蟹江川のほとりに並ぶ二棟の本殿

名古屋の西に広がる低い三角州の地、蟹江川が稲田のあいだを流れていく蟹江町に、地元の人が「須成(すなり)さん」と呼びならわす神社がある。正式な社名は長い。冨吉建速神社(とみよしたてはやじんじゃ)と八劔社(はちけんしゃ)。須成地区にひとつの境内を分け合う二つの社であり、合わせて須成神社とも呼ばれる。拝殿の奥には、石の壇の上に檜皮葺の本殿が二棟、並んで建つ。向かって右が冨吉建速神社の本殿である。一間社流造、正面の屋根が長くゆるやかな曲線を描いて階段の上にかかる、小ぶりな社殿だ。その左に建つやや大きな三間社の社殿が八劔社の本殿で、流造に連なる形式をとる。いずれも室町時代の建築で、昭和二十八年(一九五三)三月、同じ日に重要文化財に指定された。

冨吉建速神社本殿は室町後期、おおむね一五七二年までの一世紀ほどのあいだに建てられたと位置づけられている。規模は控えめだが、木組みは確かである。檜皮葺の屋根が描く曲線、軒下の組物、梁を支える蟇股(かえるまた)の彫り。隣の八劔社本殿では、その蟇股に唐草文様が刻まれ、研究者はこれを桃山時代の豊かな装飾へと向かう推移の早い兆しと読む。二棟が指定を受けたのは、ひとつの見どころのためというより、室町期の神社建築の手法をよく残している点による。建立の年代を記す棟札も、社殿とあわせて指定に含められた。

祭神には、この社の重なり合った歩みが映る。冨吉建速神社は素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀るが、その歴史の大半において、この社は疫病とその除けの神である牛頭天王(ごずてんのう)の社として知られていた。現在の社名は、明治の神社改めののちのものである。八劔社は、草薙の神剣の御霊を、近隣の熱田の五神とともに祀る。中世以降、この社はこの一帯を覆っていた冨吉荘の総鎮守としての役割を担った。

百日にわたる川祭り

この社の名を蟹江の外へと広く運んでいるのは、その祭礼である。須成祭は両社の祭礼であり、蟹江川を舞台とする川祭りで、古い牛頭天王の信仰と、疫病を払い五穀豊穣を願う祈りに根ざす。祭りはその長さで知られる。夏の初めの稚児定めから秋の終わりの行事まで、およそ百日に及ぶことから、地元では「百日祭り」の名で呼ばれてきた。

祭りは二つの流れからなる。ひとつは神葭(みよし)の神事である。川岸に茂るヨシを刈り、神体として冨吉建速神社に祀り、その年の災厄をヨシに託す。長く神棚に祀ったのち、川に流して燃やし、一連の循環を閉じる。もうひとつが、八月第一週末の車楽船(だんじりぶね)の川祭である。土曜の宵には数百の提灯をともした巻藁船(まきわらぶね)が川を上り、日曜の朝には男女の神の人形を乗せた車楽船が、囃子を水の上に響かせながら続く。川に架かる御葭橋(みよしばし)は、船を通すために跳ね上げられ、また下ろされる。開くのはこの二日間だけである。

祭りの位置づけは、段階を追って高まってきた。昭和五十五年(一九八〇)に愛知県の無形民俗文化財に指定され、平成二十四年(二〇一二)には重要無形民俗文化財に、そして平成二十八年(二〇一六)十二月、ユネスコにより「山・鉾・屋台行事」の一つとして無形文化遺産に登録された。平成三十年(二〇一八)に町に開かれた観光交流センターは、八月の二日間を外して訪れる人のために、いまも一年を通じて祭りの来歴を伝えている。

創建の伝承と訪ね方

この社の始まりは、記録というより伝承に包まれている。地元に伝わる話では、天平五年(七三三)に僧・行基がこの地の寺の鎮守として創建し、木曽義仲の名で知られる源義仲が寿永元年(一一八二)に再興し、織田信長が天文十七年(一五四八)に社殿を修復したとされる。これらの真偽は定かでない。文献から確かにたどれるのは、戦国から近世にかけての継続的な庇護である。疫病の流行に際して豊臣秀吉が供物を献じたことや、江戸時代に尾張徳川家から扶持が与えられたことが伝えられている。現在の社殿は、昭和五十一年(一九七六)と平成八・九年(一九九六〜九七)の修理事業によって保存され、文化庁・愛知県・蟹江町と、須成の人々の協力がこれを支えた。

境内は真言宗の寺・龍照院(りゅうしょういん)と隣り合う。寺もまた同じ創建の伝承を共有し、重要文化財の木造十一面観音立像を蔵する。両者は徒歩のうちに行き来できる距離にあり、地元のガイドの会が毎月定まった日に両所を案内している。社殿は一年の大半を静かに訪ねられる場で、拝殿の奥に檜皮葺の二棟がのぞき、祭りの提灯船を心に思い描きながら歩くことになる。

社は愛知県海部郡蟹江町の須成地区にあり、JR関西本線の蟹江駅から徒歩約十五分、東名阪自動車道の蟹江インターチェンジにも近い。境内は自由に歩け、参拝は無料だが、門の奥の拝殿まわりは祭礼や神事の日を除いて閉じられていることがあり、二棟の本殿はおおむね参道から眺めることになる。訪ねる時期を選ぶなら、八月第一週末には船と人出があり、それ以外の季節には社殿を静かに見ることができる。

Q&A

Qここで重要文化財に指定されているのは何ですか。
Aひとつの境内に並ぶ二棟の本殿です。冨吉建速神社本殿は一間社流造・檜皮葺で室町後期の建築。隣の八劔社本殿はやや古く、三間社流見世棚造・檜皮葺のより大きな社殿です。いずれも昭和二十八年(一九五三)に、棟札を含めて指定されました。
Qなぜこの神社は有名なのですか。
A主に祭礼の須成祭によります。夏から秋にかけておよそ百日続く川祭りで、平成二十八年(二〇一六)にユネスコの無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つに登録されました。船が出るのは八月第一週末です。
Q神社はいつ、誰が創建したのですか。
A伝承では、天平五年(七三三)に僧・行基が創建し、のちに源義仲が一一八二年に再興、織田信長が一五四八年に修復したとされます。これらは記録というより言い伝えで、現存する本殿そのものは室町時代の建築です。
Q祭神は誰ですか。
A冨吉建速神社は素盞嗚尊を祀ります。歴史の大半は疫病の神である牛頭天王の社で、現在の社名は明治期のものです。八劔社は、草薙の神剣の御霊を熱田の五神とともに祀ります。
Qアクセスは。
A愛知県海部郡蟹江町の須成地区にあり、JR関西本線の蟹江駅から徒歩約十五分です。境内は無料で入れますが、門の奥は祭礼や神事の日を除いて閉じられていることがあり、本殿は参道から眺めるのが通常です。

基本情報

名称冨吉建速神社本殿
所在地愛知県海部郡蟹江町大字須成
指定区分重要文化財(昭和二十八年〔一九五三〕三月三十一日指定。棟札を含む)
構造一間社流造・檜皮葺。室町後期
並立する社殿八劔社本殿:三間社流見世棚造・檜皮葺。こちらも重要文化財
祭神素盞嗚尊(古くは牛頭天王)
祭礼須成祭。ユネスコ無形文化遺産(二〇一六)。船は八月第一週末
所有冨吉建速神社八劔社
アクセスJR関西本線 蟹江駅から徒歩約十五分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 冨吉建速神社本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1272
文化遺産オンライン 冨吉建速神社本殿
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146471
蟹江町公式ホームページ 「須成地区」の歴史・文化
https://www.town.kanie.aichi.jp/soshiki/18/sunari-bunka.html
愛知県観光ガイド AichiNow 冨吉建速神社・八劔社
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/1872/

最終更新日: 2026.06.24