鹿島神宮境内 附 郡家跡とは
鹿島神宮境内 附 郡家跡は、茨城県鹿嶋市大字宮中を中心に広がる古代の遺跡群で、昭和61年(1986年)8月4日に史跡に指定された。文化庁の国指定文化財等データベースによれば、これは鹿島神宮境内、坂戸神社境内、沼尾神社境内、そして鹿島郡家跡という4つの区域の総称であり、指定面積は620546.46平方メートルに及ぶ。
建造物の指定とは性格が違う。ここで守られているのは建物ではなく、土地そのものである。古代の人々が神を祀った場所と、税を集めて地方を運営した場所が、1つの指定のなかに並んで入っている。
『常陸国風土記』に見える「香島天之大神」は、鹿島神宮、坂戸神社、沼尾神社の3社をあわせた呼び名だった。指定がこの3つの境内を1つにまとめているのは、8世紀の文献が語る神のかたちに従っているからである。
「其の社の南」を掘り当てる
『常陸国風土記』には、その社の南に郡家があると書かれている。鹿嶋市の記録によれば、昭和54年(1979年)に始まった発掘調査は、鹿島神宮の南に位置する宮中の神野向地区でこの記述を裏づけた。税を納めた倉庫群を囲む大きな溝が現れ、溝のなかからは黒く焼けた米が出た。倉が火災に遭ったことを示している。
布目瓦や銅製の帯金具も出土した。帯金具は役人が身につけたもので、ここが単なる集落ではなく役所であったことを裏づける手がかりになる。茨城県教育委員会は、昭和54年度から63年度、西暦では1979年から1988年にかけての調査で郡庁と正倉院が検出され、鹿島郡家跡と断定されたと記録している。
文献に書かれた1行が、1200年後の発掘で地面から確認される。鹿島神宮境内 附 郡家跡の面白さは、この照合が実際に成立した点にある。
史跡としての指定と、その後の広がり
鹿島神宮境内 附 郡家跡に適用された指定基準は2つある。「都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡」と、「社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡」である。政治の遺跡と信仰の遺跡、通常なら別々に扱われる2つの基準が1件に重なっている。
昭和61年(1986年)8月4日の指定後も、範囲は広がり続けている。国指定文化財等データベースは1989年、1999年、2001年、2005年、2008年に措置が行われたことを記録し、直近では2025年3月10日に追加指定が行われた。追加の中心となったのは厨家に相当する施設の一帯で、掘立柱建物跡や掘立柱塀、竪穴状の遺構が検出され、「鹿厨」などと墨書された土器が大量に出土した区域である。
郡家跡の遺構は8世紀前半から10世紀初めころまでの3時期に分かれる。役所が建て替えられ、配置が変わっていった経過が、柱穴の重なりとして地面に残っている。
鹿島神宮境内 附 郡家跡の見どころ
指定地は4か所に分かれており、それぞれ見え方が違う。
鹿島神宮の境内は、樹叢に覆われた台地の上にある。参道を歩くと、社殿の並びよりも、まず木立の深さが目に入る。ここが古代から社地として区切られてきた土地であることは、周囲の市街地との植生の落差でわかる。
坂戸神社と沼尾神社の境内は、鹿島神宮から離れた場所にある。どちらも小さく、参拝者もまばらである。しかし『常陸国風土記』の枠組みではこの3社で1つの神であり、指定もその考え方を踏襲している。3か所を回って初めて、鹿島神宮境内 附 郡家跡という名称が指しているものの輪郭がつかめる。
郡家跡は神宮の南およそ1.5キロメートル、神野向の台地上にある。地表に建物は立っていない。遺構は地下に保存されており、見えるのは説明板と、区画の形をとどめた平坦な土地だけである。物足りなく感じるかもしれないが、正倉院を「ロ」の字に囲んだ大溝の輪郭を頭に置いて歩くと、台地の縁の使い方が読めてくる。
鹿島神宮境内 附 郡家跡の見学方法とアクセス
鹿島神宮境内 附 郡家跡の指定地は、いずれも屋外の史跡である。鹿島神宮の境内は参拝時間中は自由に入ることができ、境内を歩くだけなら料金はかからない。坂戸神社と沼尾神社の境内、郡家跡も同様に、屋外を歩いて見る分には制限がない。ただし発掘調査が続いている区域があり、囲いや表示が出ている場所には立ち入らないこと。
撮影は屋外であれば差し支えない。社殿の内部や祈祷が行われている場面については、鹿島神宮の案内に従ってほしい。
アクセスの起点はJR鹿島線の鹿島神宮駅で、鹿島神宮の境内までは徒歩でおよそ10分である。郡家跡のある神野向地区は駅の南側にあたり、徒歩でも歩けるが、坂戸神社と沼尾神社まで含めて回るなら車のほうが現実的である。発掘調査の成果や出土品については、鹿嶋市教育委員会の文化財担当が窓口になっている。
Q&A
- 鹿島神宮境内 附 郡家跡はどこを指しているのですか。
- 鹿島神宮境内、坂戸神社境内、沼尾神社境内、鹿島郡家跡の4つの区域の総称です。『常陸国風土記』の「香島天之大神」を構成する鹿島三社の境内と、その南にあった郡の役所跡をあわせて1件の史跡としています。指定面積は620546.46平方メートルです。
- 鹿島神宮境内 附 郡家跡は見学できますか。料金はかかりますか。
- いずれも屋外の史跡で、歩いて見る分には料金はかかりません。鹿島神宮の境内は参拝時間中は自由に入れます。ただし発掘調査中の区域は立入が制限されるため、囲いや表示に従ってください。
- 郡家跡には何が残っていますか。建物は見られますか。
- 地上に建物はありません。遺構は地下に保存されており、見えるのは説明板と平坦な台地です。発掘では郡庁の内郭、厨家に相当する施設、正倉院などが確認され、8世紀前半から10世紀初めころまでの3時期に分かれることがわかっています。
- 鹿島神宮境内 附 郡家跡はいつ史跡に指定されましたか。
- 昭和61年(1986年)8月4日です。その後も範囲が広げられており、1989年、1999年、2001年、2005年、2008年に措置が行われ、2025年3月10日にも追加指定がありました。
- 鹿島神宮境内 附 郡家跡へはどう行けばよいですか。
- JR鹿島線の鹿島神宮駅が起点です。鹿島神宮の境内までは徒歩でおよそ10分、郡家跡は駅の南、神宮からは南へおよそ1.5キロメートルの神野向地区にあります。坂戸神社と沼尾神社まで回るなら車が便利です。
基本データ
| 名称 | 鹿島神宮境内 附 郡家跡 |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県鹿嶋市大字宮中ほか |
| 指定区分 | 史跡 |
| 指定年 | 昭和61年(1986年)8月4日指定、2025年3月10日追加指定 |
| 員数 | 1件(鹿島神宮境内、坂戸神社境内、沼尾神社境内、鹿島郡家跡の4区域) |
| 寸法 | 指定面積620546.46平方メートル |
| 所有者 | 不明(国指定文化財等データベースに記載なし) |
| 公開状況 | 屋外の史跡として見学可。発掘調査中の区域は立入制限あり |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 鹿島神宮境内 附 郡家跡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/449
- 文化遺産オンライン 鹿島神宮境内 附 郡家跡
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171575
- 茨城県教育委員会 いばらきの文化財 鹿島神宮境内附郡家跡
- https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-107/
- 鹿嶋市 古代の郡役所跡 鹿島郡家
- https://www.city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50033.html
- 鹿嶋市 鹿島神宮境内附郡家跡
- https://www.city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50132.html
最終更新日: 2026.09.06