堂々川砂留群とは
堂々川砂留群(どうどうがわすなどめぐん)は、広島県福山市神辺町の堂々川に江戸時代後期から築かれ、修理と嵩上げを重ねながら使われてきた石積の砂防堰堤の群で、このうち8基が平成18年(2006年)8月3日に国の登録有形文化財に登録された。
砂留(すなどめ)は、大雨のたびに山肌から押し出される砂や礫を谷の途中で受け止めるための堰堤である。水を貯めるダムとは役目が違う。水は堤を越えて流れ落ち、土砂だけが背後に溜まる。溜まった砂が川床の勾配をゆるめ、次の出水の勢いを削ぐ。堂々川の砂留は、築かれてから二百年近くたった今もこの働きを続けている。
登録された8基は、本流に下流から一番、二番と番号を振られた6基と、右岸の支谷に築かれた鳶ヶ迫砂留・内広砂留の2基からなる。登録番号は堂々川一番砂留の34-0075から内広砂留の34-0082まで連番で並び、8基とも所有者は国(国土交通省)である。
砂の川と福山藩の砂留
堂々川は神辺町東中条の東山に源を発し、芦田川の支川である高屋川へ注ぐ延長約4キロメートルの渓流である。広島県の砂防資料によると、流域はほとんどが白亜紀の黒雲母花崗岩と流紋岩で、花崗岩は深くまで風化して表土が流れ出しやすい。ふだんはほとんど水の見えない天井川が、ひと雨で砂を運ぶ暴れ川に変わる。
同じ資料は、寛永18年(1641年)の台風被害を憂えて福山藩主が家老にあてた文書に触れ、この頃から土砂災害が目立ちはじめたと記す。地元の住民団体、堂々川ホタル同好会がまとめた沿革には、さらに重い年が刻まれている。延宝元年(1673年)5月、谷の最上流にあった大原池の堤が長雨で切れ、土石流が下流の備後国分寺を呑み込んで63人が亡くなったと伝わる。
福山藩が堂々川で砂留の普請を進めたのは、この災害の後とみられている。同会は、元禄13年(1700年)の検地帳に「とうとう」の砂畑が書き上げられていることから、その頃にはすでに何らかの砂留があったと推測している。福山藩は領内の各地で同じような石積の堰堤を築いており、堂々川の8基はその代表的な例として残った。
本流の6基と支谷の2基
6基は谷の下流から上流へ番号順に並ぶ。文化庁の解説によれば、堂々川二番砂留は一番砂留の約180メートル上流、三番砂留はそこから約60メートル、四番砂留は約130メートル、五番砂留は約180メートル、六番砂留は約220メートル上流にある。一番から六番までは、およそ770メートルの区間に収まる。
規模には大きな幅がある。最下流の堂々川一番砂留は堤長9.6メートル、堤高3.2メートルの小さな遺構だが、五番砂留は堤高8.8メートル、最上流の六番砂留は堤長56メートル、堤高13メートルに達する。住所も谷の途中で変わり、一番砂留は湯野字トウトウ谷、二番から四番は湯野字迫山、五番と六番は西中条字トウトウ谷に属する。
築造年代は文化庁が基ごとに記録している。多くは江戸時代後期(1751年から1829年)とされ、三番砂留は天保3年(1832年)頃、五番砂留は天保6年(1835年)頃と年を絞って示されたものもある。どの基も明治期(1868年から1911年)か大正前期(1912年から1925年)に増築や改築を受けており、堤体のどこかに積み方の切り替わりが残っている。
支谷の2基は本流の番号の外にある。鳶ヶ迫砂留は五番砂留の上流で本流に合流する右支にあり、堤長39メートル、堤高11メートルと六番砂留に次ぐ高さをもつ。内広砂留は六番砂留の上流で合流する右支のさらに上流部にあり、堤長21メートル、堤高3.8メートル。文化庁はどちらも江戸時代後期の築造とし、鳶ヶ迫砂留には明治期と大正期の2度の増築を記録している。
登録の意味 ― 同じ谷で石積の変遷をたどれる
8基に共通する登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。1基ずつ見れば、大型の花崗岩を階段状に積んだ堤体、布積や谷積による嵩上げ、乱積の袖と算木積の隅といった構成に目が行く。8基を続けて見ると、同じ谷のなかで江戸後期の積み方と大正期の積み方がどう違うかを比べられる。文化庁が二番砂留について「石積技術の時代的特色を示す」と評しているのは、この点である。
いずれも過去の遺構ではなく、現役の砂防施設である。広島県の砂防資料は、平成28年(2016年)6月の梅雨前線豪雨で備後地域が被災した際にも、六番砂留が砂防の役目を果たしたと記している。
谷の歩き方と行き方
見学の拠点は、六番砂留の背後に溜まった堆砂敷を利用して造られた堂々公園である。堂々川ホタル同好会によると、広島県が昭和51年(1976年)に親水公園として整備し、その後福山市が管理している。延長344メートルの野面石の石組み水路と刈り込みの植栽があり、広島県観光連盟の案内では年中無休、入園無料、駐車場は約50台分とされている。
公園から六番砂留の天端に出ると、13メートルの高低差を上から見下ろすことになる。そこから流れに沿って下流へ向かい、五番、四番と順にたどれば、谷の中で堰堤の規模や積み方がどう移り変わるかがよくわかる。一番から四番は湯野側の集落に近い。河原や谷沿いの道は雨のあとにぬかるむことがあるので、歩きやすい靴で出かけたい。
鳶ヶ迫砂留と内広砂留は、本流を離れて右岸の支谷に入った先にある。堂々川ホタル同好会によると、内広砂留は公園のトイレの北西側にあたる。支谷の道は整っておらず、雨のあとは沢筋が滑りやすい。
車なら山陽自動車道の福山東インターチェンジから約20分。公共交通では、JR福塩線の神辺駅からタクシーで約15分、JR福山駅から井笠バス(福山と井原を結ぶ路線)で約35分の「湯野入口」で降りて徒歩約20分、井原鉄道井原線の湯野駅から徒歩約30分である(いずれも広島県観光連盟の案内による。2026年9月確認)。
8基とも屋外の河川施設で、見学に料金や予約は要らない。撮影を制限する公式の案内は見当たらないが、堤体の天端や水通に立ち入ることは避けたい。
ホタルと彼岸花の季節
堂々川ホタル同好会は、河原の清掃や草刈り、ホタルの幼虫の餌になるカワニナの放流を続けてきた。6月の夜には砂留の前をホタルが飛ぶ。秋は彼岸花の季節で、同会は赤だけでなく白や黄色の株も植え育てている。
石積そのものを観察したいなら、草が枯れて石の目地が見えやすくなる冬から早春が向いている。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川一番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005660
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川二番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005661
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川三番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005662
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川四番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005663
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川五番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005664
- 国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川六番砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005665
- 国指定文化財等データベース(文化庁)鳶ヶ迫砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005666
- 国指定文化財等データベース(文化庁)内広砂留
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005667
- 広島県砂防課 歴史的砂防施設 堂々川砂留群の状況(堂々川6番砂留)
- https://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/map/AreaInfoDetail.aspx?id=187
- Dive! Hiroshima(広島県観光連盟)堂々川の砂留と堂々公園
- https://dive-hiroshima.com/explore/1622/
- 堂々川ホタル同好会 堂々川の歴史
- https://dodogawa.com/history.php
- 堂々川ホタル同好会 堂々川の砂留
- https://dodogawa.com/sunadome.php
- 日本水環境学会 水環境文化賞 受賞団体紹介(堂々川ホタル同好会)
- https://jswe.or.jp/awards/bunka/pdf/2019mizubunka_1ds.pdf
最終更新日: 2026.09.24
基本情報
| 名称 | 堂々川砂留群 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県福山市神辺町湯野・西中条 |
| 所有者 | 国(国土交通省) |
| 指定 | 登録有形文化財 8件 |
| 座標 | 34.56893, 133.39178 |