六郎谷第二号砂防堰堤 ― 神岡鉱山を守った大正期の空石積遺産

六郎谷第二号砂防堰堤は、岐阜県飛騨市神岡町を流れる神通川水系高原川の支流・六郎谷に築かれた石造の砂防施設である。第一号砂防堰堤の110メートル上流に位置し、堤長49メートル、本来の堤高は6.1メートル。大正10年(1921年)の竣工で、平成31年(2019年)3月29日に登録有形文化財(建造物)として国の登録を受けた。

特筆すべきは、構築方法そのものにある。石材を一切のモルタルや鉄筋によらず、人力のみで積み上げた空石積(からいしづみ)の堰堤である。岐阜県の文化財解説は、この技術について「現代では再現することが容易でない」と明記する。一世紀を経た今もなお、堤体は六郎谷の急峻な渓谷で土砂を堰き止め続けている。

神岡鉱山を守るための砂防

六郎谷砂防堰堤群が築かれた背景には、神岡鉱山の存在がある。明治7年(1874年)に三井組が経営権を取得して以来、神岡鉱山は亜鉛・鉛・銀の大規模採掘で東洋一を誇るまでに成長した。亜鉛は鋼材のメッキに、鉛は蓄電池や配管に、銀は通貨と電気接点に。近代日本の産業を地味ながら確実に支えた金属が、この谷から産み出されていた。

一方で、鉱山中核域は急峻な谷に囲まれ、土砂災害の常襲地でもあった。北アルプス飛騨側に降る大雨は容易に土石流となって谷を駆け下る。一度の大規模な土砂流入が選鉱施設や住居、運搬路を呑み込めば、重工業を支える生産が止まる。

この危機への対応として、大正期に入って神通川水系の各所で砂防堰堤の建設が進む。同じ飛騨市内では宮川流域の小豆沢谷や桑谷、そして高原川流域の六郎谷で工事が連続して行われた。第一号と第二号は六郎谷砂防堰堤群の最下流部を構成し、文字どおり鉱山中核域への土砂流入を堰き止めた。

土砂に埋もれた堤体 ― それが機能の証

現在、第二号堰堤の堤体はその大半が土砂に埋没している。地上に露出しているのは頂部のわずか1〜2メートルにすぎない。一見すると忘れられた構造物のようでもあるが、これは砂防堰堤として機能した何よりの証である。

砂防堰堤は土石流や流出土砂を堰き止め、上流側に土砂を貯めることで谷の縦勾配を緩和し、植生の回復と土砂流出の抑制を同時に図る施設である。堤体の上流側に土砂が堆積し、やがて堤頂と同じ高さまで埋まることは、当初設計時から想定された姿に近い。露出した頂部に立てば、かつての荒涼とした渓床が、今や緩やかな森の傾斜に置き換わっていることがわかる。

登録の理由 ― 三つの希少性

登録の根拠は三点に整理できる。第一に、大規模な空石積技術そのものの希少性。コンクリートが普及する以前、岐阜県の砂防黎明期を担った技術が、ほぼ当初の姿で残る。岐阜県内には登録有形文化財に登録された砂防施設が20基あるが、すべてがこの時代の証人である。

第二に、神岡鉱山という具体的な産業基盤と直接結びついた砂防施設という位置づけ。鉱山遺産でも建築遺産でもなく、近代日本の重工業を「守った」インフラそのものを評価する登録は珍しい。文化庁の登録解説は「川下の神岡鉱山中核域を土砂災害から守り、近代日本の重工業化を支えた砂防施設」と明記している。

第三に、築後100年を経てなお機能を維持している点。同時期に造られた多くの土木構造物が更新・撤去されたなかで、第一号・第二号は土砂条件の苛烈さに耐えて現存している。研究者からは「過酷な自然条件下で効果を発揮する砂防施設の機能を如実に示す例」として注目されている。

立地と現況

六郎谷は神岡市街地の東側、東町地区に深く切れ込む谷で、両岸は飛騨片麻岩の急傾斜地形である。約2億5千万年前に形成されたこの変成岩は、神岡鉱山の鉱床母岩そのものでもある。堰堤の石材もこの岩盤に由来し、周囲の地質に溶け込むような色調を示す。冬季は積雪に閉ざされ、夏季には鬱蒼とした緑に覆われる。

留意すべきは、現地が民間企業の敷地内にあり、通常見学はできないことである。平成31年(2019年)11月24日には、飛騨市と岐阜県により登録を記念する碑が敷地近隣に設置され、関係者によるお披露目式が行われた。式典で都竹市長は、県と連携して見学機会を整備していく方針を述べたが、本稿執筆時点で常設の公開ルートは設けられていない。

神岡をめぐる

堰堤そのものを訪ねるのは難しくとも、神岡町には足を運ぶ価値が十分にある。鉱山町として栄えた明治から昭和初期の街並みが今も残り、商店街と社寺、坂道に張り付くように建つ住居群が、独特の景観を成している。地元有志によるガイドツアー「ぶらり神岡街歩き」も定期的に運営され、自分で歩くよりも一段深い体験ができる。

神岡鉱山そのものに関心があるなら、関連する資料館や旧鉱山施設で採鉱の歴史を辿ることができる。注目すべきは、神岡鉱山の地下空洞が現在、東京大学宇宙線研究所のスーパーカミオカンデなどの素粒子物理学施設として転用されていることである。ニュートリノ研究で二度のノーベル物理学賞を生んだ施設は、かつて重工業を支えた同じ谷の地下にある。重工業を支えた堰堤と、基礎科学を支える検出器。同じ谷が形を変えて日本の屋台骨を支え続ける構図は、土砂を堰き止め続ける堰堤の長寿命と通じるところがある。

砂防遺産そのものを巡るなら、岐阜県には他にも明治・大正・昭和の登録砂防堰堤が点在する。海津市の羽根谷砂防堰堤群はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導下に築かれた巨石空石積で、隣接する「さぼう遊学館」(入館無料、要予約で専門家解説あり)で近代日本の砂防史を体系的に学べる。

Q&A

Q六郎谷第二号砂防堰堤は見学できますか?
A通常はできません。堰堤は民間企業の敷地内に位置しており、外部からの立入は制限されています。敷地外の道路沿いに、平成31年(2019年)に岐阜県が設置した登録記念碑があります。
Qなぜ堤体の大半が土砂に埋もれているのですか?
Aそれが砂防堰堤として正常に機能した結果です。砂防堰堤は上流から流れてくる土砂を堰き止めて貯める施設であり、年月をかけて堤体上流側に土砂が堆積していきます。第二号堰堤の場合、約100年で堤高の大部分が土砂で埋まった状態となっており、これは設計当初想定された平衡状態に近いとされます。
Q「空石積」とはどのような工法ですか?
Aモルタルや漆喰などの接着材を一切用いず、石材の重量と形状の組み合わせだけで構造を維持する積み方です。一つひとつの石を慎重に選別し、噛み合わせを考えて据えるため熟練を要し、現代では同規模の堰堤で再現することは容易ではないとされます。
Q神岡鉱山との関係を教えてください。
A神岡鉱山は明治期以降、亜鉛・鉛・銀の大規模採掘で日本の重工業化を支えた鉱山です。鉱山中核域は急峻な谷に囲まれ、土砂災害の脅威に常にさらされていました。六郎谷の砂防堰堤群は、その下流に位置する鉱山施設を土砂流入から守る目的で築かれたもので、文化庁の登録解説にも「近代日本の重工業化を支えた砂防施設」と明記されています。
Q岐阜県内の他の登録砂防堰堤も見られますか?
A海津市の羽根谷砂防堰堤群は隣接する「さぼう遊学館」(無料、要予約で専門家解説可)で詳しく学べます。飛騨市内の小豆沢谷・桑谷の堰堤群は六郎谷と同じく平成31年に登録されましたが、これらも常設公開はありません。

基本データ

名称六郎谷第二号砂防堰堤(ろくろうたにだいにごうさぼうえんてい)
所在地岐阜県飛騨市神岡町東町字六郎
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成31年(2019年)3月29日
建造年代大正10年(1921年)
構造石造(空石積)砂防堰堤
規模堤長49メートル、堤高6.1メートル
員数1基
所有者岐阜県
公開状況通常は非公開(民間企業敷地内)
水系神通川水系高原川支流・六郎谷

参考文献

文化遺産オンライン「六郎谷第二号砂防堰堤」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/402428
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012745
岐阜県砂防課「登録有形文化財」
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/2279.html
ひだラボ「【広報まちの話題】六郎谷砂防堰堤登録有形文化財 記念碑お披露目式」
https://www.hidalabo.com/detail/686/news/news-25136.html

最終更新日: 2026.05.18