表門の東脇、建築面積十平方メートルの板蔵
渡部家住宅籾蔵は、福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平にある明治前期(1868年から1882年)の板蔵で、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
建築面積は10平方メートル。畳にしておよそ6畳ぶんで、乗用車1台の駐車スペースとさほど変わらない。それでもこの建物には文化庁の登録番号07-0246が与えられ、第97回登録として、同じ屋敷内の4棟とともに名簿に載っている。
建つ位置がいい。表門のすぐ東脇で、前面道路から敷地をのぞくと、瓦葺の門の妻と、その右手に続く低い棟とが同時に目に入る。籾すなわち脱穀前の米を納める蔵は、母屋から離して建てるのが常だった。台所から火が出たとき、家と一緒に一年の収穫まで失わないためである。
棟は東西に通り、出入口は妻側にある。妻入という。屋根は鉄板葺で、壁の躯体とは構造的に縁を切った置屋根とする。板壁の上にかぶせただけの屋根であるから、傷めば屋根だけを取り替えればよい。
板溝に横板をはめる、という解き方
壁に近づくと、この蔵がどう組まれているかは専門知識なしでも読める。柱の側面に縦の溝を突き、その溝へ横板を一枚ずつ落とし込んで、下から順に壁を閉じていく。板を留める釘はない。留めるのは柱の溝であり、板は季節ごとに木が湿気を吸い、また吐くのにあわせてわずかに動く。
同じ構法が内部の間仕切壁にも及んでいる。外から見える面だけを丁寧に仕上げ、内側は手を抜くという造りではない。ひとつのやり方を最後まで通した、手慣れた大工の仕事である。
小屋組も率直だ。桁行の中央、柱の立つ位置に梁を一本架け、その上に束を立てて棟木を受ける。垂木は半割丸太、つまり丸太を縦に二つ割りにして平らな面を下に向けたものを並べる。見せるための鉋がけはしていない。手元の材で目の前の課題を解いた、実用の建物である。
同じ敷地に建つ土蔵と比べると、造り分けの意図がはっきりする。土蔵は土蔵造2階建、建築面積45平方メートル、外壁は白漆喰で腰は海鼠壁とし、火から財を守る建物として仕立てられている。一方の籾蔵は板壁である。籾は呼吸させねばならない。
小さな農業施設が登録された理由
平成8年(1996年)に始まった登録有形文化財の制度は、国宝や重要文化財を生む指定制度とは性格が異なる。規制をゆるやかにし、使いながら守ることを前提とし、登録基準には「国土の歴史的景観に寄与しているもの」が置かれている。籾蔵に適用されたのも、この基準だった。
評価の軸は建築的な格ではなく、立地にある。文化庁の解説も、この蔵が敷地前方の景観を形づくっている点に触れている。道端で門と並び、屋敷が外に見せる顔の一部を担う。撤去すれば、門へ至る道行きから一段が抜け落ちる。
渡部家住宅では、令和3年2月4日に5棟が同時に登録された。建築面積193平方メートルの主屋は入母屋造で、軒はせがい造、もとは茅葺だったものを桟瓦葺に改めた際に小屋組を直している。年代は籾蔵と同じ明治前期。馬小屋は木造2階建、建築面積96平方メートルという農家の付属屋としては大ぶりな建物で、渡部家が馬産によって財を成した歴史につながる。これに土蔵、籾蔵、薬医門及び塀が加わる。
5棟をひとまとめに眺めると、浜通りの明治期における有力農家の暮らしの配置図が浮かぶ。米をどこに納め、馬をどこに置き、家財をどこにしまい、家族はどこで暮らし、その全体を道に向けてどう見せたか。
大川原という場所
大熊町は東京電力福島第一原子力発電所が立地する町であり、平成23年(2011年)3月11日の震災の後、全町避難となった。大川原地区は町の西寄り、内陸にある。避難指示が解除されたのは平成31年(2019年)4月10日で、大熊町では最初の解除だった。町は同地区を復興拠点と位置づけ、新庁舎は同年5月に業務を始めている。
渡部家の建物群は、その間ずっと建ち続けた。震災の後、浜通りでは古い民家の多くが取り壊されている。町の記録は、登録の背景として「ふるさとが失われるのではないか」という町民の声があったことを記している。登録は、場所を手放さないための手立てでもあった。
登録後、この屋敷は封をされたわけではない。町教育委員会と地域の「おおくまふるさと塾」が、清掃や草刈り、周辺史跡の徒歩見学などを重ねてきた。令和5年(2023年)1月には、町民と首都圏の学生ら約70人が集まって新春もちつき大会が開かれ、参加者は母屋の軒下でつきたての餅を食べ、町学芸員の説明を聞きながら土蔵や馬小屋を見て回っている。
訪ねる側の実務としては、話は単純である。ここは私有地であり、生活の場を含む景観であって、博物館ではない。窓口も開館時間も見学順路もない。門と、その東脇の籾蔵と、続く塀の連なりは、敷地南側の前面道路から見える。その一景は誰にでも開かれている。内部に入るのは町が催しを組んだときに限られる。道路上からの撮影で問題が生じることはまず考えにくいが、敷地内には立ち入らず、写真を公表する場合や団体で訪れる場合は事前に大熊町教育委員会へ相談したい。
大川原はJR常磐線大野駅から西へおよそ6キロ、車での移動が現実的である。地区内には放射線量のモニタリングポストが置かれており、町が現況を随時公表している。出発前に確認しておくとよい。
Q&A
- 渡部家住宅籾蔵は見学できますか。内部に入れますか。
- 私有地に建つため常時公開はされていません。籾蔵は表門の東脇、道路寄りに建っているので、敷地南側の前面道路から外観を見ることはできます。内部の見学は、大熊町が催す清掃活動や季節の行事などの機会に限られます。中に入ることを希望する場合は、事前に大熊町教育委員会へ問い合わせてください。
- 渡部家住宅籾蔵はどこにあり、どう行けばよいですか。
- 所在地は福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平275です。大川原地区は町の内陸西部にあり、JR常磐線大野駅から西へおよそ6キロ。駅から歩いて行ける距離ではないので、車かタクシーを利用してください。同じ大川原地区には令和元年5月に業務を開始した町役場新庁舎があります。
- 渡部家住宅籾蔵は10平方メートルしかないのに、なぜ登録されたのですか。
- 登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。籾蔵は表門と並んで敷地前方に建ち、屋敷が道に向けて見せる姿を構成しています。加えて、柱の板溝に横板をはめた板壁や半割丸太の垂木といった、飾り気のない農村の構法をそのまま残している点も評価されています。
- 渡部家住宅籾蔵は、敷地内の他の建物とどういう関係にありますか。
- 令和3年2月4日に主屋、馬小屋、土蔵、籾蔵、薬医門及び塀の5棟が同時登録されました。籾蔵の登録番号は07-0246です。5棟をあわせて見ることで、明治期の浜通りにおける有力農家が、米・馬・家財・住まいをどう配置していたかがつかめます。
- 渡部家住宅籾蔵のある大川原地区は、訪れても差し支えありませんか。
- 大川原地区の避難指示は平成31年4月10日に解除され、住民が暮らし、町役場や店舗も置かれています。地区内にはモニタリングポストが設置され、大熊町内でも場所によって状況は異なります。訪問前に町が公表している最新の情報を確認することをおすすめします。
基本情報
| 名称 | 渡部家住宅籾蔵(わたなべけじゅうたくもみぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平275 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号07-0246 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 令和3年(2021年)2月4日登録(第97回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、鉄板葺、建築面積10平方メートル。年代は明治前期(1868年から1882年) |
| 所有者 | 個人所有。国指定文化財等データベースに所有者名の記載はない |
| 公開状況 | 常時公開なし。前面道路から外観を望むことは可能。内部見学は大熊町が催す行事の機会に限られる |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 渡部家住宅籾蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013500
- 文化遺産オンライン 渡部家住宅籾蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/516754
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 渡部家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013497
- 大熊町 古民家に親しむ催し 活用への第一歩
- https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/somu/23405.html
- 大熊町 大熊町の「あの日」と「現在」
- https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/somu/33435.html
- 大熊町交流ZONE 渡部家住宅(登録文化財)
- https://okumakouryu.jp/ns003
最終更新日: 2026.08.26