石炭を引き上げた鋼の骨組み

田川市の中心部にある石炭記念公園に入ると、案内板を読むより先に視線が上へ引かれる。高さ28メートルの赤い鋼の櫓、その頂部で二つの大きな車輪が空を背にしている。旧三井田川鉱業所伊田竪坑の櫓で、明治42年(1909年)に据えられた。Ⅰ形鋼を用いた4本の鋼柱が骨組みを支え、頂部には二基の大型ヘッドシーブ、すなわち巻上索を導く溝付きの滑車が載る。西側には斜めのバックステイが添えられ、竪坑内を昇降するケージの引きを受け止めている。

櫓は、地下に隠れた構造の見える半分にあたる。真下には垂直の竪坑が掘り下げられ、そこをケージが上下して坑夫を降ろし、石炭を運び上げた。荷が動くたびにヘッドシーブが回る。記念碑としてではなく、車輪が最後に止まった瞬間のまま残る一つの機構として眺めると、その姿の意味がつかみやすい。

鋼が残された理由

伊田竪坑は三井の経営下にあった。三井は明治37年(1904年)に田川の炭鉱を引き継ぎ、旧来の坑では届かない深い炭層へ向けて近代的な大竪坑の開鑿を進める。その一環として櫓が立てられた。筑豊炭田に現存する唯一の鋼製櫓であり、明治期の竪坑櫓としては全国でも最大級の規模を保つ。平成19年(2007年)、国の登録有形文化財となった。登録は同年10月2日、告示は10月20日で、国土の歴史的景観に寄与しているものという基準による。

この基準の意味は小さくない。櫓が保護されたのは繊細な装飾のためではなく、まちの空を形づくってきた輪郭ゆえである。炭鉱そのものは段階的に幕を閉じ、三井が昭和39年(1964年)に撤退、最後の操業も昭和44年(1969年)までに終わった。坑口の跡地はのちに整備され、現在の公園と博物館になっている。周囲の伊田坑跡は平成30年(2018年)に国の史跡に指定された。操業期には要人の来訪もあり、昭和24年(1949年)の戦後巡幸で昭和天皇が視察したと記録される。

真下に立って見る

この櫓は、ゆっくり近づくほど見どころが増す。遠目には、同じ公園に並ぶ二本の煉瓦煙突と並んで一つの赤い輪郭に見える。近づくと構造が分かれて立ち上がる。Ⅰ形鋼のリベット打ちのフランジ、剥がれて鉄地の覗く塗装、巻上機へ索が走った位置に構える二基のヘッドシーブ。西へ下るバックステイを探せば、荷がどちらへ強く引いたかが読み取れる。

近くの煙突の裏手から階段が展望広場へ延びており、そこでは櫓と二本の煙突が香春岳の稜線を背に一列に並ぶ。夕刻には鋼が色づいた空に黒く沈み、写真を撮る人が集まる。櫓は柵で囲われて中に入ることはできないが、屋外に開かれ、田川伊田駅から歩いて自由に近づける。

Q&A

Q竪坑櫓とは何で、この櫓は何をしていたのですか。
A垂直の坑道(竪坑)の上に建てる塔です。頂部のヘッドシーブという車輪が、坑夫と石炭を乗せたケージを昇降させる索を導きました。筑豊炭田における三井の深い坑の一つ、伊田竪坑に付属していました。
Qいつ造られ、どのくらいの高さですか。
A明治42年(1909年)に据えられ、高さは28メートルです。この地域の鉱山構造物では珍しい鋼製で、筑豊に残る唯一の鋼製櫓とされます。
Q中に入ったり登ったりできますか。
Aできません。文化財として保存され柵で囲われていますが、石炭記念公園の中で基部まで無料で近づけます。煙突裏手の展望広場からは、櫓と煙突をまとめて見渡せます。
Q同じ場所で他に見るべきものは。
A櫓の傍らに立つ二本の煉瓦煙突と、公園内の田川市石炭・歴史博物館です。博物館はユネスコ「世界の記憶」に登録された山本作兵衛の記録画・記録文書を所蔵しています。

基本情報

名称旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓
所在地福岡県田川市大字伊田2734-1
指定区分登録有形文化財(登録 平成19年10月2日/告示 平成19年10月20日)
登録番号40-0051
年代明治42年(1909年)
構造鉄骨造、高さ28メートル。Ⅰ形鋼4本の鋼柱に二基のヘッドシーブと西側バックステイ
員数1基
所有者田川市
アクセス田川伊田駅から徒歩約8分。敷地は無料開放、構造物は外観見学のみ

参考文献

文化庁 — 国指定文化財等データベース(伊田竪坑櫓)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006466
田川市石炭・歴史博物館 — 公園と構造物のデジタルツイン
https://coalhistory-tagawa.com/
クロスロードふくおか — 石炭記念公園
https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/13044
TAGAWAコールマイン・フェスティバル — 公式サイト
https://tagawa-coalmine.com/

最終更新日: 2026.07.10