江馬氏城館跡:飛騨の山間に眠る中世武家の城館ネットワーク
岐阜県北部、飛騨市神岡町の山あいに点在する江馬氏城館跡は、室町時代から戦国時代にかけて北飛騨を治めた武将・江馬氏の居館と城郭群の遺跡です。昭和55年(1980年)に国の史跡に指定され、さらに平成29年(2017年)には下館跡の庭園が国の名勝に指定されました。飛騨地方初の国名勝指定であり、史跡と名勝の二重指定は岐阜県内初の快挙です。
多くの方が「日本の城」と聞いて思い浮かべる壮大な天守閣とは異なり、江馬氏城館跡は中世武家の「本来の姿」を伝える遺跡群です。谷間の館を中心に、周囲の山々に築かれた山城が一体となって領地を守る——そんな中世の防衛システムがそのまま残されています。復元された会所と庭園からは、500年以上前の殿様が眺めたであろう飛騨の山並みを、今も変わらず望むことができます。
江馬氏とは:北飛騨を治めた中世豪族
江馬氏は桓武平氏の流れを汲む北条氏の支族とされ、北飛騨の吉城郡高原郷(現在の飛騨市神岡町・高山市上宝町一帯)を本拠地として勢力を築いた中世豪族です。史料上の初見は応安5年(1372年)、山科家文書において山科家領の濫妨停止の使節として記録されています。以降、約200年にわたり北飛騨の統治者として歴史に名を残しました。
戦国時代には、甲斐の武田氏、越後の上杉氏、美濃の織田氏といった列強に囲まれた飛騨国において、江馬氏は武田方に属し、南飛騨の姉小路氏と対峙しました。しかし天正10年(1582年)、当主・江馬輝盛が姉小路頼綱に対して起こした戦い(八日町の戦い)に敗れ、輝盛は討死。およそ200年続いた江馬氏の支配は終焉を迎えました。
北飛騨が辺境の地であったがゆえに、江馬氏滅亡後の城郭群は長く手つかずのまま残されました。このことが結果的に、後世の考古学的調査と文化財保護に大きく貢献しています。
なぜ国の史跡に指定されたのか
江馬氏城館跡が国の史跡に指定された最大の理由は、「中世地方武士の館跡・山城跡が群として機能して地域を治めていたことがわかる貴重な遺跡」であるためです。個別の城郭遺跡は日本全国に多数存在しますが、本拠の居館・詰の山城・周辺の衛星城郭がひとつの地域内にまとまって残り、その防衛ネットワーク全体を読み解ける事例は極めて稀です。
各城郭は街道や河川の合流点、峠道など要衝に配置されており、中世の軍事戦略と領域支配の実態を今に伝えています。昭和55年に下館跡・高原諏訪城跡・土城跡・寺林城跡・政元城跡・洞城跡・石神城跡の7カ所が指定され、令和6年(2024年)には傘松城跡が追加指定されました。
さらに、下館跡で発掘された庭園は、室町時代の武家館における庭園と会所をセットで復元した全国唯一の事例として、平成29年に国の名勝に指定されています。
江馬氏城館跡を構成する8つの遺跡
下館跡(しもやかたあと)——城館群の中心
下館跡は神岡町殿に所在する江馬氏の平時の本拠地です。東西約200メートル、南北約100メートルの方形の敷地に、会所・常御殿・対屋・台所・宿直屋・馬屋・工房などの建物跡が確認されています。西側には薬研堀、北と南には箱堀が設けられていました。
昭和51年(1976年)からの発掘調査で、古くから地元に伝わる「水田の中にある5つの大きな石は江馬の殿様の庭石だ」という伝承が事実であることが証明されました。現在は会所と主門、土塀、庭園が復元され、「史跡江馬氏館跡公園」として公開されています。庭園は枯池式の枯山水で、飛騨の山々を借景として取り込んだ風格ある景観が魅力です。
高原諏訪城跡(たかはらすわじょうあと)——詰の山城
下館の背後の山稜上に築かれた江馬氏の有事の拠点です。南端の峰を加工し、土塁・腰曲輪・堀切・竪堀を設けた構造で、北と南の曲輪は幅20メートルの空堀で隔てられています。中心の曲輪は約40×20メートル。急峻な地形を活かした堅固な防御施設で、天正10年の八日町の戦いで落城したと伝わります。主郭からは眼下に下館跡を見渡すことができ、両者の一体的な運用を実感できます。
衛星城郭群
下館を中心に、周囲の要衝を押さえる6つの山城が配置されています。
- 傘松城跡(からかさまつじょうあと)——神岡町吉田の観音山山頂に築かれた山城。巨大な堀切や土塁・曲輪が残り、南方からの攻撃に備えた重要な拠点。令和6年(2024年)に国史跡に追加指定されました。
- 土城跡(どじょうあと)——高原川と跡津川の合流点の牛首城山に位置する山城。別名「鬼ヶ城」。越中東街道からの外敵を監視する役割を担っていました。※地形が険しく、見学には危険が伴います。
- 寺林城跡(てらばやしじょうあと)——神岡町寺林の玄蕃山に築かれた山城。別名「玄蕃城」。越中東街道を見下ろし、姉小路氏への押さえとして機能していました。主郭に虎口が設けられているのが構造上の特徴です。
- 政元城跡(まさもとじょうあと)——大黒寺の背後の山上に位置し、下館の西方を守護していた山城。狼煙などで他の城郭と連絡していたと考えられています。
- 洞城跡(ほらじょうあと)——神岡町麻生野の洞之山に所在。高原郷と鎌倉街道を結ぶ上宝道を見下ろす位置にあり、下館の東方防衛を担っていました。別名「麻生野城」。
- 石神城跡(いしがみじょうあと)——神岡町石神の上宝道沿いの山上に築かれた山城。別名「杏城」「二越城」。江馬時経が築城したと伝わり、高原諏訪城以前の居城であった可能性が指摘されています。
見どころ・魅力
最大の見どころは、復元された会所から眺める庭園と飛騨の山々の景色です。周囲に高い建物がないため、戦国時代の殿様が眺めたであろう景色をほぼそのまま体感できるという、他に類を見ない歴史体験が待っています。会所の内部には「武者隠し」と呼ばれる隠し部屋があり、来客時に武装した護衛を潜ませていたことを物語っています。雅な接待の場にも戦国の緊張感が漂っていたことがうかがえる興味深い遺構です。
庭園は大小の自然石を配した枯池式の枯山水庭園で、同時代の朝倉氏庭園や東氏館跡庭園に通じる意匠を持っています。辺境の地にありながらこれほどの庭園を築いた事実は、江馬氏の文化的教養の高さを示しています。実際、延徳元年(1489年)には著名な詩僧・万里集九が高原郷を訪れ、江馬氏の饗応を受けたことが『梅花無尽蔵』に記録されています。
山城巡りに興味がある方には、飛騨市教育委員会が発行する「飛騨市山城マップ 江馬編」が便利です。土城跡を除く各山城を安全にめぐるためのルート情報が掲載されています。高原諏訪城跡へは車で山道にアクセスでき、そこから短い登山で到達可能です。
周辺情報
飛騨市神岡町は、歴史・科学・自然が融合する魅力的なエリアです。江馬氏城館跡の訪問と合わせて楽しめるスポットを紹介します。
- ひだ宇宙科学館カミオカラボ——江馬氏館跡公園から徒歩約5分、道の駅「宙(スカイ)ドーム神岡」内にある無料の科学館。ノーベル物理学賞を2度もたらしたスーパーカミオカンデの研究を、大迫力の映像やゲームで体感できます。
- 高原郷土館(神岡城)——高台に位置する歴史施設で、神岡城・旧松葉家住宅・鉱山資料館の3施設を見学可能。江馬氏館跡公園との共通券(300円)が便利です。
- レールマウンテンバイク Gattan Go!!——旧神岡鉱山鉄道のレール上をマウンテンバイク型の乗り物で走る人気アクティビティ。トンネルや渓谷を抜ける爽快な体験ができます。
- 飛騨古川——車で約30分。白壁土蔵街や瀬戸川の鯉、伝統的な酒蔵など情緒豊かな町並みが楽しめます。毎年4月には迫力ある古川祭が開催されます。
- 奥飛騨温泉郷——北アルプスの麓に広がる温泉地。城巡りの後の疲れを癒すのに最適です。
Q&A
- 車がなくてもアクセスできますか?
- 公共交通機関でのアクセスは可能ですが、便は限られています。JR飛騨古川駅から濃飛バス神岡行きで約40分、「神岡町西里」下車後徒歩約20分です。また、JR富山駅からは神岡方面への特急バスがあり、「道の駅スカイドーム神岡」で下車すれば徒歩約5分で到着します。山城巡りをされる場合は車の利用をおすすめします。
- 訪問に最適な時期はいつですか?
- 史跡江馬氏館跡公園は冬期休館となるため、春から秋にかけてが訪問シーズンです。新緑の春、緑豊かな夏、紅葉の秋と、それぞれの季節で飛騨の山々の異なる表情を借景として楽しめます。山城巡りには天候の安定する初夏から初秋がおすすめです。
- 山城の見学は初心者でも可能ですか?
- 土城跡を除く多くの山城は見学可能です。高原諏訪城跡は車で近くまでアクセスでき、比較的手軽に訪れることができます。ただし、山道を歩くため、歩きやすい靴と十分な水分の携帯をおすすめします。飛騨市教育委員会発行の「飛騨市山城マップ 江馬編」を事前に入手すると便利です。
- 見学にはどのくらい時間が必要ですか?
- 江馬氏館跡公園のみであれば約1時間が目安です。カミオカラボや高原郷土館(神岡城)と合わせると半日コース。さらに山城巡りを加えると丸一日かけてじっくり楽しむことができます。
- 御城印はありますか?
- はい、江馬氏館跡公園で御城印を購入できます。冬期休館中は、道の駅宙(スカイ)ドーム神岡(水曜定休)にて購入可能です。登城記念スタンプも道の駅で押印できます。
基本情報
| 正式名称 | 江馬氏城館跡(えましじょうかんあと) |
|---|---|
| 文化財指定 | 国指定史跡(昭和55年指定、令和6年傘松城跡追加指定)/国指定名勝「江馬氏館跡庭園」(平成29年指定) |
| 時代 | 室町時代~戦国時代(14世紀~16世紀) |
| 構成遺跡 | 下館跡、高原諏訪城跡、傘松城跡、土城跡、寺林城跡、政元城跡、洞城跡、石神城跡 |
| 所在地 | 〒506-1121 岐阜県飛騨市神岡町殿573-1(史跡江馬氏館跡公園) |
| 開館時間 | 10:00~16:00(最終入館15:30)※冬期休館 |
| 入館料 | 大人200円/高校生以下無料/共通券(高原郷土館)大人300円 |
| アクセス | 高山市街より国道41・471号経由で約60分/富山市街より国道41・471号経由で約60分/JR飛騨古川駅より車で約30分/道の駅スカイドーム神岡より徒歩約5分 |
| お問い合わせ | 史跡江馬氏館跡公園 TEL:0578-82-6001 |
参考文献
- 史跡 江馬氏館跡公園 — 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」
- https://www.hida-kankou.jp/spot/284
- 史跡 江馬氏館跡公園 — 飛騨市公式ウェブサイト
- https://www.city.hida.gifu.jp/site/kamiokalab/11766.html
- 江馬氏城館跡 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/205443
- 江馬氏城館跡 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A6%AC%E6%B0%8F%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E8%B7%A1
- 姉小路氏城跡が国史跡に指定、傘松城跡が国史跡江馬氏城館跡に追加指定 — 飛騨市公式ウェブサイト
- https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/32/59866.html
- 歴史好き必見!飛騨高山〜神岡 山城・グルメ — 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- https://www.kankou-gifu.jp/blog/detail_458.html
- 江馬氏館跡庭園(史跡 江馬氏館跡公園) — おにわさん
- https://oniwa.garden/hida-ema-yakata/
- 江馬館利活用プロジェクトとは — 飛騨市公式ウェブサイト
- https://www.city.hida.gifu.jp/site/castleruins/67321.html
最終更新日: 2026.03.06