来迎とは
来迎は、念仏を修した者の臨終に際して、阿弥陀如来が観音菩薩・勢至菩薩をはじめとする聖衆を率い、西方の極楽浄土から迎えに来ることをいう。その場面は『観無量寿経』に説かれ、平安時代以降の浄土教の広まりとともに、絵画と彫刻の主要な主題になった。
来迎の情景を描いた絵画を来迎図と呼ぶ。東京国立博物館の解説によれば、阿弥陀如来が浄土で説法する姿を描く形式が先に伝わり、菩薩を従えて迎えに来る図は平安時代中期ごろから広まった。平安時代末から鎌倉時代にかけては、迎えを待つ人の家や四季の山並みまで描き込んだ図が現れ、信仰が日常の暮らしの中に入り込んでいった様子を示している。
画面の構成にはいくつかの型がある。阿弥陀如来と聖衆を正面向きに大きく描く型のほか、鎌倉時代には、聖衆が画面の左上から往生者のいる下方へ斜めに降りてくる構図が多く描かれた。文化庁の解説は、知恩院の阿弥陀二十五菩薩来迎図、通称「早来迎」をこの型の代表例に挙げている。阿弥陀如来と観音・勢至の三尊だけを描く阿弥陀三尊来迎図もあり、臨終の枕元に懸けて用いられた。
作品と記録で読む手がかり
来迎図の聖衆には役割がある。観音菩薩は往生者を載せる蓮台を捧げ、勢至菩薩は合掌する。周りの菩薩の多くは太鼓・琵琶・笛などの楽器を奏で、幡を掲げた童子が一行を先導する。阿弥陀如来は立像で描かれることが多く、右手を上げ左手を下げて親指と人差し指を捻じる来迎印を結ぶ。
画面の向きにも決まりがある。日本の古い絵画は向かって左を西とする構成が基本で、来迎の一行も左側から降りてくる。往生者の家は右下に置かれ、阿弥陀如来から伸びる光の筋が軒先まで届くように描かれる例もある。
指定の名称では、「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」「阿弥陀聖衆来迎図」のように画題の中に来迎の語が入り、その前に「二十五菩薩」「聖衆」「三尊」など、描かれた一行の構成を示す語が付く。名称の頭の「絹本著色」は絹に彩色した絵であることを示す技法の表記である。
仏堂の内陣で須弥壇の背後に立つ柱を来迎柱と呼ぶが、これは建築部材の名で、来迎の図像そのものを指す語ではない。建造物の記事で「来迎」とあれば、来迎柱の略記でないかを前後の文脈から確かめたい。
参考文献
- 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図|文化遺産オンライン
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/127814
- 阿弥陀聖衆来迎図(東京国立博物館)|文化遺産オンライン
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/579846
最終更新: 2026.09.26