耕三寺鐘楼とは
耕三寺鐘楼は、広島県尾道市瀬戸田町の耕三寺の下段に建つ昭和15年(1940年)の鐘楼で、2003年(平成15年)に登録有形文化財となった。羅漢堂の東側背面に位置し、西側背面の鼓楼と対をなす。
桁行3間、梁間2間の規模で、入母屋造、本瓦葺とする。木造平屋建、瓦葺で建築面積は31平方メートル。下部に白漆喰塗の袴腰を備え、上部には高欄を持たない縁を張り出す。上層内部は中央部を吹き抜けとし、両側に床を張る。
原型は奈良・新薬師寺の鐘楼である。寺は、この二楼が耕三寺の堂塔のなかでは早い時期のもので、同時期の建物が原作から離れることの多いなかで、おおむね忠実に造られたと説明している。
登録有形文化財としての価値
耕三寺鐘楼の登録基準は「再現することが容易でないもの」である。袴腰付きの鐘楼という形式を、白漆喰の塗り面と木部の取り合いを含めて成立させている点が評価された。
ただし忠実な写しではない。寺は、袴腰に少し反りを加え、中備を増やし、彩色を華やかにしていると具体的に挙げ、これらを開山の価値観による意図的な変更だとしている。単なる模作ではないと寺自身が断っているのは、耕三寺の堂塔全体に共通する姿勢である。
登録日は2003年9月19日、登録番号は34-0046。対をなす鼓楼は34-0047で、番号も隣り合う。
見どころ
耕三寺鐘楼で最初に目が行くのは袴腰である。白漆喰の面が裾へ向かって広がり、その上に木部の層が載る。寺が「少し反りを加えた」と書いているのはこの面の輪郭で、真横から見ると直線ではなくわずかに曲がっているのが分かる。
上層の縁には高欄がない。手すりのない縁が回るだけなので、上層の輪郭は水平線が一本増えるだけの簡潔な形になる。高欄付きの鐘楼を見慣れた目には、この省略が軽さとして映る。
上層内部は中央を吹き抜けとし、両側に床を張る。鐘を吊る中央だけを空けた造りで、外からでも組物の隙間から内部の高さを想像できる。
対をなす鼓楼と見比べるのも耕三寺鐘楼の楽しみ方になる。同じ寸法、同じ形式で建てられているが、1階の床の造りが違う。二棟を続けて見ると、対にするという方針と、細部で差をつける操作の両方が見えてくる。
見学方法
耕三寺鐘楼は内部が非公開で、上層に上がることはできない。見学は外観に限られる。
羅漢堂の東端を回り込んだ位置に立つと、袴腰から上層までが一度に収まる。木立が近いため、引いて全体を撮りたい場合は立ち位置を選ぶ必要がある。上層の組物を見るなら、真下ではなく少し離れて見上げたほうが、二軒の垂木まで視野に入る。
撮影は個人で楽しむ範囲と個人のSNSやブログへの掲載が認められている。営利目的での無断使用は認められていない。開館時間や入館料は耕三寺のページにまとめてある。
よくある質問
- 耕三寺鐘楼に上がれますか?
- 上がれません。内部は非公開で、見学は外観に限られます。
- 耕三寺鐘楼と鼓楼はどう違うのですか?
- 同じ寸法、同じ形式で建てられた対の建物ですが、1階の床の造りが異なります。鐘楼は羅漢堂の東側背面、鼓楼は西側背面に建ちます。
- 耕三寺鐘楼は何を模していますか?
- 奈良・新薬師寺の鐘楼です。ただし袴腰に反りを加え、中備を増やし、彩色を華やかにする変更が加えられています。
- 耕三寺鐘楼の規模はどれくらいですか?
- 桁行3間、梁間2間で、建築面積は31平方メートルです。入母屋造、本瓦葺で、白漆喰塗の袴腰が付きます。
- 耕三寺鐘楼はいつ建てられましたか?
- 昭和15年(1940年)です。2003年9月19日に登録有形文化財となりました。
基本データ
| 名称 | 耕三寺鐘楼 |
|---|---|
| 所在地 | 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 2003年(平成15年)9月19日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積31平方メートル |
| 所有者 | 宗教法人耕三寺 |
| 公開状況 | 外観は開館時間内に見学可、内部は非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース 耕三寺鐘楼(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003588
- 堂塔のご案内(耕三寺博物館)
- https://www.kousanji.or.jp/map.html
- 写真等の撮影について(耕三寺博物館)
- https://www.kousanji.or.jp/news/photograph-manners/
最終更新日: 2026.09.14