如意寺書院 ― 本堂普請を支えた仮堂のその後

愛知県豊田市、市街地から車でおよそ二十五分ほど東に入った石野地区の丘陵に如意寺は建つ。書院はその本堂の北側に位置する木造平屋建で、屋根は切妻造の桟瓦葺。江戸後期に建てられたこの建物は、もともと恒久の堂として計画されたものではなかった。十九世紀前半、現在の本堂を造営するにあたって、その間の勤行の場をどこかに確保する必要があった。書院はこのとき、仮の本堂すなわち仮堂として建てられたと伝わる。

やがて本堂が完成しても、仮堂はそのまま残された。以後の百年余りのあいだに増改築が重ねられ、来客を迎える書院としての姿が整っていく。平成二十五年(二〇一三)、この建物は単独で国の登録有形文化財に登録された。

関東から三河へ、移転を重ねた寺

如意寺は真宗大谷派の寺院で、山号を楽命山、本尊を阿弥陀如来とする。開基は源海(一一六四〜一二五三)。坂東武者であった源海は、一年のうちに二人の子を失ったことを機に発心して出家し、親鸞の直弟子となったと伝えられる。関東六老僧の一人に数えられる人物である。

寺のはじまりは三河ではない。当初は武蔵国豊島郡荒木、現在の埼玉県行田市のあたりにあり、満福寺と称したという。三河に所領を持つ中条氏との縁が深まるなかで、寺は西へと移っていく。正中二年(一三二五)ごろに高橋荘青木原へ移り、本願寺の覚如から「如」の字を与えられて如意寺と改称。貞和元年(一三四五)には志多利郷、いまの豊田市石野町付近へ移り、さらに現在地へと移った。最後の移転を慶長十年(一六〇五)とする資料が多い一方、地元には慶長六年(一六〇一)とする記述もある。近世以降は、三河触頭三ヶ寺の一つである岡崎の勝鬘寺の末寺として東本願寺に属した。

寺に残る棟札によれば、本堂の前身堂は寛文五年(一六六五)の建立であった。現在見られる伽藍は、第二十世源秀の代、十九世紀前半の文政から天保にかけて整えられたもので、書院もこの一連の造営のなかに位置づけられる。

「指定」ではなく「登録」

日本の歴史的建造物を守る制度には、性格の異なる二つの道がある。古くからあるのが「指定」で、国宝や重要文化財のように特に価値の高いものを対象とし、現状変更に強い制限がかかる。これに対し、平成八年(一九九六)に始まった「登録」は、江戸・明治以降の数多い建物のうち、地域の景観や歴史的環境を形づくってきたものを幅広く受けとめるための、より緩やかなしくみである。大きな改変の際に届け出を要するかわりに、所有者は建物を使い、手を加えていく自由を比較的広く保てる。

如意寺書院が登録されたのは平成二十五年三月二十九日、登録番号は23−0361。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、登録建造物のなかでも最も多く適用される基準にあたる。突出した美術的価値というより、現役の寺院境内を構成する一棟としての存在感が評価されたといってよい。本堂・山門・鐘楼・太鼓楼など、境内の他の建物とともに登録されており、十九世紀の伽藍がひとまとまりの景観として残る点に意味がある。

間取りを読む

建築面積はおよそ百八十四平方メートル、平屋建である。西から東へ、上段の間九畳、中の間十二畳、広間十八畳と、三室が順に大きくなりながら一列に並ぶ。南から東にかけては広縁がめぐる。

西端の上段の間は、床を一段高くした最も格式の高い部屋である。床を高くすることは、そこに座る人の格の高さを示す作法であり、書院造の座敷においては来賓や住職の座とされた。仮の堂として建てられた建物が、のちにこうした部屋を備えるに至った経緯からは、勤行の場から接客の場へと用途が大きく変わっていった様子がうかがえる。

現在の姿は一度に整ったわけではない。明治四十二年(一九〇九)には北側の広縁を半間ひろげて西寄りに二室を設け、北西の隅に湯殿と便所を増築している。こうした明治期の手入れは登録時の解説にも記されており、登録有形文化財が、ある一時点に固定された遺物としてではなく、使われ手を加えられながら今日に至った建物として評価されていることがよく分かる。

周辺の見どころとアクセス

如意寺のある石野地区は、田畑と低い山並みが続く静かな一帯である。猿投グリーンロードの力石インターチェンジが近く、車での来訪が最も分かりやすい。とよたおいでんバスもこの地域を通るが本数は多くないため、移動の自由を考えれば自動車が便利だろう。

書院は現役の寺院に属する建物で、接客のための座敷という性格上、内部が一般公開されているわけではない。境内のたたずまいを外から眺めたうえで、東部丘陵のいくつかの見どころと組み合わせて訪ねるのがよい。標高六二九メートルの猿投山の麓に鎮座する猿投神社は、祭礼で奉納される棒の手で知られ、山中には整備された登山道がある。南には、徳川将軍家の祖である松平氏ゆかりの松平郷、そして十一月の紅葉で名高い足助の香嵐渓も足をのばせる範囲にある。

Q&A

Q如意寺書院の内部は見学できますか。
A現役の真宗大谷派寺院に属する建物で、内部は一般の見学を前提とした造りではありません。境内から外観を拝見し、詳しくは寺院に直接お問い合わせください。
Q書院とはどのような建物ですか。
A書院は接客や学問のための格式ある座敷で、これを中心とする書院造は中世以降に整えられた様式です。畳敷きの座敷、床の間、付書院などを特徴とします。如意寺ではこの形式が寺院の客殿として用いられています。
Qなぜ「仮堂」として建てられたのですか。
A十九世紀前半に現本堂を造営する際、その間の勤行の場が必要でした。書院はその仮の本堂として建てられたと伝わります。本堂の完成後も取り壊されず、しだいに接客の座敷へと用途を変えていきました。
Q登録有形文化財と指定文化財はどう違うのですか。
A指定は国宝や重要文化財など特に価値の高いものを対象とする古くからの制度で、保護が手厚い反面、制限も強くなります。登録は平成八年に始まった緩やかな制度で、地域の歴史的景観を支える建物を幅広く対象とします。如意寺書院は登録の建造物です。
Q周辺を訪ねるのに適した季節はいつですか。
A近隣の香嵐渓や東部丘陵の楓が色づく十一月下旬がいちばん華やかですが、その分混み合います。落ち着いて歩きたい方には、春や初秋も穏やかでおすすめです。

基本情報

名称如意寺書院(にょいじしょいん)
所在地愛知県豊田市力石町黒見175
所有者宗教法人如意寺
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23−0361
登録年月日平成25年(2013)3月29日
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
年代江戸後期(1751〜1830ごろ)/明治42年(1909)増築
員数1棟
構造・形式木造平屋建、切妻造桟瓦葺、建築面積約184平方メートル
宗派真宗大谷派(東本願寺)
アクセス豊田市中心部から車で約25分。猿投グリーンロード力石インターチェンジに近い
公開状況現役寺院のため書院内部は通常非公開。境内からの拝観可。詳細は寺院に要確認

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「如意寺書院」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009463
如意寺 (豊田市) ― ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/如意寺_(豊田市)
如意寺|石野の名所|とよたド真ん中 いこまい石野
https://www.ikomaiishino.com/spot/spot_nyoiji.html
豊田市の文化財(指定・登録・選定)|豊田市
https://www.city.toyota.aichi.jp/kurashi/shogaigakushu/1009223/1005361.html
ツーリズムとよた(交通アクセス・周辺情報)
https://www.tourismtoyota.jp/tools/access/

最終更新日: 2026.06.17