旧内山家住宅主屋とは
旧内山家住宅主屋は、福井県大野市城町10-7にある明治15年(1882年)頃建築の木造2階建の住宅で、平成30年(2018年)に国の登録有形文化財に登録された。読みは「きゅううちやまけじゅうたくしゅおく」。
旧内山家住宅主屋は屋敷のほぼ中央に建ち、南を正面とする。切妻造の平入で、四方に下屋を廻して軒を低く張り出しており、建築面積は180㎡ある。平成4年(1992年)に解体復元の改修を受け、現在は大野市の「武家屋敷旧内山家」の中心となる建物として公開されている。
明治に建てた近世の格式
旧内山家住宅主屋は「造形の規範となっているもの」として登録有形文化財になった。文化庁の解説が評価するのは、明治に入ってから建てられたにもかかわらず、近世の武家住宅の格式を受け継いでいる点である。
その格式は、客を迎える場所にもっともよく表れる。正面には式台を備えた玄関を構え、上手の座敷には長押を廻して竿縁天井を張る。玄関と座敷に手をかけ、家族の暮らす部分とは別の顔を持たせるのは、江戸時代の武家屋敷に通じる作法だ。
廃藩から10年ほどたった時期に、なお武家の住まいの型で家を建てた。旧内山家住宅主屋の価値は、その選択が形として残っていることにある。
西の板の間と東の座敷
旧内山家住宅主屋の1階は、西と東で性格がはっきり分かれている。文化庁によると、西の半分は板床のニワと台所で、日々の家事を受け持つ場所。東の半分は8畳の部屋を田の字に4室並べ、その奥に6畳を付けた、接客と儀礼の場である。
大野市の案内では、1階は座敷・仏間・式台のある次の間(いずれも8畳)に6畳・4畳・ニワ・台所、2階は段差を付けた10畳2室に2畳と物置という構成になっている。8畳の数え方が文化庁の解説とは少し異なるので、現地では間取りを自分の目で確かめたい。
屋根にも見落とせない来歴がある。大野市によれば、旧内山家住宅主屋の屋根はもともと板葺で、復元修理の途中でそのことが分かった。いま目にする瓦の屋根は、修理後の姿である。
旧内山家住宅主屋の見どころと見学
旧内山家住宅主屋は内部が公開されている。見て回るなら、まず南の正面で式台玄関の構えを確かめ、上がったら座敷の長押と竿縁天井を見上げる。そこから西のニワと台所へ移ると、表と奥、客と家族の空間がどこで切り替わるのかが歩きながら分かる。
離れへは南東の渡り廊下が通じている。開館日と入館料は旧内山家住宅(大野市)のページにまとめた。撮影の可否は公式の案内が見つからなかったため(2026年9月確認)、受付で尋ねてほしい。
Q&A
- 旧内山家住宅主屋はいつ建てられましたか?
- 文化庁のデータベースでは明治15年(1882年)頃の建築です。平成4年(1992年)に解体復元の改修が行われました。
- 旧内山家住宅主屋が登録有形文化財になった理由は何ですか?
- 式台玄関や、長押を廻し竿縁天井を張った上手の座敷など、近世の武家住宅の格式を受け継ぐ点が評価され、平成30年(2018年)に「造形の規範となっているもの」として登録されました。
- 旧内山家住宅主屋の間取りはどうなっていますか?
- 1階の西半分が板床のニワと台所、東半分が田の字に並ぶ8畳4室と奥の6畳です(文化庁)。大野市は2階に段差を付けた10畳2室などがあると紹介しています。
- 旧内山家住宅主屋の屋根は建てられた当時から瓦葺ですか?
- いいえ。大野市によると、もとは板葺だったことが復元修理の途中で判明しました。現在は瓦葺です。
- 旧内山家住宅主屋の中は見学できますか?
- はい。大野市の施設「武家屋敷旧内山家」の一部として内部が公開されています(有料)。撮影の可否は受付で確認してください。
基本情報
| 名称 | 旧内山家住宅主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 福井県大野市城町10-7 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成30年(2018年)登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積180㎡(木造2階建) |
| 所有者 | 大野市 |
| 公開状況 | 公開(武家屋敷旧内山家として有料公開) |
参考文献
最終更新日: 2026.09.30