全国の登録有形文化財
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兒山家住宅離れは堺市の豪農の屋敷で座敷の東端に突き出す昭和初期の付属棟で、2002年に登録有形文化財となった。3畳の小室に三方の縁を廻し、湯殿と便所を張り出す。17平方メートルと小さいが、座敷に欠かせない施設とされる。
兒山家住宅門長屋は堺市の豪農の屋敷の正面に建つ江戸後期の長屋門形式の建物で、2002年に登録有形文化財となった。入母屋造本瓦葺、正面を黒漆喰、他を白漆喰とし、横連子窓を並べる。屋敷の正面構えの中心となる建物である。
昭和10年(1935)竣工、大阪市西区江戸堀に建つ大型の和風木造教会堂。建築面積531㎡、入母屋造の大屋根に二つの千鳥破風と裳階を構えた堂々たる姿が、戦災を免れて都心に残る。設計は池田谷久吉、施工は北井工務店。
天野山金剛寺の天野川東岸に続く江戸時代中期の築地塀。石垣の上に漆喰仕上げの土壁を立てて桟瓦を葺き、総延長は103メートル。東岸にあった旧子院群を画した塀で、近世の境内の様子を伝える。区間ごとに傷みと修理の記録がある。
大阪府河内長野市の天野山金剛寺、天野川東岸の旧理趣院跡に建つ昭和17年(1942年)の講堂。修養館とも呼ばれ、桁行12間の広い室内をトラスで架け、縦長のガラス窓が明るさを生む。平成29年に登録有形文化財となった。
天野山金剛寺の天野川東岸、大講堂のすぐ北に建つ昭和17年(1942年)の食堂。九尺幅の廊下の奥に食堂・炊事室・書庫を連ねた不整形の平面で、食堂だけを格天井とする。講堂と一連で建てられた近代寺院施設の好例とされる。
天野山金剛寺の境内入口近くで天野川に架かり、伽藍と鎮守社を結ぶ昭和16年(1941年)の木造橋。全長6.4メートル、切妻造銅板葺の屋根を橋とは独立した柱で支える。現在は全解体修理のため2027年3月末まで通行止めの予定。
天野山金剛寺本坊の庭園奥に建つ大正2年(1913年)の建物。入母屋造茅葺で、18畳間を中心に6室を並べ、御座の間だけを格天井とする。北朝の三上皇が留め置かれた観蔵院の跡にあり、寺は御座所とされた場所と案内する。
天野山金剛寺本坊の入口に北を向いて建つ明治後期の一間薬医門。明治の子院群統合の際に現在の位置へ移築・改修された。切妻造本瓦葺で、五平の親柱に冠木を渡し、太い木柄で大玄関とともに本坊の格式をよく示している。
天野山金剛寺本坊の庭園に面して建つ江戸中期の建物で、もとは子院・中院の庫裏。東向きで広縁を廻らせ、8畳間を3室連ねた2列の平面に筬欄間を入れる。改修の年は文化庁と寺の保存活用計画で記録が異なっている。
天野山金剛寺本坊の回遊式庭園の一端をなす江戸中期の仏堂で、もとは子院・中院の持仏堂。3間四方で東を向き、背面に仏壇を張り出す。宝形造銅板葺の屋根を面取角柱と舟肘木で支える、近世子院の持仏堂の好例である。
天野山金剛寺で子院群が統合された明治44年(1911年)に建てられた本坊の玄関棟。本瓦葺の主体部に6畳・8畳・6畳を並べ、檜皮葺の式台玄関を付ける。南縁の海老虹梁も見どころで、令和2〜4年に半解体修理を受けた。
天野山金剛寺本坊の持仏堂の背後に建つ明治44年(1911年)の茶室。4畳半に水屋が付き、下地窓・貴人口・躙口を別々の面に配し、天井は掛込と棹縁を組み合わせる。東端部を懸造状につくる質の高い茶室とされる。
天野山金剛寺本坊で大玄関と奥殿をつなぐ大正期の渡り廊下。幅1間の檜皮葺で、中ほどに宝形造茅葺の四阿を設ける。丸太や竹を主な材とし、床を磚の四半敷とする草庵風の造りで、庭園とともに境内の景観をつくっている。
天野山金剛寺の天野川東岸、大講堂の南に建つ明治中期の建物。南半は向唐破風の式台玄関を付けた子院・無量寿院、北半は妻入の籠堂で、古式の二重虹梁大瓶束とガラス建具が同居する。令和元〜3年に修理と減築が行われた。
和泉市の西教寺の境内正面に構える明治後期の薬医門と築地塀。大門は間口2.4メートルで、妻の大瓶束に雲紋の笈形、棟の束に一対の龍の笈形を付ける。左右の築地塀は総延長12メートルで、壁面に定規筋2本を引く。
和泉市の西教寺で本堂の後方に建つ明治中期の二階建書院。本堂から二階へ廊下がのび、上下階とも八畳2室と縁からなる。二階の奥を上段の間として座敷飾りを備え、次の間に火灯窓を開く、貴人の接遇のために整えた書院。
和泉市の西教寺で境内北辺の東寄り、太鼓楼と経蔵のあいだに建つ昭和前期の一間薬医門。間口2.1メートルの切妻造本瓦葺で、五平の本柱に冠木を渡し、梁を3本架ける。境内北面の街路景観を整える門となっている。
和泉市の西教寺で本堂前庭の北寄りに建つ明治24年(1891年)頃の経蔵。正方形平面の土蔵造で宝形造本瓦葺に宝珠を載せ、外壁は軒まで漆喰で塗り込めて柱や舟肘木、蟇股まで漆喰で表す。内部は素木で経棚を設ける。
和泉市の西教寺で本堂の左手に接続する安政6年(1859年)の玄関と書院。正面の式台に筬欄間を立て、虹梁の絵様や蟇股を波と雲の文様に彫り、格天井を張る。六畳の玄関から四畳を介し、八畳・六畳の書院へ続く。