高龍寺とはどんな寺か
高龍寺は、北海道函館市船見町にある曹洞宗の寺院で、寛永10年(1633年)に亀田村で開かれ、函館に現存する最古の寺とされる。正式には国華山高龍寺といい、本尊は釈迦如来。境内の本堂・山門及び袖塀・開山堂など建造物10件が、平成24年(2012年)2月23日にそろって国の登録有形文化財となった。
寺は函館山の北麓、元町から西へ続く寺町の一角を占める。函館湾を見下ろす坂の上に山門が北を向いて開き、その奥に本堂が控える。境内の建物は明治の後半から昭和初期にかけて順に建てられたもので、一つの寺の中に約35年分の普請が重なっている。
亀田村から船見町へ 高龍寺の移転と大火
寺の伝えによれば、松前の法源寺4世・盤室芳龍が亀田郡亀田村(現在の函館市亀田町付近)に堂を建てたのが高龍寺の始まりである。亀田川の氾濫などの災害が続いたため、寺は宝永3年(1706年)ごろに箱館の町へ移ったとされる。
箱館が開港すると、高龍寺はロシア領事一行の仮の宿所に充てられた。安政元年(1854年)に箱館を訪れたペリー提督も、柳とモミの木陰に包まれた寺として記録を残している。明治2年(1869年)の箱館戦争では箱館病院の分院として負傷兵を収容したが、5月11日に新政府軍の兵が押し入り、療養中の会津藩士らが殺害された。境内の傷心惨目碑は、この犠牲者を弔うために会津ゆかりの人々が建てたもので、毎年5月に碑前で供養が営まれている。
明治12年(1879年)、高龍寺は現在地の船見町へ移った。その後も火災に見舞われたが、19世住職の代に再興が進み、本堂は明治32年(1899年)から翌明治33年(1900年)にかけて完成した。明治34年(1901年)には永平寺64世の森田悟由を導師に落慶の法要が営まれ、このとき山号を国下山から国華山に改めている。明治40年(1907年)の大火でも本堂は焼け残った。
越後の工匠が築いた高龍寺の伽藍
高龍寺の現在の堂宇は、越後国柏崎(現在の新潟県柏崎市)の大工集団が手がけたものである。文化庁の解説によると、本堂の棟梁は篠田宗吉で、山門はその次代にあたる5代宗吉が棟梁を務めた。金毘羅堂は澤田吉平が棟梁で、水盤舎と鐘楼も同じ越後大工の普請と考えられている。函館市の観光案内では、山門の彫刻は越後で彫られ、帆船で運ばれたと紹介されている。
平成24年(2012年)に登録有形文化財となったのは次の10件である。
- 本堂(明治32年・1899年)と開山堂(明治30年ごろ・1897年ごろ)
- 山門及び袖塀(明治43年ごろ・1910年ごろ)と煉瓦の防火塀(明治43年・1910年)
- 宝蔵(大正5年・1916年)、金毘羅堂(大正6年・1917年)、水盤舎と土塀(いずれも大正6年ごろ)
- 鐘楼(大正11年・1922年)と位牌堂(昭和8年・1933年)
年代は文化庁データベースによる。寺や函館市の資料には1〜2年前後する年が記されている建物があり、その違いは各建物のページで触れている。函館市も高龍寺の9件を景観形成指定建築物等に指定しており、本堂を中心に諸堂がコの字形に並ぶ伽藍を、船見町の寺町を代表する景観として位置づけている。
高龍寺の境内を歩く順序
高龍寺の山門は寺町通りに面して北向きに建ち、門の左右に袖塀と土塀が延びる。外から門を眺めたあと、門をくぐると正面奥が本堂である。
左手(東側)には手前から金毘羅堂、その前に水盤舎、続いて位牌堂、開山堂が並び、渡り廊下で本堂までつながっている。右手(西側)には鐘楼と、その西隣に煉瓦の宝蔵が建つ。左手から本堂へ回り、右手の鐘楼と宝蔵を見て山門へ戻ると、10件をひととおり見られる。
煉瓦の防火塀は境内の東面と、北面の西寄りを囲む。東面の塀は坂の下手側で高さが約7メートルあり、境内の外の坂道から見上げるとその厚みがよく分かる。
高龍寺の拝観時間とアクセス
高龍寺の拝観は無料である。寺の案内では、参拝時間は午前9時から午後4時まで、境内には午前6時から午後9時まで入れる。法要や行事の都合で参拝できない日があり、時間外の拝観や団体での参拝、僧侶による案内を希望する場合は事前に寺へ連絡する。堂内の拝観を希望するときは、庫裏の受処に申し出る。
市電5系統の終点「函館どつく前」電停から魚見坂を上って徒歩約10分。坂の途中で振り返ると函館湾が見える。函館バス1系統なら「高龍寺前」停留所から徒歩1分ほどである。車は境内の駐車スペースに入れられる。
明治の建物のため段差が多いが、寺には車いすの用意があり、段差では僧侶が手を貸すという。御朱印は本堂に参拝したうえで授けられ、料金の代わりに募金箱への志納を求めている。
高龍寺の年中行事と寺宝の公開
高龍寺は、松前藩の家老で絵師でもあった蠣崎波響の「釈迦涅槃図」を所蔵する。文化8年(1811年)に11世住職の禅海のために描かれた双幅の大作で、昭和43年(1968年)に北海道の文化財となった。例年4月1日から15日までに限って一般に公開される。
10月には金毘羅尊天の例大祭が営まれ、住職の話によると同じ月に宝物展も開かれる。2月3日の節分会、元日の年頭祈祷のほか、本堂の一室「親禅の間」は誰でも座れる坐禅の場として開放されている。日程は年によって変わるため、訪問前に高龍寺の案内で確かめたい。
参考文献
- 国指定文化財等データベース「高龍寺本堂」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009101
- 国指定文化財等データベース「高龍寺山門及び袖塀」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009103
- 国指定文化財等データベース「高龍寺金毘羅堂」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009105
- 函館市の文化財一覧(函館市)
- https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2016072500056/
- 景観形成指定建築物等一覧(函館市)
- https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014021000244/
- 高龍寺の歴史(国華山 高龍寺 公式サイト)
- https://www.kokkasan.org/history
- 船見町 境内さんぽ(国華山 高龍寺 公式サイト)
- https://www.kokkasan.org/halls
- アクセス(国華山 高龍寺 公式サイト)
- https://www.kokkasan.org/access
- よくあるご質問(国華山 高龍寺 公式サイト)
- https://www.kokkasan.org/%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%94%E8%B3%AA%E5%95%8F
- 高龍寺の宝物(国華山 高龍寺 公式サイト)
- https://www.kokkasan.org/treasure
- 和の伝統建築の華、高龍寺のご案内(函館市公式観光情報 はこぶら)
- https://www.hakobura.jp/features/107
最終更新日: 2026.10.02
基本情報
| 名称 | 高龍寺 |
|---|---|
| 所在地 | 北海道函館市船見町21-11 |
| 所有者 | 宗教法人高龍寺 |
| 指定 | 登録有形文化財 10件 |
| 座標 | 41.76901, 140.69989 |