穂別の谷に建った、開拓者の家
旧中村平八郎家住宅主屋(きゅうなかむらへいはちろうけじゅうたくしゅおく、現在は中村記念館として公開)は、北海道勇払郡むかわ町穂別にある大正期の木造住宅で、平成13年(2001年)8月28日に国の登録有形文化財に登録された。
訪ねる前に、ひとつ確認しておきたいことがある。この建物は、建てられた場所には建っていない。文化庁のデータベースが記す所在地「穂別458」はニサナイの谷にあたり、いま行っても林が広がるだけである。平成15年(2003年)10月に解体工事が始まり、翌16年11月、町立博物館の隣地で移設復元工事が終わった。
中村平八郎は、新潟県高田城下の下小町(現在の上越市)で中村屋という問屋を営んでいた。北海道の石油調査のため明治24年に来道し、苦労の末に穂別で良質の石油を掘り当て、明治26年、この地に移り住む。谷に本格的な農業移民が入るより早い時期のことだった。石油業はおよそ17年続き、その後は農業と木炭業に転じている。村役場の総代人、村会議員、農会の評議員から会長へと、小さな村で人望を集めた者に回ってくる役職を順に引き受けた。昭和27年9月26日に没し、村葬が営まれている。
邸宅の普請は大正10年3月に起工、同年9月26日に上棟し、大正13年4月に竣成した。工匠は中島助次郎。材はすべて中村家がマコップ沢に所有していた30町5反の牧場から伐り出した。使われた材積は900石以上、およそ162.4立方メートル。建築作業には延べ1,050人が携わっている。上棟の日付と平八郎の命日が同じ9月26日であるのは、記録を並べて初めて気づく偶然にすぎないが、この家が一代の仕事だったことを思わせる符合ではある。
登録の理由と、町が下した判断
適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」。登録が対象とするのは一棟の箱ではなく、複数の建物からなる構えである。中核は鉄板葺、片入母屋造、平屋建の主屋で、玄関の庇は表面がふくらむ起り屋根とする。玄関の左手には鉄板葺、切妻造、2階建、下見板張の洋館が接続し、主屋の右手後方には附属屋が置かれる。登録原簿上の構造は木造2階建、鉄板葺、建築面積222平方メートル。
和館に下見板張の洋館を添える構えは、明治から大正の日本では珍しい発想ではない。ただし北海道の内陸部となると話は別で、資金も腕の立つ大工も限られていた。文化庁の評価もそこを突いている。北海道内陸部における大正期の邸宅建築がどのようなものであったかを知る手掛かりとして貴重、というのが登録時の判断である。
むかわ町の記録には、国のデータベースが書かない評価がもう一段ある。寄贈を受けた当時、建物の老朽化はかなり進んでいた。それでも保存に踏み切ったのは、北海道開拓期の下見板張洋館住宅の形をよく保っていたこと、手工芸に凝らない骨太で直線的な造りであること、そして内部外部ともに広葉樹を多用し、材料の吟味と施工の質がうかがえたことによる。彫刻や細工ではなく、材と仕口の確かさが決め手になった。
寄贈そのものも、この建物の履歴の一部である。平成6年、平八郎の長男・耕平の夫人である中村ミトリが、「自然豊かな森として、中村家の名跡とともに後世に残す」として、建物と一帯の土地約31ヘクタールを穂別町に寄贈した。耕平は明治31年の生まれ。大正期に渡欧して各地を視察し、デンマークで1年間酪農を学んで帰国している。消防組頭、警防団長、農協組合長、村議5期を経て昭和31年8月に村長へ。穂別村最後の村長であり穂別町最初の町長として、昭和47年8月まで4期16年を務めた。一民家を自治体が解体して組み直すという判断は、当時、道内外の関係者の注目を集めたという。
公開期間と、見るべきところ
公開は期間が限られる。町の案内では、開設期間は4月第3土曜日から8月31日まで、観覧時間は午前10時から午後3時まで、観覧料は無料とされている。開館日は隣接する博物館に準じるが、この博物館の休館日は曜日固定ではなく月ごとに散らばるため、遠方から向かうなら電話で確かめてから動きたい。問い合わせ先は0145-45-3141。以前は午前9時30分から午後4時30分までと案内されていた時期もあり、時間割は何度か改められている。ネット上で見かける数字は暫定と考えてよい。
洋館部1階の洋室は「町民ギャラリー」として町内の文化サークルに無料開放されているため、壁に掛かるものは訪れるたびに変わる。それ以外の部分は、ゆっくり歩くほど手応えがある。針葉樹で済ませられたはずの床板、柱、開口部の枠に、わざわざ広葉樹が使われている。囲炉裏もそのまま残る。移設復元にあたっては解体材をできるだけそのまま用い、傷みの激しい部分だけを新材に替えたので、木肌と色を見比べれば新旧の境目を追うことができる。
隣は、むかわ町穂別恐竜博物館。旧穂別町立博物館として昭和57年に設立され、平成18年にむかわ町穂別博物館、令和8年(2026年)4月から現在の名称になった。全長8メートルのカムイサウルス・ジャポニクス、通称むかわ竜は、主に2013年と2014年にこの地区で発掘され、2019年に新属新種として発表されている。1977年に町民が中心となって掘り出した首長竜ホベツアラキリュウも展示されている。大正の邸宅と恐竜が同じ駐車場を共有しているというのは妙な取り合わせだが、半日の行程としては効率がよい。
穂別は太平洋岸から内陸に入った位置にある。道東自動車道のむかわ穂別インターチェンジから国道274号へ、というのが車での基本経路になる。撮影の可否は公表されていないので、受付でひとこと尋ねるのが確実である。
Q&A
- 旧中村平八郎家住宅主屋(中村記念館)は見学できますか。料金と時間は?
- 期間限定で見学できます。町の案内では開設期間は4月第3土曜日から8月31日まで、観覧時間は午前10時から午後3時まで、観覧料は無料です。開館日は隣のむかわ町穂別恐竜博物館に準じ、休館日が月ごとに変わるため、0145-45-3141へ事前に確認してください。
- 旧中村平八郎家住宅主屋はいまどこにありますか。公式の住所と違うのはなぜですか。
- 文化庁のデータベースは建築当初の所在地であるむかわ町穂別458を記載しています。建物自体は平成15年10月に解体され、平成16年11月に町立博物館の隣地(穂別80番地2他)へ移設復元されました。カーナビは博物館を目的地にしてください。
- 旧中村平八郎家住宅主屋の建築年はいつですか。
- 文化庁のデータベースは年代を大正11年(1922年)としています。むかわ町の記録はより詳しく、大正10年3月起工、同年9月26日上棟、大正13年4月竣成と記します。どちらの数字も公刊されているため、資料によって表記が食い違います。
- 旧中村平八郎家住宅主屋は何が評価されて登録有形文化財になったのですか。
- 北海道内陸部における大正期の邸宅建築を知る手掛かりとして貴重である、というのが登録時の評価です。平屋建の和風主屋に2階建・下見板張の洋館を組み合わせた構えが、内陸の開拓地では希少でした。適用基準は「造形の規範となっているもの」です。
- 旧中村平八郎家住宅主屋とあわせて回れる場所はありますか。
- 隣接するむかわ町穂別恐竜博物館が第一候補です。カムイサウルス・ジャポニクスの実物化石と全身復元骨格が展示されています。町内には同じ平成13年に登録された旧国鉄富内線の富内駅舎とプラットフォームも残ります。
基本情報
| 名称 | 旧中村平八郎家住宅主屋(きゅうなかむらへいはちろうけじゅうたくしゅおく)/中村記念館として公開 |
|---|---|
| 所在地 | 北海道勇払郡むかわ町字穂別458(登録原簿の所在地)/建物は穂別80番地2他へ移設 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 01-0034 |
| 指定年 | 平成13年(2001年)8月28日登録、同年9月14日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、鉄板葺、建築面積222平方メートル |
| 所有者 | 穂別町(現・むかわ町) |
| 公開状況 | 4月第3土曜日から8月31日まで公開、午前10時から午後3時、観覧無料。開館日は隣接博物館に準じる。問い合わせ 0145-45-3141 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 旧中村平八郎家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002193
- 文化遺産オンライン — 旧中村平八郎家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/182103
- むかわ町 — 中村記念館
- https://www.town.mukawa.lg.jp/2452.htm
- むかわ町 — 穂別恐竜博物館 開館・休館日
- https://www.town.mukawa.lg.jp/2402.htm
最終更新日: 2026.08.27