堂々川二番砂留とは

堂々川二番砂留(どうどうがわにばんすなどめ)は、広島県福山市神辺町湯野字迫山にある江戸時代後期の石積堰堤で、大正前期に改築を受け、平成18年(2006年)8月3日に国の登録有形文化財に登録された。

一番砂留の約180メートル上流に位置し、堤長26メートル、堤高3.9メートル。高さは控えめだが、谷幅いっぱいに堤を渡した姿を見られるのは、下流からたどるとこの砂留が最初になる。登録番号は34-0076、所有者は国(国土交通省)である。

登録の理由 ― 一つの堤に二つの時代の積み方

文化庁が堂々川二番砂留について評価しているのは、異なる石積の構法が一つの堤に並び、石積技術の時代的な特色を示している点である。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。

西袖部の壁体は大きさの揃わない石を組む乱積で、隅部は長辺と短辺を交互に見せて積む算木積で固めている。その東側は、石を斜めに据える谷積の壁体になり、その前面に、上へわずかに膨らむ「むくり」をつけた石積の躯体が腹付けされている。この躯体は、堤を越えて落ちる水を受けて足元の洗掘を防ぐ水叩の役目をもつ。

文化庁は当初の築造を江戸時代後期(1751年から1829年)、改築を大正前期(1912年から1925年)としている。乱積と算木積の西袖に古い積み方が残り、谷積とむくりのついた前面に後の手が入っている、という読み方が文化庁の記述と素直に合う。

見どころ

見比べたいのは西袖と東側の境目である。西袖では石の形も大きさもまちまちで、横目地が通らない。東へ移ると、石が菱形に傾いて並ぶ谷積に変わり、その前に丸みを帯びた石積が張り出す。同じ堤の上で積み方が切り替わる場所を探すと、堂々川二番砂留が改築を経てきた経緯が見えてくる。

堂々川二番砂留と四番砂留では福山市による発掘調査が行われ、2019年度の広島史学研究会考古部会で報告されている。地中に埋もれた基礎の姿がどこまで分かったかは、報告の公表を待ちたい。

堂々川ホタル同好会によると、一番砂留とのあいだには近代のコンクリート製砂防堰堤があり、1965年には完成していたとみられる。二番砂留の上流側では岩盤が露出し、流れが速く、岩盤に甌穴が見えるという。同会は、2018年7月の豪雨で水が二番砂留の堤を越えたと記録している。

見学方法

堂々川二番砂留は屋外の河川施設で、料金や予約は要らず、いつでも岸から見学できる。堤の上や水通には立ち入らない。撮影を制限する公式の案内は見当たらない。

西袖の乱積と算木積は、下流側から堤の西端を見上げる位置でよく見える。むくりのついた前面は、東側から斜めに見ると膨らみが分かりやすい。上流側の岩盤は雨のあと滑りやすいので、河原へ下りるときは足元に気をつけたい。谷への行き方と駐車場は堂々川砂留群のページにまとめてある。

Q&A

Q堂々川二番砂留の大きさはどのくらいですか?
A堤長26メートル、堤高3.9メートルです。一番砂留の約180メートル上流にあります。
Q堂々川二番砂留はいつ造られ、いつ改築されたのですか?
A文化庁は江戸時代後期(1751年から1829年)の築造とし、大正前期(1912年から1925年)に改築されたと記録しています。
Q堂々川二番砂留の見どころはどこですか?
A西袖部の乱積と隅の算木積、東側の谷積の壁体と、その前面に付けられたむくりのある石積です。一つの堤で積み方が切り替わる場所を探してみてください。
Q堂々川二番砂留は見学できますか?料金は必要ですか?
A屋外の河川施設で、料金や予約なしにいつでも岸から見学できます。堤の上や水通には立ち入らないでください。
Q堂々川二番砂留で発掘調査は行われていますか?
A福山市が二番砂留と四番砂留の発掘調査を行い、2019年度の広島史学研究会考古部会で報告しています。

基本情報

名称堂々川二番砂留(どうどうがわにばんすなどめ)
所在地広島県福山市神辺町湯野字迫山
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成18年(2006年)8月3日登録
員数1基
寸法堤長26メートル、堤高3.9メートル
所有者国(国土交通省)
公開状況屋外。常時見学可、無料

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)堂々川二番砂留
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005661
広島史学研究会 考古部会 発表要旨(2019年度)
https://kouko.hiroshima-u.ac.jp/publication/pdf/2019shigakukoukobukai.pdf
堂々川ホタル同好会 堂々川の砂留
https://dodogawa.com/sunadome.php

最終更新日: 2026.09.24