戸を建てない門と、総延長三十八メートルの塀

渡部家住宅薬医門及び塀は、福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平にある明治後期(1898年から1912年)の門と塀で、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

門は敷地南の前面道路に向いて構えられ、そこから左右へ塀が延びる。門と塀は1件として登録され、登録番号は07-0247。文化庁のデータベースでは種別を「その他工作物」としている。建物ではなく工作物という扱いは、この登録の性格をよく表している。要するに、これは建築の形式を与えられた境界である。

間口は2.4メートル。上には切妻造桟瓦葺の屋根が載る。そして開口部には、何もない。扉も、閂も、錠もない。開け放したまま造られ、開け放したまま残っている。

先へ進む前に、この不在について少し立ち止まっておきたい。閉じられない門は、何かを防いでいるのではない。何かを表明している。

薬医門という形式

日本の門にはいくつもの形式があり、薬医門は民間の門としては格の高い部類に入る。本柱2本で開口を受け、その背後にやや短い控柱を立てる。棟は本柱と控柱の中間ではなく、前寄りに置かれる。屋根は前方に長く、後方に短い非対称となり、門はわずかに前傾した構えになって、くぐる者の頭上に深い影を落とす。

名称の由来には、医家の門に用いられたためとする説など複数が伝わるが、定説はない。確かなのは、この形式が担っていた格である。農家がなんとなく薬医門を建てることはない。建てれば、それは身代の表明になる。

屋根は切妻造で、葺材は桟瓦。江戸から明治にかけて全国の農村に広がった、互いに噛み合う形状の瓦である。門は瓦葺、塀は鉄板葺。材の格を使い分け、来訪者の目に最初に入る場所へ手の込んだ仕上げを置いている。

塀は二つの部分からなる。門の両脇には板塀が直に取り付き、その先で塀の線は矩折れに、つまり直角に折れて、石積の上に建つ板塀へと続く。総延長は38メートル。注目したいのはこの直角の折れである。境界を道沿いに引き回しただけではなく、折り返して前庭を囲い込む形に整えている。

地主層の家が外に向けた顔

年代を並べると見えてくるものがある。同じ敷地の主屋と籾蔵は、いずれも明治前期、1868年から1882年の建築である。門と塀はそれより一世代遅い明治後期に建った。まず働く場としての農家を整え、馬産による蓄えができてから、道に向けた表構えを整えたことになる。

渡部家住宅では第97回登録として5棟が同時に登録されている。主屋は建築面積193平方メートル、入母屋造で軒はせがい造、もとは茅葺だったものを桟瓦葺に改めている。馬小屋は木造2階建、建築面積96平方メートルで、農家の付属屋としては大ぶりの造り。これは渡部家が馬産で栄えた歴史と直につながっている。ほかに土蔵と籾蔵があり、籾蔵はこの門のすぐ東脇に建つ。

だから前面道路から近づく者が目にするのは、単体の門ではなく組み立てられた順序である。塀、門、籾蔵、そしてその奥に働く建物と住まいの屋根が重なる。文化庁の解説は、この一構えを豪農の表構えとして位置づけ、平成23年(2011年)の東日本大震災に耐えたことにも触れている。

木造の門は、見た目ほど地震に強い構造ではない。柱と梁だけで重い瓦屋根を高く支え、奥行きは浅い。この門は、それでも倒れなかった。

いま、門の前に立つ

大熊町は東京電力福島第一原子力発電所が立地する町である。平成23年3月11日以降、町は全域が避難となり、町内で最初に避難指示が解除されたのは平成31年(2019年)4月10日のことだった。解除されたのは町の西部内陸にあたる大川原地区と中屋敷地区で、町は大川原を復興拠点と定め、新庁舎は同年5月に業務を始めている。

震災の後、浜通りでは多くの古民家が取り壊された。町の記録は、登録に至った背景として、記憶のなかの大熊町が失われてしまうのではないかという町民の声があったことを記している。屋敷のうち外を向いている部分、つまり門と塀には、その意図が濃く重なる。

登録後、この場所は使われている。町教育委員会と地域の「おおくまふるさと塾」が清掃や庭木の手入れを行い、八幡神社や百万遍の塔など大川原周辺の史跡を歩いて巡る催しも重ねてきた。令和5年(2023年)1月の新春もちつき大会には町民と首都圏の学生ら約70人が参加し、母屋の軒下で餅を味わい、町学芸員の説明を受けながら土蔵や馬小屋を見学している。

個人で訪ねる場合、実際に見られるのはこの門と塀である。私有地であり、窓口も開館時間も見学順路もない。ただし門と塀の線は南側の公道に面しており、構えの全体はそこから読み取れる。敷地内に入るのは町が催しを組んだときに限られ、問い合わせ先は大熊町教育委員会となる。道路上からの撮影で支障が生じることはまず考えにくいが、無断で門をくぐるのは避けたい。写真を公表する場合や団体で訪問する場合は、事前に町へ相談してほしい。

大川原はJR常磐線大野駅から西へおよそ6キロ。車での移動が現実的である。地区内にはモニタリングポストが設置されており、大熊町内でも場所により状況は異なる。出発前に町が公表している最新情報を確かめておきたい。

Q&A

Q渡部家住宅薬医門及び塀は、予約なしで見学できますか。
A外からであれば可能です。門と塀は敷地南側の公道に面しているため、構えの全体はいつでも道路から見ることができます。門の内側は私有地で常時公開はされておらず、立ち入りには許可が必要です。問い合わせは大熊町教育委員会へお願いします。
Q渡部家住宅薬医門及び塀の「薬医門」とは、どのような形式の門ですか。
A本柱2本の背後に短い控柱を立て、棟を中間より前寄りに置く形式の門です。屋根が前方に長い非対称となるのが特徴で、民間の門としては格の高い部類にあたります。渡部家の門は切妻造桟瓦葺、間口2.4メートルで、扉は取り付けられていません。名称の由来には複数の説が伝わり、定説はありません。
Q渡部家住宅薬医門及び塀の塀は、どのくらいの長さで何でできていますか。
A総延長は38メートルです。門の両脇に板塀が直接取り付き、その先で線が矩折れに折れ、石積の上に建つ板塀へと続きます。塀は木造で鉄板葺、門は瓦葺と、材の使い分けがなされています。
Q渡部家住宅薬医門及び塀は、いつ、どの基準で登録されましたか。
A令和3年2月4日、第97回登録として、登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」により登録されました。登録番号は07-0247で、種別は「その他工作物」です。同じ敷地の主屋、馬小屋、土蔵、籾蔵も同日に登録されています。
Q渡部家住宅薬医門及び塀のある大川原地区へは、どう行けばよいですか。
A所在地は福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平275で、JR常磐線大野駅から西へおよそ6キロ、車での移動が現実的です。大川原地区の避難指示は平成31年4月10日に解除され、住民が暮らし、町役場や店舗もあります。地区内にはモニタリングポストが設置されているため、訪問前に町の最新情報を確認してください。

基本情報

名称渡部家住宅薬医門及び塀(わたなべけじゅうたくやくいもんおよびへい)
所在地福島県双葉郡大熊町大字大川原字南平275
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号07-0247 種別「その他工作物」 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年令和3年(2021年)2月4日登録(第97回登録)
員数1棟
寸法門は木造、瓦葺、間口2.4メートル。塀は木造、鉄板葺、総延長38メートル。年代は明治後期(1898年から1912年)
所有者個人所有。国指定文化財等データベースに所有者名の記載はない
公開状況南側の公道からいつでも外観を望める。内部の常時公開はなく、敷地への立ち入りは大熊町が催す行事の機会に限られる

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 渡部家住宅薬医門及び塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013501
文化遺産オンライン 渡部家住宅薬医門及び塀
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/550485
国指定文化財等データベース(文化庁) 渡部家住宅馬小屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013498
大熊町 古民家に親しむ催し 活用への第一歩
https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/somu/23405.html
大熊町 大熊町の「あの日」と「現在」
https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/somu/33435.html
大熊町交流ZONE 渡部家住宅(登録文化財)
https://okumakouryu.jp/ns003

最終更新日: 2026.08.26