上層を失った多宝塔
名古屋市の西に接する海部郡大治町。住宅地の一角に、方形の堂が一棟、重い宝形屋根を載せて建っている。一見すると塔には見えないこの建物は、もともと二層の多宝塔であった下層部だけが残ったものである。明治24年(1891年)の濃尾地震で大きな被害を受け、上層が撤去された結果、現在の姿になった。平成26年(2014年)10月7日、登録有形文化財(建造物)に登録されている。
内部には木造大日如来坐像が安置されることから、地元では「大日堂」とも呼ばれる。塔としての形を失っても、堂としての役割は続いてきた。多宝塔は方三間の下層に円形の上層を重ねる独特の形式をとるが、ここでは下の方形部分のみが時を越えて残された。
建物が属する明眼院は、五大山と号する天台宗の寺院である。寺伝では延暦21年(802年)に安養寺の名で創建されたとされ、室町時代以降は眼病治療の寺として全国にその名が広まった。馬嶋流眼科と呼ばれる治療法がここで発展し、遠方からも患者が訪れた。日本最古の眼科専門施設とされることも多い。
登録有形文化財という枠組み
日本の建造物の保護には、二つの制度がある。一方は国宝・重要文化財として特に価値の高いものを指定し、厳格に管理する制度。もう一方が、平成8年(1996年)に始まった登録制度である。こちらは指定よりも対象を広くとり、規制を緩やかにしたうえで、所有者が使いながら維持していくことを促す仕組みになっている。旧多宝塔はこの登録制度のもとに加えられた。
一層に減じてなお、その構造には見るべき点が残る。四天柱には直径九寸ほどの円柱を用い、側廻りには七寸ほどの面取角柱を立てる。両者を繋ぐのは、屈曲の強い海老虹梁である。軒まわりには拳鼻付の三斗を組んで外部出組とし、中備には蟇股と蓑束を置く。天井には格天井を張る。文化庁は、尾張地方に多く残る多宝塔の遺例の一つとして、この建物を評価している。
見どころ
少し離れて堂を眺めると、失われたものの大きさが見えてくる。重い屋根がそのまま方形の身舎に載っているが、この身舎は本来、最上部となるはずの部分ではなかった。上には円い亀腹と円筒形の上層が重なっていたのである。詰まったような均衡そのものが、この建物の興味深さである。
建立年代は定まっていない。寺伝は室町時代とするが、露盤には江戸時代初期の慶安2年(1649年)の銘が刻まれている。これは13世・円慶による大修理の記録と考えられているが、その文面から円慶が再興・建立したとする説もある。明治24年に上層を撤去した際、相輪も2つを残して取り除かれた。建物自体がその来歴の不確かさを抱え込んでいる。
堂内の大日如来坐像は秘仏であり、平時は公開されない。明眼院を訪ねても、対面できるのは主に外観である。かつて仁王門に立っていた木造仁王像は、造形から慶派の仏師の作と考えられ、13世紀末から14世紀初頭の造立とされる。仁王門は濃尾地震で倒壊して撤去されたが、二躯は旧門跡の屋根付きの覆屋に安置されている。境内を訪れた際にあわせて見ておきたい。
明眼院の周辺
寺は大治町役場に近い狭い街路の中にあり、名古屋の中心部から名鉄バスで西へ向かうと近い。公開は限られ、堂は常時開いているわけではないため、境内以上を見たい場合は事前に問い合わせるのが無難である。庭園は、治療に訪れた小堀遠州が作庭したと伝わり、寺の静かな趣の一部をなしている。
堂内に入れない場合でも、予約のいらない見どころがある。江戸時代中期に明眼院に建てられた客殿「応挙館」は、のちに東京国立博物館の敷地へ移築され、現在は同館の裏庭に建つ。眼病治療のため明眼院を訪れた円山応挙はその障壁画に関わったと伝わり、本居宣長の子である国学者・本居春庭もここで治療を受けたという。名古屋は、再建された城、熱田神宮、活気のある大須など見どころに富み、一日の拠点として便利である。
Q&A
- 堂内に入って大日如来坐像を拝観できますか。
- 大日如来坐像は秘仏で、平時は公開されていません。堂も常時開いているわけではないため、境内以外を見たい場合は寺へ事前に問い合わせてください。
- なぜ多宝塔と大日堂の両方で呼ばれるのですか。
- もとは二層の多宝塔として建てられました。地震被害で上層が撤去されたのち、残った下層が大日如来坐像を安置し続けたため、地元では大日堂とも呼ばれるようになりました。
- 明眼院と眼科治療のつながりは。
- 明眼院は馬嶋流眼科の拠点で、室町時代から近代まで眼病の治療を行いました。日本最古の眼科専門施設とされることが多い寺ですが、現在は医療行為を行っていません。
- どうやって行けばよいですか。
- 名古屋から津島方面の名鉄バスに乗り、大治町役場前で下車すると、寺まで徒歩約2分です。周辺は狭い住宅街なので、車の場合は時間に余裕をもってください。
- 寺が閉まっている場合、関連して見られるものはありますか。
- 明眼院に建てられた客殿「応挙館」が、東京国立博物館(上野)の庭に移築されており、そこで見ることができます。寺の歴史にふれる、訪れやすい手がかりになります。
基本情報
| 名称 | 明眼院旧多宝塔(みょうげんいんきゅうたほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県海部郡大治町大字馬島字北割114 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/平成26年(2014年)10月7日登録 |
| 構造 | もと二層の多宝塔の下層部。方三間、宝形屋根。内部に格天井を張る |
| 年代 | 寺伝では室町時代。露盤に慶安2年(1649年)の銘があり、13世・円慶による大修理(または再興・建立)の記録とされる |
| 所有 | 宗教法人明眼院(天台宗) |
| 公開状況 | 限定的。堂は常時公開ではなく、安置される大日如来坐像は秘仏。事前問い合わせを推奨 |
参考文献
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)/明眼院旧多宝塔
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243625
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
- Aichi Now(愛知県公式観光サイト)/明眼院
- https://www.aichi-now.jp/spots/detail/2694/
- 明眼院(日本語版ウィキペディア)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/明眼院
最終更新日: 2026.06.17