医家の暮らしを支えた水まわり

鷹津家住宅の敷地北西隅、道路にじかに接して、家の日々の仕事を担った一画が建つ。厨と井戸場を一体とした付属屋である。主屋が世間に格式の顔を見せるのに対し、ここは水を汲み、食事を調えた場であった。江戸後期から地域の医師を務めた一家の台所である。建物は姫路市御国野町深志野の農村集落の、敷地の外郭に位置する。

付属屋は平屋建で、L字形の平面を切妻造桟瓦葺の屋根で覆う。東西に延びる棟が厨、南北に延びる棟が井戸場にあたる。明治中期、およそ1883年から1897年の建築で、住宅を構成する登録有形文化財五棟の一つとして令和3年(2021年)に登録された。

登録された理由

厨及び井戸場は令和3年10月14日、登録番号28-0773で登録された。基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。この種の付属屋は、台所の近代化に伴って真っ先に失われがちであり、主屋や他の棟とともに残ったことが、敷地全体の価値の一部をなす。見せるための座敷だけでなく、在村の旧家の働く姿までを一そろいで保っているのである。

道路に面して建つため、この建物は集落の街路景観の形成にも加わる。道路側の外壁は漆喰塗、腰を竪板張とし、厨の東半に通用口を開く。敷地側に回ると扱いはゆるみ、厨の西半は同じく漆喰塗で腰を竪板張とし、他は開放とする。整えた表の顔と、開いた働きの内側という対比こそ、この建物の役目そのものである。

見どころ

L字をたどってほしい。二つの棟は敷地の隅で出会い、厨がどこで終わり井戸場がどこから始まるかを読むと、一家が炊事と水の日課をどう組み立てたかがわかる。道路側では漆喰の壁と腰の竪板を見て、東半に設けた通用口を探したい。これが働くための戸口であり、境に沿ってさらに先にある格式の表門とは役割を異にする。

五棟のうち最も飾り気のない建物だが、そこに意味がある。医師の立派な玄関で記憶される屋敷も、水を汲み煮炊きをする場を必要とし、それがここに完全な姿で残る。住宅は個人のものと見られ一般公開はされていないため、付属屋は集落の道から眺めるのがよい。漆喰の壁が、村の道の連なる家並みのなかに自らの位置を占めている。

Q&A

Q厨とは何ですか。
A台所のことです。ここではL字形の付属屋の一翼をなし、家に水を供給した井戸場とつながっています。
QなぜL字形の平面なのですか。
A東西棟が厨、南北棟が井戸場です。敷地の隅で両者を接続し、炊事と水の機能をまとめています。
Qなぜ一部だけ漆喰塗なのですか。
A道路に面する壁は街路から見えるため漆喰塗と竪板張とし、敷地側の一部は日々の作業のため開放としています。
Q敷地の他の建物とどう関わりますか。
A北西隅に建ち、隣接する道具蔵とともに、村の街路景観を形づくる家並みの一部をなしています。
Q見学はできますか。
A住宅は個人のものと見られ一般公開はされていません。道路側は集落の道から眺めることができます。

基本情報

名称鷹津家住宅厨及び井戸場(たかつけじゅうたくくりやおよびいどば)
所在地兵庫県姫路市御国野町深志野字北宅地586
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日令和3年(2021年)10月14日/登録番号28-0773
員数1棟
年代明治中期(1883〜1897年頃)
構造木造平屋建、瓦葺、建築面積約43平方メートル
公開状況個人住宅につき一般公開なし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 鷹津家住宅厨及び井戸場
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014068
文化遺産オンライン — 鷹津家住宅主屋(住宅主屋の記録)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/520417
神戸新聞 — 鷹津家住宅ほかの国文化財登録に関する報道
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202107/0014508963.shtml

最終更新日: 2026.07.04