石狩湾を見下ろす丘の上の鰊漁家
銀鱗荘旧本館(旧猪俣家住宅)は、北海道小樽市桜一丁目にある明治後期の鰊漁家建築で、令和5年(2023年)2月27日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
ただし、この丘に建てられたわけではない。もとは同じ日本海側の余市町にあった、鰊の大網元・猪俣安之丞の邸宅である。文化庁のデータベースは年代を明治後期(1898〜1912年)とし、運営者や地元の記録には明治33年(1900年)竣工、工期3年とする説明も見える。
西面に回ると、まず軒の反りが目に入る。角に向かってせり上がるその曲線は、漁家というより社寺建築の手つきである。実際、猪俣が郷里の越後から宮大工の米山仙蔵を招いて普請させたと伝わっており、大工は自分の知る流儀で仕事をしたということになる。
移築は昭和13年(1938年)。当時の小樽では実業家・野口喜一郎による東小樽地区の宅地開発が進んでおり、その象徴として旧猪俣邸が平磯岬の高台へ運ばれた。翌昭和14年から旅館として営業を始めている。「銀鱗荘」の名は、時の北海道庁長官・石黒英彦によるものと伝わる。
なぜ登録されたのか
北海道には鰊漁で栄えた時代の建物が他にも残っている。その多くは鰊番屋、つまり親方一家と季節雇いの漁夫が同じ屋根の下で寝起きし、双方の生活空間を土間で区切る形式のものだ。猪俣家はそうではなかった。小樽市の文化財担当が示す説明によれば、この家では親方の住まいと漁夫の住まいを完全に切り離しており、現在「旧本館」と呼ばれる部分は親方専用の母屋にあたる。
ここが登録の核心である。これほどの規模の親方専用住宅は、道内に他の例がない。国のデータベースが挙げる登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、岬の上に載ったこの建物の輪郭は、海岸道路からも海上からもよく見える。
登録上の構造は木造3階建、瓦葺、建築面積420平方メートル。一方で文化庁の解説文はもう少し細かく、移築部を木造二階建、平入、望楼付とする。望楼は網元が鰊の群来を見張るために設けた屋上の物見で、登録上の「3階」はこれを階数に数えたものとみられる。移築部の内部には六間取りの広間があり、そこに二間半、およそ4.5メートル幅の神棚が据わる。サンルームを備えた地階付平屋の増築部が後に加わり、これも登録範囲に含まれる。
登録有形文化財は重要文化財より緩やかな制度で、外観を大きく変える際に届け出を求める代わりに、建物を使い続けることを認める。銀鱗荘が株式会社ニトリの所有のもと現役の旅館として動いているのは、この制度と相性がよいからでもある。凍結保存ではなく、日々人が出入りすることで内部が保たれている。
見どころ
玄関に入ると、まず木が迫ってくる。吹き抜けに渡るトドマツやタモの梁は、必要な支間から考えれば明らかに太い。網元が豊漁を誇るとはそういうことだった。軸部にはクリやハリギリも使われている。
正面の壁の足元にも目をやりたい。腰羽目には海外から取り寄せた大形の花崗岩が用いられている。輸送手段の限られた時代に、この寸法の石を北海道の漁港まで運ぶのは並の手間ではない。玄関先に立った客がその意味を読み違えることはなかっただろう。
大広間では神棚が目を引く。豊漁祈願のためのもので、二間半という寸法はそのまま願いの大きさに対応している。広間の畳数について小樽市は50畳とし、雑誌記事には75畳とするものもある。数字は一つに絞らず、方向感覚を失うほど広い、とだけ受け取っておくのがよい。
造作は時間をかけて見る価値がある。数寄屋の意匠が随所に混ざり、シャレ木や変木といった、まっすぐさより風合いで選ばれた材が使われている。本州の型どおりではない、北海道らしいモチーフも紛れ込んでいる。
銀鱗荘は料亭湯宿であって博物館ではない。拝観券はなく、敷地を自由に歩けるわけでもない。内部を見るには宿泊するか、食事を予約するか、日帰り入浴プランが出ている時期にそれを利用するかになる。いずれも事前予約が必要だ。宿泊できる鰊御殿は国内でここだけとされ、それ自体が来訪の理由になっている。将棋のタイトル戦の対局場に選ばれたこともある。館内の撮影は他の宿泊客や展示美術品との兼ね合いがあるため、可否はフロントで確認してほしい。
アクセスはJR小樽築港駅からタクシーで5分ほど。予約客には送迎がある。徒歩でも行けるが、最後は岬への急な上りになる。小樽駅までさらに10分ほどなので、運河や倉庫群を歩く一日と組み合わせやすい位置にある。
Q&A
- 銀鱗荘旧本館は見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 拝観券の販売はありません。銀鱗荘旧本館は現役の料亭湯宿の一部であり、内部を見るには宿泊、食事の予約、または日帰り入浴プランの利用が必要です。いずれも事前予約制です。
- 銀鱗荘旧本館はいつ文化財に登録されましたか。
- 令和5年(2023年)2月27日に国の登録有形文化財(建造物)となりました。登録番号は01-0163、第104回の登録です。隣接するグリル銀鱗荘も同日に登録されています。なお本建物は「旧猪俣邸」の名で小樽市指定歴史的建造物にもなっています。
- 銀鱗荘旧本館はなぜ余市から小樽へ移築されたのですか。
- 昭和13年(1938年)、実業家・野口喜一郎が進めた東小樽地区の近代的な宅地開発の一環です。その象徴として平磯岬に移され、翌年に旅館として開業しました。開道70年という節目にあたる時期でもありました。
- 銀鱗荘旧本館は一般的な鰊番屋とどう違うのですか。
- 通常の鰊番屋は親方と雇い漁夫が一棟に同居し、土間で生活空間を仕切る形式でした。小樽市の資料によれば猪俣家は両者の住居を完全に分離しており、旧本館は親方専用の母屋にあたります。この規模の親方専用住宅は道内に他例がありません。
- 銀鱗荘旧本館へは公共交通でどう行けばよいですか。
- 最寄りはJR函館本線の小樽築港駅で、タクシーで5分ほどです。予約客には送迎が用意されています。徒歩でも向かえますが、最後に岬への急坂を上ることになります。
基本データ
| 名称 | 銀鱗荘旧本館(旧猪俣家住宅) |
|---|---|
| 所在地 | 北海道小樽市桜一丁目1-2他 |
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物) 登録番号01-0163 |
| 指定年 | 令和5年(2023年)2月27日登録 第104回 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造3階建、瓦葺、建築面積420平方メートル |
| 所有者 | 株式会社ニトリ |
| 公開状況 | 料亭湯宿として営業中。一般公開はなく、宿泊・食事・日帰り入浴のいずれも予約制。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 銀鱗荘旧本館(旧猪俣家住宅)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014445
- 文化遺産オンライン 銀鱗荘旧本館(旧猪俣家住宅)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/602439
- 小樽市教育委員会 銀鱗荘(旧本館/グリル銀鱗荘)
- https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2023040300020/
- 料亭湯宿 銀鱗荘 有形文化財
- https://www.ginrinsou.com/concept/
最終更新日: 2026.08.27