旧西廣家住宅(治郎吉)倉庫(北倉) ―― 銚子に残る、数少ない江戸の建物

銚子には江戸時代の建物がほとんど残っていない。江戸期を通じて栄えた港町でありながら、である。昭和20年(1945年)の空襲が市街の大半を焼いた。だから川口町一丁目のこの倉庫は、市内でも数えるほどしかない幕末以前の建築ということになる。

敷地の東方、一段高くなった場所に、西を向いて建つ。建築面積95平方メートル、木造平屋一部2階建、瓦葺。文化庁の国指定文化財等データベースは年代を慶応年間(1865年~1867年)と記録している。ただし千葉県教育委員会の解説は「慶応年間建築の伝承を持ち」という書き方をしており、確定した建築年ではなく伝承にもとづく年代であることが読み取れる。大政奉還の直前という時期にあたる。

用途は漁網の保管だった。

ここに西廣家という船主の家の実態がある。網を守るための建物を、住まいより先に、慶応年間から持っていた。網は高価で、傷めば漁ができない。麻や木綿の網は湿気で腐り、日光で劣化する。だから閉じた箱に入れて守る必要があった。

閉ざされた構成、深く延びる下屋

構成を文化庁の解説文にそって追うと、中心にあるのは切妻造平入の2階建部分である。その正面と両側面、三方に下屋が深く延びる。壁は竪板張、屋根は桟瓦葺。

開口部は極端に少ない。正面中央に扉口をひとつ開き、あとは2階の南妻面に窓があるだけ。それ以外は閉じている。文化庁はこの構成を「閉鎖的」と表現している。

閉じているのには理由がある。網を守るには、雨も日差しも風も入れないほうがよい。三方に延びる下屋は、壁面に直接雨がかかるのを防ぐ庇として働く。竪板張の壁は、板を縦に張ることで水が下へ流れ落ちる。装飾を目的とした造りは、ほとんど見当たらない。

屋根瓦については、地元では銚子の黒生(くろはえ)で採れる黒い粘土から作られた瓦が用いられていると伝えられている。すでに生産されていない瓦とされるが、これは地域の伝承にもとづく情報であり、一次資料で確認できるものではない。

造形の規範として

北倉は平成30年(2018年)3月27日、登録有形文化財(建造物)となった。登録番号は12-245。同じ日に主屋、缶詰工場、南倉、煉瓦塀が登録され、4棟1基が旧西廣家住宅として文化財の枠に入っている。

登録基準は「造形の規範となっているもの」。缶詰工場や煉瓦塀が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で登録されたのとは異なる。飾り気のない漁網倉庫が、造形の規範として評価されたことになる。

矛盾ではない。用途から導かれた形が、そのまま建築の型として成立している、という評価である。深い下屋も、閉じた壁面も、網を守るという要求への応答であり、その応答が地域の倉庫建築の一つの完成形になっている。

登録有形文化財は平成8年(1996年)に始まった制度で、国宝や重要文化財の「指定」と違い、届出制を基本とする。所有者が建物を使いながら守ることを前提とした仕組みである。この倉庫は現在も収納の場として使われており、銚子市の解説によれば、漁網のほか船舶を補修するための器具や建具、高膳などが置かれているという。文化財になった今も、物を入れる場所であり続けている。

見どころ

まず、正面に立って全体の輪郭を見る。中心の2階建部分が三方の下屋に包まれた形は、遠目には平屋の大きな小屋に見える。近づくと、下屋の屋根の下から2階部分の切妻が持ち上がっているのがわかる。この二重の構成が、この倉庫の骨格である。

南妻面の窓を探してほしい。この建物で唯一と言っていい、外に開かれた開口部だ。すぐ隣の南倉には、この位置に窓がない。二棟を並べて見ると、同じ設計思想のなかでの小さな判断の違いが浮かび上がる。

竪板張の壁は、風雨に叩かれてきた分だけ表情が出ている。慶応年間から数えて150年余り。板は当然入れ替わっているだろうが、張り方そのものは変わっていない。

ひとつ注意しておきたいのは、この倉庫には説明の案内板が立っていないことである。主屋から少し離れた高みに、静かに建っている。公開日に文化財ガイドの案内を受けるのが、この建物を理解する最も確実な方法になる。

公開は毎月第2・第4日曜日の午前10時から午後3時まで。中止となることがあるため、銚子市の文化財・ジオパーク室(電話 0479-21-6662)に事前確認を。

Q&A

Q慶応年間の建築というのは確実な情報ですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは年代を慶応年間(1865年~1867年)と記載していますが、千葉県教育委員会の解説では「慶応年間建築の伝承を持ち」とされています。棟札などによる確定ではなく、伝承にもとづく年代と理解するのが妥当です。
Q南倉との違いは何ですか。
A構成はほぼ同じですが、北倉のほうが大きく、建築面積は95平方メートル(南倉は59平方メートル)です。また北倉は2階南妻面に窓を開くのに対し、南倉は2階妻面に開口部を設けず、1階南面に窓があります。二棟は隣り合って建っています。
Q下屋とは何ですか。
A主となる屋根から一段低く差し掛けられた屋根、およびその下の空間を指します。北倉では中心の2階建部分の正面と両側面、三方にこれが深く延びており、壁面を雨から守る役割を果たしています。
Qなぜ銚子に江戸時代の建物が少ないのですか。
A昭和20年(1945年)の空襲で市街の多くが焼失したためです。江戸時代から漁業と醤油醸造で栄えた町でありながら、古い建築はごく限られています。川口町一丁目の一角は被害を免れ、この倉庫が残りました。
Q中には何が入っているのですか。
A銚子市の解説によれば、漁網のほか、船舶を補修するための器具や建具、高膳などが収められています。建てられた当初からの用途である漁網の保管が、現在も部分的に続いていることになります。

基本情報

名称旧西廣家住宅(治郎吉)倉庫(北倉)(きゅうにしびろけじゅうたく(じろきち)そうこ(きたぐら))
所在地千葉県銚子市川口町一丁目6271
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 12-245
登録年月日平成30年(2018年)3月27日
員数1棟
年代慶応年間(1865年~1867年) ※千葉県教育委員会は伝承にもとづく年代とする
構造及び形式木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積95平方メートル
登録基準造形の規範となっているもの
種別産業1次/建築物
所有者株式会社ランス
公開状況毎月第2・第4日曜日 10:00~15:00(文化財ガイドによる案内あり/中止の場合あり)
問い合わせ銚子市教育委員会 社会教育課 文化財・ジオパーク室 電話 0479-21-6662
アクセス銚子電鉄 本銚子駅から徒歩約15分

参考文献

国指定文化財等データベース 旧西廣家住宅(治郎吉)倉庫(北倉)(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012100
文化遺産オンライン 旧西廣家住宅(治郎吉)倉庫(北倉)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/442909
千葉県教育委員会 旧西廣家住宅(治郎吉)主屋ほか
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-101.html
銚子市 旧西廣家住宅(治郎吉)主屋・缶詰工場・倉庫(北倉)・倉庫(南倉)・煉瓦塀
https://www.city.choshi.chiba.jp/edu/sg-guide/page210179.html
銚子市観光協会 旧西廣家住宅公開(毎月第2・第4日曜日)
https://www.choshikanko.com/info/0266/

最終更新日: 2026.07.15