尾張平野で最も古い門
名古屋の西、あま市にある真言宗の寺、甚目寺。境内からは7世紀の瓦が出土するほどの古刹で、城下を守る尾張四観音の一つに数えられ、寺伝では推古5年(597年)の創建とされる。その来歴を訪れる者にまず告げるのが、境内正面に立つ二階建ての門、南大門である。
門は中央に一つの通路を開く三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造、薄い板を重ねたこけら葺き。あま市で最も古い木造建築であり、県内でも早い時期の門の遺構に属する。中央の通路を抜けると、左右に金剛力士、すなわち仁王が控える。
その年代については、率直に言って見解が分かれている。文化庁は建立の特徴から、この門を鎌倉後期、1275年から1332年の間に位置づける。一方で寺伝はより古く、建久7年(1196年)、源頼朝の命により梶原景時を奉行として建てられたとし、明治35年(1902年)の解体修理の際には「建久七年造立」と読める墨書が見つかったと伝えられている。二つの説は今も一致をみておらず、訪れる者はその両方を念頭に置いてよい。
指定の理由
南大門が重要文化財に指定されたのは明治33年(1900年)で、国内でも最初期の指定の一つにあたる。その価値は、古さと、和様による初期の木組みの明快さにある。
構造の細部が見る価値をもつ。柱はすべて円柱である。下層では三手先(みてさき)の斗栱が前へせり出して上の縁を受け、その縁を、端の刎ね上がった刎高欄(はねこうらん)が囲む。上層は下層よりも柱間を狭くとり、正面と背面の中央に両開きの板戸、ほかは板壁とする。尾垂木(おだるき)が斜めに突き出て深い軒を支える。これらは堂々とした初期の門の証であり、ここではそれが珍しいほど完全に残っている。
訪れる際の見どころ
下層の通路に立つ仁王像は、立ち止まって見たい。これ自体が県の指定文化財で、慶長2年(1597年)にこの地に生まれた戦国武将の福島正則が寄進したものである。門そのものより数百年若い、もう一層の郷土の歴史を門に重ねている。
門をくぐると、境内にはさらに指定建造物が控える。寛永4年(1627年)の三重塔と寛永11年(1634年)の東門で、いずれも重要文化財である。つまり南大門は、同じ境内に建つ三つの国指定建造物の一つということになる。甚目寺は甚目寺観音の名で親しまれ、本尊は秘仏として守られている。寺はあま市の中心にあり駐車場も備え、名古屋周辺の古刹をめぐる旅の立ち寄り先として訪ねやすい。
Q&A
- 門はどのくらい古いのですか。
- 資料で見解が分かれます。文化庁は鎌倉後期(1275〜1332年)とし、寺伝と明治35年の墨書は1196年を示します。いずれにせよあま市最古の木造建築です。
- どのような門ですか。
- 中央に一通路を開く二階建ての楼門で、三間一戸、入母屋造のこけら葺きです。下層の通路には仁王像が立ちます。
- 仁王像は誰が造ったのですか。
- 慶長2年(1597年)に、この地出身の武将・福島正則が寄進したものです。県の指定文化財となっています。
- 甚目寺には他に何がありますか。
- 境内には寛永4年(1627年)の三重塔と寛永11年(1634年)の東門という、二つの重要文化財の建造物もあります。
- 寺はどこにありますか。
- 名古屋の西、あま市の中心にあり、駐車場も備わります。名古屋周辺の古刹めぐりの立ち寄り先に向きます。
基本情報
| 名称 | 甚目寺南大門 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県あま市甚目寺 |
| 指定区分 | 重要文化財(明治33年〔1900年〕4月7日指定) |
| 年代 | 鎌倉後期・1275〜1332年(文化庁)。寺伝は建久7年(1196年)とする |
| 構造形式 | 三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺、1棟 |
| 所有者 | 甚目寺 |
| 公開状況 | 境内正面に建つ。自由に見学可 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1269
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/144968
最終更新日: 2026.06.24