長光寺の六角堂
稲沢市に、その建物の形がそのまま地名になった一画がある。長光寺の境内の中央に建つ六角形の堂、地蔵堂である。名高い理由はこの平面にある。六角の堂は日本では数が少なく、中世にさかのぼる例となればさらに稀だ。厚い板葺状の屋根は現在は銅板で覆われ、頂には鉄造の露盤の上に宝珠が立つ。その露盤に永正7年(1510年)の銘があり、建物の細部もこの年代と矛盾しない。
寺伝はさらに古く、応保元年(1161年)、尾張守平頼盛が病気平癒の礼として六角堂を寄進したと伝える。当時何が建っていたにせよ、現存する堂は室町時代後期のもので、明治39年(1906年)、全国でも早い時期に国の重要文化財に指定された。
唐様の建築
堂は、大工が唐様あるいは禅宗様と呼んだ様式で建つ。中国から伝わり、禅寺の堂によく用いられた語彙である。柱はすべて円柱。柱頭をつなぐ頭貫の先には象鼻に彫られた木鼻が付き、その上の組物は出組詰組として隙間なく密に並ぶ。建具は正面が腰板付の格子戸、両脇は桟唐戸である。一歩下がって軒を見上げたい。垂木は二軒の扇垂木として放射状に広がり、隅木の下には風鐸が下がる。
すべてが永正7年のままではない。軒より上の部分は天保年間(1840年頃)の修理で改められ、外陣まわりはそれより前の江戸中期に改変された。堂は数百年にわたる手入れの層を重ねている。それでもなお、県や市の評価では、中世に建てられた六角堂として現存する唯一の例である。
堂内の鉄地蔵と、その拝し方
堂の内部、奥壁の須弥壇には鉄造の地蔵菩薩立像が安置される。これ自体が国の重要文化財で、鎌倉時代の作、銘により文暦の年(1235年)とされ、像高はおよそ160センチ。鉄は銅より鋳造が難しく、この大きさと仕上がりの像は珍しい。本像は全国でも屈指の鉄仏として知られる。世に異変が起こる前に全身に汗をかいて知らせるという言い伝えから、「汗かき地蔵」の名で親しまれてきた。
堂は柵に囲まれ、普段は外から、正面の格子の一部を通して内部をうかがう。扉が開かれて間近に拝めるのは年に二日、2月下旬と8月下旬の地蔵会の朝である。臨済宗の寺である長光寺には、若き日の織田信長が好んで汲ませたと伝わる井戸「臥松水」も残り、この静かな境内が十六世紀の権力の中心近くにあったことを思い起こさせる。
Q&A
- 堂の形のどこが特別なのですか。
- 六角形である点です。日本建築では珍しい平面で、中世に建てられた六角堂として現存する唯一の例とされ、これが国指定の主な理由です。
- いつ建てられたのですか。
- 露盤の銘に永正7年(1510年・室町後期)とあり、建築の細部もこれに一致します。寺伝は応保元年(1161年)の堂を伝えますが、現存する建物は1510年のものです。
- 堂の中には何がありますか。
- 国の重要文化財である鉄造地蔵菩薩立像です。文暦の年(1235年)の作で、像高は約160センチ。異変の前に汗をかくという言い伝えから「汗かき地蔵」と呼ばれます。
- 堂内に入ったり、像を間近に見たりできますか。
- 堂は柵に囲まれ、普段は外から正面の格子越しに拝観します。扉が開くのは年に二日、2月下旬と8月下旬の地蔵会の朝です。
- 建築様式は何ですか。
- 唐様(禅宗様)です。円柱、密に並ぶ出組詰組、梁端の象鼻木鼻、二軒の扇垂木と隅の風鐸が特徴です。
基本情報
| 名称 | 長光寺地蔵堂(ちょうこうじじぞうどう) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県稲沢市六角堂東町 |
| 指定区分 | 国指定重要文化財(明治39年4月14日指定) |
| 年代 | 室町後期・永正7年(1510年) |
| 構造 | 六角円堂、一重、とち葺形銅板葺 1棟 |
| 所有者 | 長光寺 |
| 公開状況 | 柵の外から拝観。堂内開扉は年二回(2月下旬・8月下旬の地蔵会の朝)。 |
References
最終更新日: 2026.06.24