特殊な鉄製炭車が丘を貫いて走った スキップ隧道

その名は七十年あまり残り続けている。地元の人々は今もこの直線状のコンクリートの隧道を「スキップ隧道」と呼ぶ。かつてここを走った珍しい鉄製の炭車にちなんだ名である。鉱業でいうスキップとは、人ではなく岩石を運ぶために造られた重い鋼製の車で、しばしば急勾配の軌道を傾けたり巻き上げたりして使われた。夕張の高松ズリ捨線では、廃石を積んだスキップがこの隧道を抜け、市内最大のズリ山へと向かった。やがて運行は途絶えたが、名前だけはそのまま生き残った。

構造は素朴で直截である。隧道は七十三メートルを一直線に貫き、幅は五・五メートル、コンクリート造で両端をコンクリートの坑門が締めくくる。装飾も手の込んだ意匠もない。地面の高まりを廃石の軌道がまっすぐ抜けていく、その一つの役目のために掘られており、その意図がそのまま形に表れている。

連なりの一環として、二〇〇六年に登録

スキップ隧道は平成十八年(二〇〇六年)十月十八日、登録番号01-0075として登録有形文化財に登録された。同じズリ捨線に属する拱橋やベルト隧道の坑門とともに登録されている。築造は昭和二十六年(一九五一年)で、北炭夕張炭鉱における戦後の処理設備整備の一環だった。登録上は産業二次の土木構造物に分類され、保護の理由は構造物の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とされる。

この隧道を理解するには、それが属した路線を理解する必要がある。高松ズリ捨線は総延長およそ八百メートルにわたり、廃石を運ぶ二つの方法、すなわちスキップ車とベルトコンベアを組み合わせていた。スキップ車はこの隧道を通り、ベルトコンベアはさらに西方の別の隧道を通った。いずれも同じ、刻々と高くなるズリの山へと注がれた。この仕組みは昭和五十二年(一九七七年)の夕張炭鉱の閉山まで使われ、ここに積まれたズリが市内最大の高松のズリ山となって、地元の地平線になじみ深い形を加えた。

隧道で見ておきたい点

片方の坑門に立って向こうを覗いてみたい。七十三メートルの直線は、反対側の端に明るい長方形の光をきれいに切り取るほど直線的で、ここが荒削りの坑道ではなく精度を要した施設であったことを思い起こさせる。両口のコンクリート坑門が隧道の輪郭を明確にしており、角ばって機能的な、装飾ではなく工学として読める仕上げになっている。

この隧道は七連の拱橋から東へ約百四十メートルの位置にあり、両者は徒歩で容易につなげられる。ベルト隧道の坑門はさらに西方に残る。現存する遺構を順にたどって歩くと、廃石が丘また丘を越えてズリ山へ向かった経路が実感できる。スキップ隧道はその旅程が地下に潜った地点であり、地面を貫く直線の暗がりは、この仕組みのなかで最も橋らしくなく、最も通路らしさを感じさせる部分である。

Q&A

Q「スキップ」とは何で、なぜ隧道の名になったのですか。
Aスキップは、人ではなく岩石を運ぶために造られた重い鋼製の車です。この隧道を走った廃石用の車がスキップと呼ばれ、その名が今も地元で使われ続けています。
Q隧道の規模はどれくらいですか。
A長さ七十三メートルを一直線に貫き、幅は約五・五メートルです。コンクリート造で、両端にコンクリートの坑門を構えています。
Qベルト隧道とはどういう関係ですか。
Aどちらも同じ高松ズリ捨線に属します。スキップ車はこの隧道を、ベルトコンベアは西方の別の隧道を通り、ともに同じズリ山へ廃石を運びました。
Qズリ捨線はいつまで使われたのですか。
A昭和五十二年(一九七七年)の夕張炭鉱の閉山まで使われました。ここに積まれた廃石が市内最大の高松のズリ山となりました。
Qいつ文化財に登録されたのですか。
A平成十八年十月十八日に登録番号01-0075として登録されました。高松ズリ捨線の他の現存遺構と同じ回の登録です。

基本情報

名称旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線スキップ隧道
所在地北海道夕張市高松
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録年月日 平成十八年十月十八日 登録番号 01-0075
年代昭和二十六年(一九五一年)
構造直線状のコンクリート造隧道 延長七十三メートル、幅五・五メートル 両端にコンクリート造坑門
員数一基
公開状況高松地区の屋外遺構。現地の最新情報を確認のこと

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005709
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/118787
夕張市の国指定登録有形文化財(夕張市)
https://www.city.yubari.lg.jp/soshiki/14/1706.html

最終更新日: 2026.06.25