の学長を務めた。その影響はその後の地域の公共建築の意匠に及び、これらの学校門柱はその静かな生き残りといえる。

見どころ

まず主柱に目を向けたい。高さ約3.6メートルは、13件の門柱のなかでも高い部類に入り、より低い門にはない存在感を入口に与えている。それぞれの柱は基部、柱身、柱頭の三層に分かれて積み上がり、この区分けがコンクリートの塊に秩序と重みの感覚を生んでいる。

表面を近くで観察してみよう。モルタルに刻まれた横方向の溝は、石積みの目地を模したものである。これはコンクリートを石に見せかける意図的な仕掛けで、鉄筋コンクリートがまだ新しく、格の高い素材とは見なされていなかった時代に特徴的なものだ。各柱の上部に施された幾何学模様は、セセッション様式を示す最も明瞭な手がかりとなる。花も渦巻きもなく、整えられた直線的な文様だけがそこにある。

一歩下がって、その対比を眺めてほしい。洗練された建築的な身ぶりが、ごく普通の現役高校の入口を守って立ち、その柱身は一世紀の風雨と塗り重ねによって柔らかく丸みを帯びている。入場券売り場もなければ、これを記念物として扱う案内板もない。門柱は蚕糸学校の時代から続けてきたとおり、ただ淡々とその役目を果たしている。

実用上の注意を一点。ここは観光施設ではなく、現に授業が行われている学校である。門柱は敷地外の公道から眺めるのがよい。撮影はそこから行い、生徒や教職員の動線を妨げないようにし、授業時間帯の構内立ち入りは避けたい。

門柱の周辺

学校は西尾市亀沢町、鶴城公園に隣り合って建つ。すぐ隣には、この地域でも珍しい博物館がある。西尾市岩瀬文庫は、明治41年(1908年)に地元の実業家・岩瀬弥助が私立図書館として開いたもので、平成15年(2003年)に日本初の古書専門の博物館として生まれ変わった。蔵書は古典籍から近代の実用書まで約8万冊に及び、敷地内に残る赤煉瓦の旧書庫もまた国の登録有形文化財である。入館は無料。

西尾は日本有数の抹茶の産地でもある。市内一帯の茶畑は国産の碾茶の少なからぬ割合を供給しており、市内の複数の茶舗で抹茶の試飲や石臼挽きの体験ができる。町は小藩の城下町である西尾城を中心に発展しており、復元された城郭と周辺の公園は徒歩での半日散策にちょうどよい。

門柱へは名鉄西尾線を使うのが最も分かりやすい。西尾駅から学校までは徒歩約20分。あるいは六万石くるりんバスの「図書館・岩瀬文庫西」停留所が便利で、ここから門柱と岩瀬文庫までは徒歩およそ2分である。

Q&A

Q門をくぐったり、校内に入ったりできますか。
A門柱は現役の高校のもので、敷地は見学者向けには開放されていません。柱は敷地外の公道から眺めて撮影し、授業を妨げないよう、授業時間帯の立ち入りは避けてください。
Qいつ建てられ、いつ文化財になったのですか。
A大正14年(1925年)頃に愛知県立蚕糸学校の正門として建てられました。平成29年(2017年)6月28日、県立学校13校の門柱とともに一括して国の登録有形文化財となりました。
Q「セセッション様式」とは何ですか。
A20世紀初頭のウィーン・セセッション(分離派)に由来する意匠で、歴史的な装飾を排し、直線と幾何学的な文様を好みます。日本では建築家の武田五一が名古屋一帯に広め、これらの門柱はその抑制された直線的な姿を受け継いでいます。
Qなぜ前身校は蚕糸の学校だったのですか。
A明治から大正にかけて生糸は日本最大の輸出品で、養蚕は農村の重要な産業でした。この学校はその技術者を育てるために置かれました。のちに蚕糸から離れ、現在は総合学科の高校となっています。
Q近くに見るべきものはありますか。
A日本初の古書博物館である岩瀬文庫が学校のすぐ隣にあり、入館は無料です。西尾城とその公園も近く、市は抹茶でよく知られ、試飲や石臼挽きの体験ができます。

基本データ

名称愛知県立鶴城丘高等学校正門門柱(旧愛知県蚕糸学校正門)
所在地愛知県西尾市亀沢町300
指定区分登録有形文化財(建造物)/平成29年(2017年)6月28日登録
登録番号23-0491
年代大正14年(1925年)頃
員数1基
構造及び形式等鉄筋コンクリート造モルタル仕上げ/間口約10メートル/主柱高さ約3.6メートル、脇柱は主柱の約9割/東西脇柱及び土塁留付
所有者愛知県
アクセス名鉄西尾線・西尾駅から徒歩約20分/六万石くるりんバス「図書館・岩瀬文庫西」から徒歩約2分
見学現役の学校。敷地外の公道から見学

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011721
愛知県立旧制学校の門柱(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/愛知県立旧制学校の門柱
県立高等学校の歴史的建造物について(愛知県)
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunkazai/kenritsukokorekishirekikenzobutsu.html
愛知県立鶴城丘高等学校(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/愛知県立鶴城丘高等学校
西尾市岩瀬文庫(愛知県公式観光サイト Aichi Now)
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/3581/

最終更新日: 2026.06.16