江別古墳群 ― 北海道にただ一つ残る古墳

江別市元江別、旧豊平川を見下ろす丘陵の縁に、低い土の高まりが点在している。野幌丘陵の北西端にあたるこの台地に残るのは18基の古墳である。墳丘の多くはすでに削られ、いちばん大きなものでも腰の高さほどしかない。説明板がなければ、ただの草地と見分けがつかないかもしれない。それでもこの場所は、ある墓制が北へ広がった果ての地であり、北海道で現存する唯一の古墳でもある。

築かれたのは8世紀後半から9世紀半ばにかけて。この年代が重要なのは、いわゆる古墳時代(おおむね3世紀~6世紀)の墓ではないからだ。近畿を中心に巨大な前方後円墳が営まれた時代の文化は、北海道には及ばなかった。江別の古墳は、それより後の時代に東北地方から北上してきた小型円墳の群れ、すなわち擦文文化前半期に位置づけられる「末期古墳」と呼ばれる系譜に属している。

一人の教師による発見

遺跡が知られるようになったのは昭和6年(1931年)である。地元の小学校教師であった後藤寿一が古墳の存在に気づき、16基を記録した。以後、この場所は長く後藤遺跡と呼ばれた。のちに考古学者の後藤守一が、この種の墓を「北海道式古墳」と名づけ、その呼び名が学界に定着していった。

全体像が明らかになったのは昭和55年(1980年)の再調査による。道路工事に伴う発掘で21基が確認され、うち3~5号墳の3基は江別インター線の工事で失われたが、18基が保存された。これが現在の指定地である。

調査の時点で墳丘の盛り土はほとんど失われており、本来の姿は周溝と後藤の旧記録から復元するほかない。古墳は径3~10メートル、高さ0.3~1メートルほどの円形あるいは長円形の低い墳丘で、周囲を浅い溝がめぐる。溝には円形に閉じるものと、一端が開いた馬蹄形のものがある。その規模から、径8~10メートルの大型、5~7メートルの中型、5メートル未満の小型に分けられている。

墓に納められたもの

主体部が確認されたのは1号・13号・15号の3基である。なかでも15号墳がもっとも明瞭だ。長径約7メートル、短径約5メートルで、馬蹄形の周溝がめぐる。墳丘中央を掘り下げた長さ2.1メートル、幅0.7メートルの長方形の墓坑は、北西から南東に主軸をとっていた。内部には木棺の痕跡があり、南東部には歯と頭蓋骨の痕が残る。そのかたわらから出土した鉄製品は、蕨手刀の柄の一部とみられている。柄の頭がわらびの若芽のように内へ巻き込む、北方に多い片刃の刀である。

径10メートルの1号墳は深さ約2メートルの周溝に囲まれていたが、主体部は攪乱を受け、位置のみが確認された。周溝からの出土品は雄弁だ。把手が一対つく須恵器の坏、内側が黒く焼かれた土師器の坏や甕、鉄鏃、鉄製の刀子、鉄鋤の先、土製の紡錘車。後藤による最初の調査では、耳環や勾玉も見つかっている。

歴史を読み解く鍵は一点に絞られる。須恵器は地元の産ではなく、本州から運び込まれたものだった。鉄製品の多くもおそらく同じ経路をたどっている。ここに葬られた人々は、南の地域と確かなつながりを持っていた。

なぜ史跡に指定されたのか

径10メートル前後の円墳が群がるこの種の古墳は、7~9世紀の東北地方北部に広く分布することが知られている。墳丘の形、墓坑の構造、副葬品のいずれをとっても、江別古墳群はその東北北部の系譜とよく一致する。律令国家の支配が及んだ東北南部と、直接の支配が届かなかった北方の地域とが接触を重ねるなかで成立した墓制と考えられる。

北海道内では、こうした群集墳は石狩川の流域にほぼ限られて分布していた。かつて3か所が確認されたが、うち2か所はすでに失われ、いま残るのは江別の18基だけである。この古墳群は、墓制の北限を示す現存唯一の遺跡であり、8~9世紀に北の地と律令社会とがどのように交わったかを考えるうえで欠かせない手がかりとなる。こうした学術的価値の高さと希少性から、平成10年(1998年)9月11日に国の史跡に指定された。

訪ねるにあたって

古墳群は元江別の交通量の多い交差点の角にあり、入口はそっけない。説明板の脇に階段があるだけで、上に古い史跡があるとは気づきにくい。古墳のそばに駐車場はないため、車の場合は世田豊平川を渡って徒歩10分ほどの江別市リサイクルバンクの駐車場を利用する。江別西インターチェンジからは江別インター線を東へ約3キロ、車で5分ほどである。

公共交通でのアクセスは不便で、最寄り駅から距離があり、バスの便も限られる。タクシーで向かう人が多い。訪れる時期も選びたい。雪解け直後の春先か晩秋であれば、草が短く、低い墳丘と周溝の輪郭が読み取りやすい。夏になると草が伸び、低い高まりはほとんど隠れてしまう。

出土した副葬品は現地にはない。江別市緑町西にある江別市郷土資料館に収蔵・展示されており、刀剣や土器、鉄製品を間近に見て、発掘の経緯まで知るにはこちらを訪ねるのがよい。

Q&A

Qこれは古墳時代の古墳ですか。
Aいいえ。3~6世紀の古墳時代は近畿を中心とした文化で、北海道には及びませんでした。江別古墳群はそれより数世紀あとの8世紀後半~9世紀半ばに築かれたもので、東北地方から北上した小型の群集墳という別系統の墓制に属します。
Q現地では何が見られますか。
A草地に残る低い墳丘と、円形や馬蹄形の周溝の輪郭、そして入口の説明板です。遺構そのものは控えめです。副葬品を見るなら、刀剣や土器などを展示する江別市郷土資料館へ足を運んでください。
Qいつ訪れるのがよいですか。
A雪解け直後の春先か晩秋がおすすめです。草が短く、墳丘の形や周溝が見分けやすくなります。夏は草が伸びて遺構が隠れがちです。
Q誰が葬られたのですか。
Aまだ解明されていません。本州から運ばれた須恵器や鉄刀などの副葬品から、律令支配下の南の地域と深く関わった人々と考えられていますが、被葬者が具体的に何者か、なぜこの墓制が道央部にだけ及んだのかは、いまも研究が続いています。
Q車がなくても行けますか。
A公共交通は不便で、最寄り駅から距離があり、バスの便も多くありません。最寄りのJR駅からタクシーを使う人が多いようです。訪問前に最新の交通手段を確認することをおすすめします。

基本情報

名称江別古墳群(えべつこふんぐん)
所在地北海道江別市元江別858番地の4
指定区分国指定史跡(平成10年〔1998年〕9月11日指定)
時期8世紀後半~9世紀半ば
現存基数18基(昭和55年に21基確認)
墳丘の形円形・長円形、径3~10メートル、高さ0.3~1メートルほど。円形または馬蹄形の周溝をもつ
主な出土品蕨手刀の柄の一部、須恵器、土師器、鉄鏃・刀子・鉄鋤先、耳環、勾玉ほか
副葬品の展示江別市郷土資料館(江別市緑町西1丁目38番地/電話 011-385-6466)
アクセス江別西ICから東へ約3キロ。現地に駐車場なし(徒歩約10分の江別市リサイクルバンク駐車場を利用)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「江別古墳群」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3205
江別市公式ホームページ「史跡(国指定)」
https://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/site/kyouiku/2925.html
北海道縄文のまち連絡会「江別古墳群」
http://www.jomon-town.org/site/江別古墳群/

最終更新日: 2026.05.29