鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯 — 北海道の山稜に静かに息づく、五葉松の北限の森
北海道南西部、渡島半島の西岸に位置する檜山郡厚沢部町(あっさぶちょう)。その鶉川(うずらがわ)上流の険しい尾根上に、日本でも極めて貴重な森が静かに守られています。それが「鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯」です。1928年(昭和3年)、史跡名勝天然記念物保存法の制定からまだ間もない時期に、いち早く国の天然記念物に指定された、約362ヘクタールの自然林。日本海側における北海道本土最北のゴヨウマツ(キタゴヨウ)自生地として、植物地理学上きわめて重要な場所です。
ゴヨウマツとは — そして、なぜ「鶉川」なのか
ゴヨウマツ(五葉松、学名 Pinus parviflora)は、マツ科マツ属の常緑針葉樹で、葉が5本ずつ束になって生えることからその名がつきました。古来より日本庭園や水墨画、盆栽などで愛されてきた樹種ですが、本州中部以北から北海道にかけて分布するものは「キタゴヨウ(北五葉、P. parviflora var. pentaphylla)」という変種に分類されています。
本州の山地ではごく普通に見られるゴヨウマツも、北海道に渡るとその姿は途端に少なくなります。北海道のキタゴヨウ自生地は、日本海側では松前半島と奥尻島、太平洋側では日高山脈のアポイ岳山塊(幌満ゴヨウマツ自生地)と東大雪のニペソツ山系といった、ごく限られた場所にしか残っていません。その中でも鶉川上流部は、日本海側における北海道本土最北の自生地。文字通り、種の分布の「果て」に立つ森なのです。
天然記念物に指定された理由 — 一人の植物学者の調査から
この森が国の天然記念物となった背景には、北海道帝国大学の植物学者・舘脇操(たてわき みさお)博士による昭和初期の調査があります。1927年(昭和2年)、舘脇博士は札幌農林学会報に、鶉川と落部川流域のキタゴヨウ群落についての詳細な報告を発表しました。当時、自生地の標高は約600メートル、樹木個体は胸高直径10〜60センチメートル、樹高は10〜20メートルに達していたと記されています。
翌1928年(昭和3年)2月7日、内務省告示により「鶉川五葉松自生北限地帯」として、面積1,200ヘクタールが国の天然記念物に指定されました。指定の根拠は天然記念物指定基準の第10項「著しい植物分布の限界地」です。その後、1951年(昭和26年)にキタゴヨウの少ない区域が一部解除され、現在の指定面積は約361.6ヘクタールとなっています。
森の見どころ — 世界的にも珍しい針広混交林
鶉川の指定地は、整然とした人工林ではなく、針葉樹と広葉樹がせめぎ合う、生きた自然林です。
- 世界的にも珍しい針広混交林。キタゴヨウのほかにヒノキアスナロやエゾマツといった常緑針葉樹、そしてブナ・ミズナラ・シナノキ・ハリギリ・オヒョウなどの落葉広葉樹が安定して混生する針広混交林帯は、北東アジア特有のもので、世界的に見ても珍しい森林タイプといわれています。
- 尾根筋に点在するキタゴヨウ。キタゴヨウは森の主役というよりも、鶉川右岸の険しい尾根上や急斜面に散生し、小規模な団林(群生)を形成しています。林道から見上げると、尾根筋に針葉樹のシルエットが浮かび上がります。
- ブナを中心とした林床。指定地の優先樹種はブナで、林床にはチシマザサが密に茂ります。林内のギャップにはキタゴヨウの実生や稚樹も確認されており、世代交代がゆるやかに続いていることがうかがえます。
- 百年以上守られてきた水源林。この一帯は1908年(明治41年)以降、水源涵養や土砂流出防止のため伐採が禁じられてきました。良好な植生が今日まで残された大きな理由のひとつです。
訪れる際のご案内
あらかじめお伝えしておきたいのは、ここは整備された観光地ではないということです。指定地はキタゴヨウが点在する険しい尾根上に広がっており、登山道はなく、近くまで近づくことは容易ではありません。多くの来訪者は林道脇の解説板付近から、対岸の尾根上を遠望することで自生地の様子を体感します。
アクセスは、函館市または江差町から国道227号で中山峠(渡島中山峠)を越え、鶉川国有林へ続く林道に入って約3キロメートル。林道の一角に、天然記念物であることを示す表示と解説板が設置されており、ここから西側(右岸)の尾根上にキタゴヨウの姿を遠望することができます。公共交通機関はなく、自家用車またはレンタカーでの来訪が基本となります。雪の積もる冬季は林道が通行できないため、訪問は新緑から紅葉までの季節(おおむね5月〜10月)が適しています。
派手なビュースポットではありませんが、「種の分布の限界に立つ」という静かな知的体験は、自然や植物地理学に関心のある旅行者にとって、忘れがたい時間となるはずです。
周辺の見どころ — 厚沢部町を巡る
厚沢部町は、メークインなど良質な農産物の産地として知られる、檜山地方の小さな町です。鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯と組み合わせて巡ると、町の魅力を一日たっぷり味わうことができます。
- 松前氏城跡 館城跡(たてじょうあと)。1868年(明治元年)に松前藩が築いた城郭の跡。国指定史跡で、堀・土塁・井戸跡・礎石などが残されています。
- 土橋自然観察教育林(通称:レクの森)。2002年(平成14年)に「日本の遊歩100選」に選定された自然観察林。樹齢550年を超えるとされるヒノキアスナロの巨木が、森のシンボルとして親しまれています。
- 太鼓山展望台。山頂で飛び跳ねると太鼓のような音が鳴ると伝えられる、ユニークな展望スポット。
- 鶉ダムオートキャンプ場(ハチャムの森)。鶉ダム湖畔に広がる静かなキャンプ場で、宿泊地として便利です。
- 道の駅あっさぶ/うずら温泉。地元の農産物が並ぶ道の駅と、田園のなかにあるこぢんまりとした温泉施設。旅の締めくくりにおすすめです。
Q&A
- 指定地の中に入って、ゴヨウマツの木のそばまで行くことはできますか?
- 基本的にはおすすめできません。指定地は険しい尾根上に広がり、整備された遊歩道はなく、国の天然記念物として保護されています。多くの来訪者は林道脇の解説板付近から、対岸の尾根上を遠望して観察しています。
- 訪問におすすめの季節はいつですか?
- 新緑から紅葉までの5月〜10月頃が一般的です。冬季は積雪のため林道の通行ができず、雪解け直後の早春も路面状態が不安定なため、訪問は避けたほうが安全です。
- ゴヨウマツとクロマツやアカマツは何が違うのですか?
- ゴヨウマツは葉が5本ずつ束になって生えるのが特徴で、これが名前の由来です。クロマツ(黒松)やアカマツ(赤松)は葉が2本束で、葉も比較的固く長いのに対し、ゴヨウマツは葉が短く柔らかく、優美な印象を与えます。庭園木や盆栽として古来より重んじられてきた樹種です。
- なぜこの場所が学術的に重要なのですか?
- 日本海側における北海道本土最北のゴヨウマツ(キタゴヨウ)の自生地であるためです。本州では普通に見られる種でも、北海道では極めて限られた場所にしか分布せず、各自生地は植物地理や遺伝的多様性、気候適応の研究において貴重なフィールドとなっています。
- 車がない場合、どのように行けばよいですか?
- 公共交通機関はありません。函館市から車で約1時間、江差町から約45分が目安です。函館でレンタカーを借りて訪れる方法が現実的です。
基本情報
| 名称 | 鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯(うずらがわゴヨウマツじせいほくげんちたい) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定天然記念物 |
| 指定年月日 | 1928年(昭和3年)2月7日 |
| 指定基準 | 天然記念物指定基準10「著しい植物分布の限界地」 |
| 指定面積 | 約361.6ヘクタール(指定当初は1,200ha、1951年に一部解除) |
| 所在地 | 北海道檜山郡厚沢部町峠下 |
| 座標 | 北緯41度59分43秒・東経140度25分18秒 付近 |
| 標高 | 約600メートル |
| 主な樹種 | キタゴヨウ(Pinus parviflora var. pentaphylla)、ブナ、ヒノキアスナロ、エゾマツ、ミズナラ ほか |
| 管理 | 北海道(昭和4年3月6日指定)/檜山森林管理署 |
| アクセス | 函館市から国道5号・国道227号(中山峠経由)で約1時間。江差町から国道227号で約45分。公共交通機関なし。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/11
- 文化遺産オンライン — 鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/269182
- Wikipedia(日本語)— 鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
- https://ja.wikipedia.org/wiki/鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯
- 北海道森林管理局 — 鶉川生物群集保護林
- https://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/hokkaido/policy/conservation/hogorin/syokubutugunraku_196.html
- あっさぶの文化財 — 厚沢部町公式ホームページ
- https://www.town.assabu.lg.jp/page/1361.html
- 南北海道の文化財 — 道南ブロック博物館施設等連絡協議会
- http://donan-museums.jp/archives/3305
最終更新日: 2026.05.10