四棟でひとつの社殿

鹿島神宮の社殿は、茨城県鹿嶋市大字宮中にある元和4年から5年(1618年から1619年)造営の建造物群で、本殿・石の間・幣殿・拝殿の四棟からなる。本殿は明治34年(1901年)3月27日、石の間・幣殿・拝殿は明治44年(1911年)4月17日に重要文化財に指定された。指定番号は01325である。

鹿島神宮は常陸国一宮で、祭神は武の神である武甕槌大神。利根川を挟んだ千葉県の香取神宮、南の息栖神社とあわせて東国三社と呼ばれ、古くから三社を巡る参詣の道が結ばれてきた。

四棟は独立して並ぶのではなく、前後に接続している。しかも参拝者から見た順序は、格の順序とは逆になる。手前に立つのが拝殿。その背後、凸字形の平面で拝殿に続くのが幣殿。さらに奥に石を敷いた短い渡り廊があり、これが名の由来となる石の間である。祭神を奉安する本殿はその先、いちばん奥に建つ。全体で一棟の複合社殿を構成しており、茨城県教育委員会はこれを江戸時代初期の複合社殿の代表例と評価している。

秀忠の寄進と、鈴木長次の仕事

この地の徳川家による造営は段階を追っており、その経緯を押さえると、境内の別の場所に古い社殿が残っている理由も見えてくる。慶長10年(1605年)、家康が関ヶ原の戦勝を謝して本殿を造営した。その十四年後、子の秀忠が社殿一式を新造するにあたり、家康の本殿は解体されず境内の奥へ遷され、現在は奥宮として建っている。寛永11年(1634年)には水戸の徳川頼房が楼門を寄進した。大工は坂上吉正で、この楼門は日本三大楼門のひとつに数えられる。

秀忠の社殿を手がけたのは、幕府作事方の大棟梁であった鈴木長次である。文化庁の指定データは造営年代を元和4年から5年とし、神社側は元和5年の寄進として説明している。附として棟札2枚が指定されている。

四棟の形式は明確に書き分けられている。本殿は三間社流造、向拝一間、檜皮葺で、北面する。母屋の前方一間に建具を入れて室内に取り込んだ前室付きの形式をとり、これは滋賀県をはじめ関西に多く、関東ではあまり見ない造りである。石の間は桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺。幣殿も同じ規模と屋根形式をとる。拝殿は四棟中最も大きく、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。

仕上げは四棟を二つに分ける。本殿と石の間は漆塗で、柱頭や組物に華麗な極彩色が施されている。幣殿と拝殿は白木のままで、現在もその状態にある。細部も同じ線で分かれる。本殿は組物を出組とし、中備に蟇股を置いて軒は二軒。石の間は出三斗で一軒。幣殿と拝殿は柱を角柱とし、組物は出組、軒は二軒である。

現地でもうひとつ気づいてほしいことがある。参道は楼門から東へまっすぐ延びるが、社殿はその途中で南側から接続しており、建物は参道に沿わず北を向いている。理由としては、鹿島の神が守るとされた北方への意識、あるいは北極星の方位などが語られる。いずれも定説には至っておらず、神社側もどれかを主張してはいない。

修理を終えた社殿と、十二年に一度の大祭

いま訪ねる人は、社殿を近年でも良好な状態で見ることになる。令和2年(2020年)に着手された「令和の大改修」が、幣殿・拝殿・奥宮・楼門を対象に進められてきたためだ。檜皮屋根の葺き替えと漆塗の塗り直しが行われ、最後に残った楼門は屋根を銅板で葺き替え、社寺建築に古くから用いられる丹塗りの技法で塗装された。令和8年(2026年)6月7日に竣工祭とくぐり初めが行われ、五年七か月におよぶ事業が完了している。

この改修は、十二年に一度、午年に斎行される式年大祭「御船祭」に合わせて計画されたものだった。令和8年の大祭は8月31日から9月3日にかけて行われ、9月2日には約二千名の陸上大行列と、御神輿を奉載した竜頭の御座船が鰐川から浪逆浦を経て香取へ向かう水上渡御が営まれた。次の斎行は2038年になる。

境内は約70ヘクタール、うち約40ヘクタールが樹叢で、約八百種の植物を擁するこの森は茨城県指定天然記念物である。社殿の背後の杉は根回り約12メートル、樹齢千二百年と推定される御神木。奥参道沿いには鹿園があり、奈良の春日大社の鹿は鹿島から送られた鹿の系譜を引くと伝えられる。Jリーグの鹿島アントラーズの名も、この鹿に由来する。さらに進むと、地震を起こす鯰を押さえるという要石、湧水をたたえた御手洗池がある。

社殿への参拝は時刻を問わず可能で、料金はかからない。授与所と御祈祷の受付はおおむね8時30分から16時30分まで。平安時代前期の直刀(国宝)を収蔵する宝物館は近年休館していた時期があるため、見学を予定する場合は事前に確認したい。境内での撮影に制限はないが、三脚やドローンは別で、社務所に確認するのが望ましい。JR鹿島線の鹿島神宮駅から徒歩数分、東京駅からは高速バスも通じている。社殿と奥参道で二時間、宝物館や湖上の一之鳥居まで含めるなら半日を見ておきたい。

Q&A

Q鹿島神宮のどの建物が重要文化財ですか。
A元和4年から5年(1618年から1619年)に造営された社殿四棟、すなわち本殿・石の間・幣殿・拝殿です。本殿は明治34年(1901年)3月27日、残る三棟は明治44年(1911年)4月17日の指定です。寛永11年(1634年)の楼門は別に指定されています。
Q鹿島神宮の本殿は見ることができますか。
A通常の参拝は手前の拝殿で行います。奥の本殿は瑞垣の側面から上部を望むことができ、漆塗と極彩色の組物を確認できます。内部は一般には公開されていません。
Q鹿島神宮の社殿はなぜ北を向いているのですか。
A定説はありません。参道は楼門から東へ延び、社殿はその南側から接続するため、建物は参道に沿わない向きになります。祭神が守るとされた北方への意識、北極星の方位などが説として語られますが、いずれも確定していません。
Q鹿島神宮は現在も改修工事中ですか。
A工事は終了しています。令和2年(2020年)に始まり幣殿・拝殿・奥宮・楼門を対象とした「令和の大改修」は、令和8年(2026年)6月7日の竣工祭をもって、五年七か月の工期を終えました。現在は屋根と塗装を新たにした状態で拝観できます。
Q鹿島神宮の参拝時間と拝観料を教えてください。
A境内への参拝は時刻を問わず可能で、拝観料はかかりません。授与所と御祈祷受付はおおむね8時30分から16時30分までです。宝物館は別料金で、休館していた時期があるため事前確認をおすすめします。JR鹿島線の鹿島神宮駅から徒歩数分です。

基本情報

名称鹿島神宮 本殿・石の間・幣殿・拝殿(かしまじんぐう)
所在地茨城県鹿嶋市大字宮中
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号01325 附 棟札2枚
指定年本殿 明治34年(1901年)3月27日/石の間・幣殿・拝殿 明治44年(1911年)4月17日
員数4棟(各1棟)
寸法本殿:三間社流造、向拝一間、檜皮葺/石の間・幣殿:桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺/拝殿:桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
所有者鹿島神宮
公開状況境内は時刻を問わず参拝可、拝観料なし。社殿内部は一般非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 鹿島神宮 本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/249
茨城県教育委員会 鹿島神宮本殿・拝殿・幣殿・石の間(附 棟札2枚)
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-1/
鹿嶋デジタル博物館 鹿島神宮本殿・石の間・幣殿・拝殿(附棟札2枚)
https://www.city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50116.html
鹿島神宮 公式サイト
https://kashimajingu.jp/
鹿嶋市 鹿島神宮「令和の大改修」竣工祭 楼門くぐり初め
https://www.city.kashima.ibaraki.jp/site/kashimaphoto/92403.html

最終更新日: 2026.08.06

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