旧山根製錬所煙突|新居浜の街を見守る煉瓦のシンボル

愛媛県新居浜市の南郊、生子山(しょうじやま)の山頂に、空に向かって静かに立つ一本の煉瓦煙突があります。明治21年(1888年)に建設された旧山根製錬所煙突は、日本の重化学工業のはじまりを今に伝える貴重な産業遺構です。高さ19メートルの煉瓦造で、頂部には鋸歯飾りがめぐらされ、四角形断面の堂々とした姿をとどめています。地元の人々からは「えんとつ山」の愛称で親しまれ、新居浜のシンボルとして長く愛されてきました。平成21年(2009年)8月7日、国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。

歴史的背景──別子銅山と重化学工業の夜明け

旧山根製錬所煙突の歴史は、日本三大銅山のひとつに数えられる別子銅山の歴史と切り離して語ることはできません。別子銅山は元禄4年(1691年)に住友家により開坑され、昭和48年(1973年)の閉山まで283年にわたり日本の銅生産を支え続けました。明治期に入ると、住友家の総理人を務めた広瀬宰平は、近代化を推し進めるとともに、それまで廃棄されてきた低品位の鉱石をどう活用するかという課題に取り組みます。

その挑戦のために招かれたのが、東京帝国大学の教授であった岩佐巌でした。岩佐の設計により、明治21年(1888年)5月、惣開(そうびらき)地区の海岸沿いの製錬所と時を同じくして、山根製錬所が竣工します。ここでは湿式収銅法という方法で低品位鉱から銅を回収するとともに、副産物として硫酸などの化学薬品を製造し、さらには残留した鉄分から製鉄を行う実験まで進められました。これは、官営八幡製鉄所の設立に7年も先立つ取り組みであり、わが国における最古級の重化学工業の試みのひとつとされています。

しかし当時の技術力では海外製品に太刀打ちできず、加えて煙害問題も深刻化しました。背後にそびえる四国山地の影響で亜硫酸ガスが滞留し、周辺の農作物に被害が出たのです。事業として成り立たなくなった山根製錬所は、明治28年(1895年)にわずか6年あまりで閉鎖されました。それでも、煙を運び続けたこの一本の煙突だけは山頂に残り続け、120年を超える歳月を見届けてきたのです。

登録有形文化財に指定された理由

旧山根製錬所煙突は、平成21年(2009年)8月7日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。指定理由として挙げられているのは、低品位鉱の有効利用を図るために築かれた製錬所施設の現存遺構である点、そして別子鉱山における事業発展の歴史を示す地域のランドマークとしての価値です。

この煙突の希少さは、日本各地に残る酒造や醤油醸造の煉瓦煙突とは一線を画す点にあります。明治期の重化学工業に直接結びつく煉瓦煙突で、しかも完全な姿で現存しているものはきわめて少なく、わが国産業近代化の最前線を物語る建造物として、教育的・技術的・象徴的な意義が高く評価されています。

建築の見どころ

煙突は高さ19メートル、四角形平面の煉瓦造で、煉瓦の積み方には堅牢さで知られるイギリス積が用いられています。これは長手のみの段と小口のみの段を交互に積む方法で、明治期の産業建築でしばしば採用されました。さらに頂部には鋸歯飾り(のこばかざり)と呼ばれる装飾的なデンタル模様がめぐらされ、機能本位になりがちな煙突に一抹の優美さを与えています。地元の人々がこの煙突を「愛らしい姿」と表現するのは、こうした細やかな意匠ゆえでしょう。

間近で味わう煉瓦の質感

煙突の根元まで歩いて近づくと、130年を超える歳月が刻まれた煉瓦の表情を間近に観察できます。風雨にさらされて色合いに濃淡が生まれ、修復の痕跡も丁寧に残されています。円筒形ではなく四角形の平面をとるため、空を背景にしたシルエットには独特の存在感があり、撮影スポットとしても人気があります。

煙道跡と「えんとつ山倶楽部」の整備

かつて山麓の製錬所建屋から煙突まで煙を運んだ煙道(えんどう)の遺構も、登山道沿いに辿ることができます。地元の有志による「えんとつ山倶楽部」が散策路の整備や案内板の設置、周辺の景観保全をボランティアで続けており、訪れる人がその歴史を学びながら歩けるようになっています。

展望と夜のライトアップ

煙突の足元には小さな広場が整備され、新居浜市街と燧灘(ひうちなだ)の海、そして晴れた日には瀬戸内海の島々まで望むことができます。日が暮れると煙突は静かにライトアップされ、夜空に浮かぶ煉瓦の姿は新居浜を代表する景観のひとつとなっています。

アクセスと訪れ方

登山口は山根公園に隣接しています。松山自動車道の新居浜インターチェンジから車で約5分、山根競技場のグランド脇の駐車場に車を停めると、すぐに「えんとつ山」と書かれた案内標識が見つかります。よく整備された遊歩道をゆっくり登っても10分から30分ほどで頂上に到着でき、地元の小学生の遠足コースとしても親しまれているほど穏やかな道のりです。とはいえ山道ですので、歩きやすい靴と水分補給の準備はしておくと安心です。

入場料はかからず、日中であれば自由に訪れることができます。体力に余裕のある方は、煙突から先へ進み、南北朝時代の山城跡が残る生子山(標高300.5メートル)や、さらに奥の犬返・西赤石山方面への縦走路へとつなぐこともできます。

周辺の観光情報

山根地区一帯は、別子銅山三百年の歴史を語る産業遺産の宝庫です。登山口のすぐ脇には、同じく国の登録有形文化財に登録されている山根競技場観覧席(玉石空積による湾曲した石垣の観覧席)があり、新居浜太鼓祭りの「山根公園統一かきくらべ」の舞台ともなっています。徒歩圏には住友グループが運営する別子銅山記念館があり、入館無料で別子銅山の歴史や精錬技術、坑内作業の様子をジオラマや実物資料で紹介しています。さらに南へ車で進むと、旧端出場(はでば)採鉱本部跡を活用したテーマパーク「マイントピア別子」があり、観光鉱山列車や坑道見学、日帰り温泉「別子温泉~天空の湯~」などを楽しむことができます。これらをあわせて巡れば、日本近代化の現場を一日かけて体感する旅になるでしょう。

Q&A

Q旧山根製錬所煙突はいつ建てられ、どのくらい使われたのですか?
A明治21年(1888年)5月に山根製錬所の竣工とともに完成しました。製錬所自体は経営難と煙害により明治28年(1895年)に閉鎖されたため、稼働期間はおよそ6〜8年と短いものでしたが、煙突はその後も山頂に残り続けています。
Q誰が設計し、どのような目的で造られたのですか?
A住友家の総理人だった広瀬宰平の招きに応じて、東京帝国大学教授の岩佐巌が設計しました。それまで捨てられていた低品位の銅鉱石から銅・硫酸・鉄を回収することを目的とした、わが国最古級の重化学工業施設です。
Qなぜ「えんとつ山」と呼ばれているのですか?
A本来この山は生子山(しょうじやま)といいますが、煉瓦造の煙突が長きにわたり山頂に立ち続けてきたことから、地元の人々の間で「えんとつ山」の愛称が定着しました。今では新居浜のシンボルとして親しまれています。
Q登山は大変ですか?
A登山口から煙突までは10分から30分ほどの整備された遊歩道で、初心者やお子様連れでも安心して登れる穏やかなコースです。地元の小学校の遠足にも選ばれるほどです。歩きやすい靴で訪れることをおすすめします。
Q夜のライトアップは見られますか?
A煙突は夜間にライトアップされており、市内各所からその姿を望むことができます。ただし登山道は夜間は照明がありませんので、夜は遠景として楽しみ、登るのは日中の時間帯にすることをおすすめします。

基本情報

名称 旧山根製錬所煙突(きゅうやまねせいれんじょえんとつ)
指定区分 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:平成21年(2009年)8月7日
竣工 明治21年(1888年)5月
設計・建設 設計:岩佐巌(東京帝国大学教授)/建設依頼:住友 広瀬宰平
構造 煉瓦造、四角形平面、イギリス積、頂部に鋸歯飾り
高さ 19メートル
員数 1基
所在地 愛媛県新居浜市角野新田町3-2822-1(生子山=通称「えんとつ山」山頂)
所有者 新居浜市
アクセス 松山自動車道 新居浜ICから車で約5分、山根公園駐車場より遊歩道を徒歩約10〜30分
入場料 無料(屋外、日中の見学を推奨)

参考文献

文化遺産オンライン|旧山根製錬所煙突
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187713
新居浜市公式ホームページ|新たな登録有形文化財(2)旧山根製錬所煙突
https://www.city.niihama.lg.jp/soshiki/dozan/torokuyamaneentoru.html
新居浜市公式ホームページ|旧山根製錬所煙突が市の所有になりました
https://www.city.niihama.lg.jp/soshiki/dozan/entotsusyoyu.html
いよ観ネット|生子山(煙突山)
https://www.iyokannet.jp/spot/2833
四国ツーリズム|生子山(煙突山)
https://shikoku-tourism.com/spot/11826
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007811

最終更新日: 2026.04.29