信州街道の宿場に残る名主宅
旧狩宿茶屋本陣(きゅうかりやどちゃやほんじん)は、群馬県吾妻郡長野原町大字応桑にある江戸時代後期の木造住宅で、旧信州街道の狩宿宿で名主宅と茶屋本陣を兼ねた建物として使われ、平成30年(2018年)5月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
本陣は、参勤交代の大名やその一行が宿泊するために公認された施設をいう。これに対して茶屋本陣は、宿泊ではなく休憩と食事のために設けられた格の施設で、幹線から分かれた脇往還に多く置かれた。多くは村の有力者の住宅に座敷を整えたもので、建て替えや取り壊しを経て失われた例が大半を占める。狩宿の一棟は、その少数の残存例にあたる。
建物は切妻造平入。二階の床と屋根の軒を出桁で前方へ張り出す構えで、この地域では出梁造り、あるいは出桁造りと呼ばれる。文化庁の登録では建築年代を江戸後期(1751年から1830年ごろ)とし、明治18年(1885年)の増築、昭和48年(1973年)の改修が記録されている。木造2階建、金属板葺、建築面積172平方メートル。
狩宿という交差点
この一帯は狩宿新田と呼ばれた。浅間山の北麓、六里ヶ原の外れに開かれた新田である。ここで二つの道が交わった。ひとつは中山道の脇往還である信州街道。もうひとつは沓掛と草津・川原湯を結ぶ道。街道が交わる場所には、必ず関が置かれる。
慶安4年(1652年)、上田と沼田を結ぶ戦略路を押さえていた真田氏が、狩宿に小規模な私関を設けた。寛文2年(1662年)に江戸幕府がこれを公関として裁決し、寛文4年(1664年)3月25日に普請が始まる。取締りの主な対象は善光寺への参詣客と、草津・川原湯へ向かう入湯客だった。入鉄砲と出女の詮議は特に厳しかったと伝わる。関所は現在の応桑小学校の校庭付近にあったとされ、昭和45年(1970年)に応桑老人会と町によって「狩宿関所跡之碑」が建てられている。
関所を通る身分ある旅人には、休息の場が要る。茶屋本陣はそのために置かれ、宿場はこれによってにぎわった。
座敷三室と上段の間
この建物の価値は平面によく表れている。土間部は撤去されているが、その奥の床上部三列が残り、上手には座敷が三室並ぶ。最も奥にあるのが上段の間で、格式の順に部屋を連ねる本陣建築の骨格がそのまま読み取れる。
上段の間には注目すべき点が二つある。柱にエンジュ(槐)を用いていること。そして中の間との境に筬欄間を入れていることである。エンジュは硬く木目の詰まった材で、格式のある座敷に選ばれるが、農村部の民家で使われる例は多くない。筬欄間は、細い縦桟を機織りの筬のように密に並べた欄間で、視線を通しながら空間を仕切る。休憩・宿泊に供する座敷部分と、日常の生活空間とが明確に分けられている点は、長野原町の説明でも本建物の特徴として挙げられている。
屋根について、文化庁の登録は金属板葺とする。一方で町の説明は、地域色の濃い「板葺き石置屋根」の外観を残すとしている。寒冷な高原で広く用いられた葺き方で、現状の金属板の下に旧規の痕跡が残るということだろう。訪ねる際は、この二つの記述の差を頭に置いておくと外観の見え方が変わる。
明治には北白川宮能久親王がこの家に宿泊している。浅間の牧場開設に関わった時期のことである。当主の黒岩家(屋号は黒源)が、その後に親王の子の養育を託されたとも伝えられる。明治後半以降、この家でも養蚕が営まれた。
訪ねるにあたって
建物は長野原町の所有だが、資料館として運営されているわけではない。開館時間や受付はなく、内部は常時公開されていない。大字応桑字新田28-1の道路沿いから外観を見ることはできる。内部の見学を希望する場合は、長野原町教育課文化財係(電話 0279-82-4517)へ事前に問い合わせるとよい。公道からの外観撮影に制限はない。
アクセスは車か路線バスになる。鉄道ではJR吾妻線の長野原草津口駅が最寄りで、そこから車でおよそ30分。北陸新幹線の軽井沢駅からは国道146号を北上して40分ほどで、この道筋はかつての信州街道とほぼ重なる。
周辺には同じ街道の記憶をたどれる場所がいくつかある。狩宿関所跡の碑は近い。寛延4年(1751年)に狩宿村の人々が浅間越えの旅人の安全を願って建立した桜岩地蔵尊、そして分去茶屋を基点に一丁(約108メートル)ごとに立てられた丁杭式観音も、桜岩地蔵堂の境内に集められている。北へ足を延ばせば、平成18年(2006年)に登録有形文化財となった旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎がある。街道の時代を引き継いだ軽便鉄道の駅舎で、正面玄関の欄間には寄贈した法政大学を示す「H」の意匠が白く残る。
Q&A
- 旧狩宿茶屋本陣は見学できますか。内部公開や料金は?
- 長野原町の所有ですが観光施設として運営されておらず、内部は常時公開されていません。入館料の設定もありません。外観は道路沿いから見学できます。内部見学の可否は長野原町教育課文化財係(0279-82-4517)へお問い合わせください。
- 旧狩宿茶屋本陣の「茶屋本陣」とは、本陣とどう違うのですか。
- 本陣が大名一行の宿泊を担う公認施設であるのに対し、茶屋本陣は休憩と食事のために置かれた施設です。信州街道のような脇往還に多く設けられましたが、現存例は少なく、その希少性が今回の登録理由の柱になっています。
- 旧狩宿茶屋本陣はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
- 文化庁の登録では江戸後期(1751年から1830年ごろ)の建築で、明治18年(1885年)に増築、昭和48年(1973年)に改修されています。登録有形文化財となったのは平成30年(2018年)5月10日、登録番号は10-0342です。
- 旧狩宿茶屋本陣への行き方と最寄り駅を教えてください。
- JR吾妻線の長野原草津口駅から車で約30分、北陸新幹線の軽井沢駅から国道146号経由で約40分です。周辺の文化財とあわせて回るなら車が便利です。
- 旧狩宿茶屋本陣の見どころはどこですか。
- 外観では、二階の床と軒を出桁で張り出す出梁造りの構えです。内部を見る機会があれば、上手に並ぶ座敷三室と、柱にエンジュを用いた最奥の上段の間、中の間との境に入る筬欄間に注目してください。
基本データ
| 名称 | 旧狩宿茶屋本陣(きゅうかりやどちゃやほんじん) |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県吾妻郡長野原町大字応桑字新田28-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 10-0342/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 平成30年(2018年)5月10日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、金属板葺、建築面積172平方メートル。江戸後期(1751〜1830年ごろ)、明治18年増築、昭和48年改修 |
| 所有者 | 吾妻郡長野原町 |
| 公開状況 | 常時公開なし。外観は道路沿いから見学可。内部は長野原町教育課文化財係(0279-82-4517)へ要問い合わせ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 旧狩宿茶屋本陣
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012294
- 文化遺産オンライン — 旧狩宿茶屋本陣
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/566398
- 長野原町 — 文化財・伝統行事
- https://www.town.naganohara.gunma.jp/education/?content=90
- 文化庁 — 登録有形文化財(建造物)の登録について(平成30年3月9日)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/r1392281_30.pdf
最終更新日: 2026.08.08