兼帯名主の屋敷構え ― 主屋と土蔵の2棟

荒川家住宅は、岐阜県高山市丹生川町大谷141番地にある江戸時代の民家で、寛政8年(1796年)建立の主屋と延享4年(1747年)建立の土蔵が、昭和46年(1971年)12月28日に国の重要文化財に指定された。指定番号は01836、員数は2棟。附として棟札1枚が主屋に付随する。

荒川家は、天正年間(1573年から1592年)に大谷村の肝煎を勤めたと伝わる旧家である。元禄期以降は周辺6か村を束ねる兼帯名主を代々務めた。兼帯名主とは、複数の村の名主職を兼務する役をいう。

訪れる人の多くは、奥に構える二階建の大きな主屋へまっすぐ歩いてゆく。だが年代の順序は逆である。土蔵の建立は延享4年、主屋の上棟より49年早い。敷地に現存する建物としては、この小さな一棟がもっとも古い。年代の根拠はいずれも文書にある。主屋は上棟に際して墨書し小屋組へ納めた棟札に寛政8年の年紀があり、土蔵は荒川家に伝来した普請文書と2階床板から見つかった墨書が、ともに延享4年を指し示す。

主屋 ― 梁間を広げた構造と正面の意匠

主屋の規模は桁行21.5メートル、梁間14.8メートル。二階建の切妻造で、屋根は石置板葺とする。

文化庁の解説は、この住宅が飛騨民家の発展形式のなかで重要な位置を占めると評価する。着目されているのは梁間の広さである。奥行方向を広げるには、その距離を柱なしで渡せる長大な材が要る。荒川家では巨材を用いることで14.8メートルの梁間を実現した。

正面外観は、腕木で受けた出桁が小庇を支え、化粧貫を2段に通す。その上に二階の格子窓が並ぶ。太い水平材と細い直線材の交叉が生む立面は、構造がそのまま露出した結果というより、意匠として整えられた面と見るべきだろう。この種の外観をもつ民家のなかでは、建設年代が古い部類に入る。

用材の使い分けは、室内を歩きながら確かめられる。柱には主として桧、梁には松、地面からの湿気を受ける土台には栗が充てられている。屋根を葺く板はクレと呼ばれ、栗などを薄く割いたものを丸太と石で押さえる。

土蔵 ― 平入と妻入が並ぶ

土蔵の規模は桁行5.5メートル、梁間3.9メートル。二階建の切妻造で、屋根は主屋と同じく石置板葺とする。

主屋との違いは、入口の向きに現れる。主屋は軒の長い側から入る平入である。対して土蔵は妻入で、近づくと三角形の妻壁が正面に立ち、屋根は左右へ流れ落ちる。数メートルを隔てて平入と妻入が並ぶため、両者の差は一目で読み取れる。

東側には蔵前が付く。土蔵本体への出入りを受け、風雪を和らげる前室である。この蔵前には独自の履歴があり、主屋が建てられる以前に奥行1間半、2階切妻造へ改造されたものと考えられている。指定は蔵前を含めた形で行われた。

2棟で一件である理由

順に並べれば、延享4年の土蔵、その後の蔵前改造、寛政8年の主屋という三段階になる。荒川家は元禄期以降に兼帯名主を務めた家柄であり、屋敷構えは家の立場が固まっていく過程と歩調を合わせて整えられていった。

主屋だけを見れば飛騨民家の発展形式を示す一例であり、土蔵だけを見れば小ぶりな付属屋である。両棟を並べて初めて、半世紀をかけて段階的に整えられた屋敷構えという時間の層が読み取れる。指定が2棟をまとめているのはそのためである。

なお文化庁データベースは土蔵を江戸中期、主屋を江戸後期に区分する。地域の紹介文では両棟をまとめて江戸中期の建築と記す例も見られるため、年代は一次資料に拠るのが確実である。

公開の実際

荒川家は昭和58年(1983年)まで所有と居住を続け、同年に旧丹生川村が買い受けた。昭和60年(1985年)から3年にわたる保存修理工事を経て公開され、市町村合併後は高山市が所有している。入館は無料である。

土蔵は庭から眺めるとよい。桁行21.5メートルの主屋と並べて見ることで、両者の規模差と用途の違いが実感できる。土蔵内部の公開状況は明示されていないため、立ち入りの可否は受付で確かめてほしい。撮影の可否も同様に確認するのが無難である。

開館時間は6月から9月が午前8時30分から午後4時30分、それ以外の開館期は午前9時から午後4時まで。休館日は水曜日で、12月1日から翌年3月31日は冬季休館となる。濃飛バス大谷停留所から徒歩約1分、自動車では東海北陸自動車道飛騨清見インターチェンジから国道158号経由で約40分、駐車場がある。

屋内には丹生川地域の民具のほか、伊達政宗が金森長近に宛てた書状が展示されている。敷地には歴史民俗資料館が併設され、細江光洋氏が撮影した乗鞍岳の写真や、地域の石仏を写した写真などを見ることができる。

Q&A

Q荒川家住宅はいつ建てられ、いつ指定されましたか。
A土蔵が延享4年(1747年)、主屋が寛政8年(1796年)の建立です。国の重要文化財の指定は昭和46年(1971年)12月28日、指定番号01836で、員数は主屋1棟と土蔵1棟の計2棟。附として棟札1枚が含まれます。
Q荒川家住宅で最も古い建物はどれですか。
A土蔵です。延享4年(1747年)の建立で、主屋の上棟より49年早く、敷地に現存する建物としてはこれがもっとも古いものです。年代は荒川家に伝来した普請文書と、2階床板から見つかった墨書によって裏付けられています。
Q荒川家住宅の主屋はどこが評価されていますか。
A梁間の広さです。奥行方向を柱なしで渡すには長大な材が要りますが、荒川家では巨材を用いて14.8メートルの梁間を実現しました。文化庁は飛騨民家の発展形式のなかで重要な位置を占めると評価しています。
Q荒川家住宅の主屋と土蔵は外観がどう違いますか。
A入口の向きが違います。主屋は軒の長い側から入る平入、土蔵は妻入で、近づくと三角形の妻壁が正面に立ちます。数メートルを隔てて平入と妻入が並ぶため、差は一目で読み取れます。土蔵の東側には風雪を和らげる前室の蔵前が付きます。
Q荒川家住宅は見学できますか。開館時間と料金は。
A入館無料で公開されています。開館時間は6月から9月が午前8時30分から午後4時30分、それ以外の開館期は午前9時から午後4時まで。休館日は水曜日で、12月1日から翌年3月31日は冬季休館です。土蔵内部への立ち入りと撮影の可否は受付で確認してください。

基本情報

名称荒川家住宅(岐阜県大野郡丹生川村)(あらかわけじゅうたく)
所在地岐阜県高山市丹生川町大谷141番地
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号01836
指定年昭和46年(1971年)12月28日
員数2棟(主屋1棟、土蔵1棟)/附 棟札1枚
寸法主屋 桁行21.5メートル、梁間14.8メートル、二階建、切妻造、平入、石置板葺(寛政8年・1796年)/土蔵 桁行5.5メートル、梁間3.9メートル、二階建、切妻造、妻入、石置板葺、蔵前を含む(延享4年・1747年)
所有者高山市
公開状況公開(入館無料)。6月から9月は午前8時30分から午後4時30分、それ以外の開館期は午前9時から午後4時。水曜日休館、12月1日から翌年3月31日は冬季休館

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 荒川家住宅(主屋)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1100
文化庁 国指定文化財等データベース 荒川家住宅(土蔵)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1101
文化遺産オンライン 荒川家住宅 主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/193760
文化遺産オンライン 荒川家住宅
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/135041
高山市 重要文化財荒川家住宅
https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1001041.html
高山市 施設案内 荒川家住宅
https://www.city.takayama.lg.jp/shisetsu/1004141/1004280/1004299.html

最終更新日: 2026.08.31

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