石坂トンネル(第2隧道)— 九州最古の現役鉄道トンネルを訪ねて
福岡県田川郡赤村と京都郡みやこ町の境、豊かな森に抱かれた山あいに、一基の赤煉瓦のトンネルがひっそりと佇んでいます。全長75メートル、明治28年(1895年)に竣工したこの「石坂トンネル(第2隧道)」は、九州に現存する最古の鉄道トンネルであり、いまなお平成筑豊鉄道田川線の列車が一日に何度もくぐり抜ける現役の施設です。明治時代の煉瓦と切石が130年余の歳月を経てなお日本の鉄道を支え続けているこの場所は、近代化産業遺産に関心のある旅行者にとって、まさに「生きた歴史」を体感できる貴重なスポットです。
筑豊炭田の近代化を支えた鉄道トンネル
石坂トンネルの物語は、石炭とともに始まります。19世紀後半、筑豊地域は日本でも有数の石炭産地であり、殖産興業を進める明治日本の動力源を担っていました。この「黒いダイヤ」を内陸の山間部から周防灘に面した行橋の港へと輸送するため、筑豊・京築地方の有力者たちが集い、地元企業として豊州鉄道株式会社が設立されます。そして明治20年代の終わりから、行橋と田川伊田を結ぶ鉄道路線の敷設が始まりました。
路線は明治28年(1895年)に開業し、石坂峠付近の大坂山の岩盤を貫く二本のトンネル(第一・第二石坂トンネル)は、路線全体の中でも最も難工事のひとつとなりました。このうち全長の長い「第二石坂トンネル」は、竣工以来一度も使用を停止することなく、現役の鉄道施設として活躍し続けています。その後、豊州鉄道は明治34年(1901年)に九州鉄道へと合併され、さらに国有化を経て国鉄田川線となり、昭和64年/平成元年(1989年)からは第三セクターの平成筑豊鉄道株式会社が運営を引き継いで、今日に至ります。
文化財指定の理由とその価値
石坂トンネル(第2隧道)は、平成11年(1999年)11月18日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録の理由には、九州に現存する最古の鉄道トンネルであるという歴史的意義に加えて、その構造と意匠が持つ固有の価値が挙げられます。
このトンネルは、日独双方の技術が出会った象徴的な建造物です。建設にあたっては、九州鉄道の技術顧問として招聘されたドイツ・プロイセン出身の鉄道技師ヘルマン・ルムシュッテルが指導にあたりました。当時の日本の鉄道技術はイギリス流が主流でしたが、ルムシュッテルはドイツ流の技術を持ち込み、九州鉄道ではメートル法が採用されるなど、以後の日本の鉄道発展に大きな影響を与えています。実際の施工を担当したのは、のちに九州鉄道の技師長も務めた野辺地久記(のべちひさき)でした。
トンネル本体は明治28年の竣工時の姿をほぼそのままに残しています。平面は曲線を描き、全長75メートル・幅8.1メートル。複線仕様の扁平な馬蹄形断面を持ち、坑門は切石積みで、アーチ部のみ煉瓦で構成されています。坑門の両端部には門柱状に迫り出した意匠が施され、ポータルに堂々とした風格を与えています。なお、複線を想定して建設されたものの、実際には今日まで単線で使用されており、トンネル内部の片側だけが広く空いているのはその名残です。
見どころと魅力
石坂トンネル最大の魅力は、ここが今も「現役」であるという事実そのものにあります。坑門の近くで線路を見守っていると、やがて気動車がトンネルの闇からゆっくりと姿を現す瞬間に立ち会うことができます。保存された「記念碑」ではなく、明治の構造物がそのまま日常の役割を果たし続けている—これほど贅沢な体験ができる産業遺産は、国内でも決して多くはありません。
建築的には坑門のデザインが圧巻です。下部は丁寧に加工された花崗岩の切石で築かれ、アーチ部には赤煉瓦が何層にも渡って積み上げられています。坑門の両端部で花崗岩がわずかに迫り出す門柱状の意匠は、まるで小さな凱旋門のように古典的な気品を漂わせています。トンネルの内部をのぞき込むと、煉瓦積みがゆるやかな曲線を描いて奥へと消えてゆき、複線仕様の幅広い断面に対して線路が片側に寄せて敷かれているのがわかります。
すぐ隣には、同じく明治28年に竣工した第一石坂トンネル(全長33.2メートル)が控えています。こちらは個別の登録文化財ではありませんが、同年に同一の技術で建設された「兄弟トンネル」で、二つを併せて「石坂トンネル」と呼びます。明治の土木技術を学ぶ野外教室として、二本を一緒に見学するのがおすすめです。
撮影スポットとしては、源じいの森駅のすぐそばにある橋の上が人気です。線路とトンネルの坑門、背後の山並みが自然に構図に収まり、朝もやの立ち込める時間帯や紅葉の季節には、田川線屈指の美しい風景が広がります。
アクセスと訪問情報
田舎の谷あいにある現役鉄道施設としては、アクセスは驚くほど便利です。平成筑豊鉄道田川線の源じいの森駅から、赤村側の坑門まではわずか徒歩1分ほど。田川線はJR日豊本線の行橋駅と田川伊田駅を結び、1両編成の気動車が1日に数往復運行しています。
トンネルの外観を眺めるだけであれば、入場料は無料で、年中見学可能です。ただし、このトンネルは営業中の鉄道線路であるため、線路内への立ち入りやトンネル内部への進入は絶対に行わないでください。見学は必ず周辺の道路・歩道、あるいは源じいの森駅付近の橋の上から行うようにしましょう。駅のほど近くにある「ほたる館」には、石坂トンネルの歴史を紹介する案内板や列車模型が展示されており、訪問前に立ち寄れば理解がいっそう深まります。
鉄道ファンには、平成筑豊鉄道が販売する1日フリー乗車券「ちくまるキップ」(大人1,000円・こども500円)が便利です。田川線・伊田線・糸田線が一日乗り放題となるため、石坂トンネル見学と沿線の他の文化財巡りを組み合わせるのに最適です。
周辺のおすすめスポット
石坂トンネルの周辺は、福岡県内でもとりわけのどかな里山風景が広がるエリアで、一日かけてゆっくりと滞在する価値があります。トンネルのすぐ隣には、キャンプ場・バンガロー・ログハウスと、良質な天然温泉「源じいの森温泉」を備えた複合施設「源じいの森」があります。亀をかたどったユニークな建物の温泉では、竹林に囲まれた露天風呂で心身を癒すことができ、日帰り利用も可能です。
少し足を延ばせば、同じく明治28年に豊州鉄道によって建設された「内田三連橋梁」(登録有形文化財)があります。三連の優美なアーチを持つ煉瓦橋で、田川線沿線の近代化遺産のなかでも特に美しい景観で知られています。また、廃線となった旧国鉄油須原線の跡を活用した「赤村トロッコ列車」は、原則として冬期を除く毎月第2日曜日(8月は第1日曜日)に運行されており、手押しトロッコで森とトンネルを抜けていく独特の体験ができます。
その他にも、標高456.5メートルの岩石山(がんじゃくさん)のハイキング、今川サイクリングロードでのサイクリング、赤村特産物センターでの新鮮な農産物の買い物なども楽しめます。初夏(5月下旬~6月)には源氏蛍が乱舞し、赤村では「ほたるバス」が運行されるなど、四季折々の里山の魅力が詰まった地域です。
Q&A
- トンネルの中を歩いて通り抜けることはできますか?
- いいえ、できません。石坂トンネル(第2隧道)は平成筑豊鉄道田川線の現役の営業用トンネルで、毎日列車が通行しています。線路内・トンネル内への立ち入りは厳禁であり、大変危険です。見学は必ず周辺の道路や源じいの森駅そばの橋の上など、安全な場所から行ってください。
- 福岡市や北九州市からはどのように行けばよいですか?
- 公共交通機関の場合、北九州方面からはJR日豊本線で行橋駅まで行き、平成筑豊鉄道田川線に乗り換えて源じいの森駅で下車するのが便利です。福岡市中心部からは自動車での移動が早く、高速道路経由でおよそ90分ほどです。北九州市から車では約60分が目安です。
- 第二石坂トンネルが他の古いトンネルと比べて特別なのはなぜですか?
- 九州に現存する最古の鉄道トンネルであり、明治28年の竣工当時の煉瓦と切石をほぼそのまま残したまま、今も毎日列車が通る現役施設であることです。さらに、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルが関わった日独技術交流の象徴であり、複線仕様で建設されながら単線で使用されているという明治期の産業計画の「未完の夢」が今も形として残っている点も、他に類を見ない特徴です。
- 入場料や見学時間に制限はありますか?
- 外からの見学は無料で、時間制限もなく自由に訪れることができます。ただし、トンネルをくぐる列車に乗る場合は平成筑豊鉄道の運賃が必要です。近隣の源じいの森温泉やキャンプ場には、それぞれ独自の営業時間と料金がありますのでご注意ください。
- 訪問に最適な季節はいつですか?
- 四季それぞれに異なる表情があります。春は新緑と桜、初夏(5月下旬~6月)には周辺に源氏蛍が乱舞し、秋には紅葉が山肌を彩り、冬の朝には坑門に霧が立ち込めて幻想的な雰囲気となります。鉄道写真を目的とする方には、特に秋の早朝がおすすめです。
基本情報
| 名称 | 石坂トンネル(第2隧道)(いしざかとんねる だいにずいどう) |
|---|---|
| 指定種別 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成11年(1999年)11月18日 |
| 竣工年 | 明治28年(1895年) |
| 構造 | 煉瓦造、全長75m、幅8.1m、石造・煉瓦造坑口 |
| 担当技師 | 野辺地久記(のべち ひさき) |
| 技術顧問 | ヘルマン・ルムシュッテル(ドイツ) |
| 建設 | 豊州鉄道株式会社 |
| 現所有者 | 平成筑豊鉄道株式会社 |
| 所在地 | 福岡県田川郡赤村大字赤6938-2 ~ 京都郡みやこ町大字崎山字石坂1506-2 |
| 最寄り駅 | 平成筑豊鉄道田川線「源じいの森駅」から徒歩約1分 |
| 入場料 | 無料(外観見学のみ。トンネル内への立ち入りは不可) |
参考文献
- 石坂トンネル(第2隧道) — 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192459
- 国指定文化財等データベース — 文化庁
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001459
- 第二石坂トンネル — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/第二石坂トンネル
- 近代化の礎|赤村の観光
- https://www.akamura.net/sightseeing/kindai.html
- 土木遺産 in 九州:第一石坂トンネル
- https://dobokuisan.qscpua2.com/heritage/fukuoka/fuk23_ishizakatonneru/
- 九州最古の鉄道トンネル — 筑豊百景
- https://chikuhoroman.com/2021/06/18/tunnel-ishisaka-history/
- 平成筑豊鉄道株式会社 公式サイト
- https://www.heichiku.net/
- 源じいの森 公式サイト
- https://www.genjii.com/
- ヘルマン・ルムシュッテル — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルマン・ルムシュッテル
最終更新日: 2026.04.22