岩盤を掘り抜いた湯

利根川をさかのぼり、その水源に近い群馬県みなかみ町の大穴。南を向いた崖から温泉が滲み出ていた。その源を求めて、人は岩盤そのものを掘り進めた。こうしてできたのが偲ぶの湯である。建物というより、延長約7メートルの素掘りのトンネルというべきもので、ヴォールト状の天井の奥に浴槽を据え、湧出口の直上で湯を受ける。源泉の湧き出す口とトンネル入口の周囲だけをコンクリートで補強し、それ以外は掘り広げたままの岩肌を残す。

この湯は、公益財団法人モラロジー道徳教育財団が管理する大穴記念館の一角にある。正式名称の「廣池千九郎大穴記念館偲ぶの湯(旧洞窟温泉)」が示すとおり、ここは廣池千九郎(1866〜1938)ゆかりの地だ。東洋法制史を切り拓いた法学者で、晩年をこの温泉で療養して過ごした。浴槽とトンネルが現在の形になったのは昭和12年(1937年)、その後の平成15年(2003年)に改修が加えられている。

洞窟の湯が登録された理由

令和7年(2025年)3月13日、偲ぶの湯は大穴・谷川両所の他3件とともに国の登録有形文化財となった。登録基準に挙げられたのは「再現することが容易でないもの」。この一句は、装飾ではなく工法を評価している。切妻の屋根なら大工が写せても、ある崖のある湯脈をたどって手で掘り抜いたトンネルは、誰にも再現できない。

廣池がこの山中に入ったのは、体をこわしていたからだった。晩年は自ら体温を保つことにも苦労し、綿入れとカイロで寒さをしのぎながら執筆を続けたと伝わる。登録はその背景ごと一つの湯を評価している。人を圧倒するために築かれた記念物ではなく、小さく、実用的で、きわめて私的な土木の痕跡。衰えゆく身で仕事を手放さなかった一人の学者の記録が、そこに残されている。

訪れて見るべきところ

トンネルの入口に立つと、その面白さはすぐに伝わる。仕上げられたコンクリートから掘り放しの岩へと、数歩のうちに切り替わり、湯気の匂いと空気の温度もそこで変わる。源泉はよそから引いたものではない。立っているその足下から湧く。トンネルがあの角度で曲がっているのも、湧出口をたどったためで、その屈曲は湯脈に沿っている。

湯は、対をなして登録された脱衣場のすぐ近く、そして昭和13年(1938年)6月に廣池が息を引き取った「臨終の間」からも歩いてすぐの場所にある。臨終の間は当時のまま保存され、見学できる。谷川・大穴の両記念館は入館無料で、開館はおおむね7時から16時。休館日は不定なので、谷から登る前に確認しておきたい。今の見どころは入浴ではなく、保存された構造物としてのトンネルそのものである。

Q&A

Q偲ぶの湯に実際に入浴できますか。
Aできません。営業する温泉ではなく、登録有形文化財として保存された構造物です。大穴記念館の一部としてトンネルと浴槽を見学します。
Q廣池千九郎とはどのような人物ですか。
A東洋法制史を開拓した法学者で、大正元年(1912年)に法学博士となりました。のちに道徳の科学的研究「モラロジー」を提唱し、晩年を大穴で療養して昭和13年(1938年)にこの地で亡くなりました。
Qいつ頃の湯ですか。
Aトンネルと浴槽が現在の形になったのは昭和12年(1937年)で、平成15年(2003年)に改修されています。登録は令和7年(2025年)3月です。
Qコンクリートはどこに使われていますか。
A源泉の湧出口とトンネル入口の周囲を補強しています。それ以外の通路は、岩盤を手で掘り広げたままの面を残しています。
Qアクセス方法は。
Aみなかみ町大穴地区にあり、利根川沿いから車で向かいます。入館無料、開館はおおむね7時から16時、休館日は不定のため事前確認をおすすめします。

基本情報

名称廣池千九郎大穴記念館偲ぶの湯(旧洞窟温泉)
所在地群馬県利根郡みなかみ町大穴字髙平735-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/令和7年(2025年)3月13日登録
登録番号10-0361
年代・改修昭和12年(1937年)/平成15年(2003年)改修
構造・員数コンクリート造、延長7.0m/1基
所有者公益財団法人モラロジー道徳教育財団
公開状況入館無料/開館おおむね7:00〜16:00、休館日不定

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 廣池千九郎大穴記念館偲ぶの湯
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015287
モラロジー道徳教育財団 — 登録の官報掲載について
https://www.moralogy.jp/post-44265/
モラロジー道徳教育財団 創立100周年サイト — 登録に関する新着情報
https://moralogy-100th.jp/news/100/
廣池千九郎記念館 — 公式サイト
https://www.hiroike-chikuro.jp/

最終更新日: 2026.07.04