古市家住宅 ― 種子島に残る最古の住まい

平成13年から始まった解体修理のとき、職人たちが手を入れていたのは、建てられた年がはっきり分かっている家だった。屋内に残っていた棟札に、弘化3年(1846年)の造営と記されていたからである。この一枚の板が、古市家住宅を種子島で現存最古の住宅たらしめている。鹿児島本土の南、宇宙センターで知られるこの島に、江戸末期の暮らしの場がそのまま残った。

家が建つのは、島の中ほどに位置する中種子町の南部、坂井の本村集落である。国道58号からやや奥まった田畑と木立のなかに、瓦葺き平屋の低い木造家屋が腰を据えている。周囲の環境も、この家が郷士の屋敷として機能していた頃の風致をよくとどめている。

建てた一族

古市家のもとをたどると、河内国古市、いまの大阪府羽曳野市古市に行き着く。やがて一族は種子島へ移り住み、島を治めた種子島氏に仕えるようになった。以来、代々にわたって庄屋を務めている。年貢の取りまとめや村方の記録、領主に代わっての地域の差配を担う役職である。

この家を建てた古市源助は郷士であった。城下に住まず在郷にあって田畑を持つ武士である。源助は坂井村の庄屋を務めるかたわら、横目という監察の役にも就いていた。家のつくりには、その二重の立場がにじむ。種別としては民家に分類されるが、ただの農家ではない、村の上に立つ家のもつ落ち着いた格式が感じられる。

仕事と接客が同居する間取り

住宅の平面はL字型をしている。前面に長い建物が走り、その北側から一棟が突き出す。屋根の下に二つの役割が同居しているわけだ。一方は座敷部、畳を敷いた接客と居住の空間で、客を迎え、庄屋としての用を足す場であった。もう一方は土間部、煮炊きや日々の労働をこなす土の床の空間である。

屋根には目をとめたい。主屋の正面は入母屋造で、四方に軒が広がりながら上部に三角形の妻を見せる格のある形をとる。ところが背面に回ると同じ主屋が切妻造に切り替わり、端をすとんと落とした簡素な姿になる。北面の突出部はふたたび入母屋造である。前は装い、後ろは質素というこの非対称は、見られる側に手をかけた当時の普請の考え方をうかがわせる。屋根はいま桟瓦で葺かれている。

寸法でいえば、主屋は桁行およそ6.7メートル、梁間およそ11.1メートル。北の突出部がおよそ7.9メートル四方に6.0メートルを加える。郷士の屋敷としては大きくない。簡素によくまとまった中規模の住宅、という公式の評がよく当てはまる。

なぜ重要文化財に指定されたか

種子島には古い住宅がほとんど残っていない。南から毎年やってくる台風の通り道にあたり、木造家屋が百数十年の潮風と暴風に耐えるのは難しい。20世紀の後半に調査が進んだとき、古市家住宅は島でもっとも早い時期の住まいとして際立っていた。しかも棟札によって建立年が動かしようなく定まっている。

平成6年(1994年)7月12日、国はこの住宅を重要文化財に指定した。1846年の年代を記す棟札は、建物そのものを支える根拠であるため、附(つけたり)として別に指定されている。近年まで住居として使われ、老朽も進んでいたことから、平成13年・14年に解体修理が行われ、創建当時の姿に復元された。

いま訪ねると

古市家住宅は公開されており、中種子町が管理している。地元の人が当番で詰めて室内を案内してくれることが多く、記帳もでき、フリーWi-Fiも使える。座敷に上がれば、源助の頃からほとんど変わらない部屋に立つことになる。とりわけ座敷は1846年の状態に近い形で残っている。

町はこの家を季節の催しにも使っている。冬の終わりには雛人形が部屋を埋め、春には五月人形を並べる人形展も開かれる。固定された博物館ではなく、生きた史跡として使われているため、開館時間や室内の公開は季節で変わることがある。遠方から向かうなら、中種子町に問い合わせてから出かけたい。

家のまわり

かつて景観を脅かしかけた国道改良は、結果として周辺の整備につながった。住宅の周りは「歴史の里坂井公園」として整えられ、家とほかの見どころを結ぶ短い散策路ができている。歩いて数分の豊受神社の境内には、日本一とされる大ソテツが立つ。推定樹齢600年を超す雌株で、多くの枝の重みで折れないように鉄の柱が添えられている。入口近くの大きなアコウの木を見ながら、木の階段を少し登った先にある。

種子島へは、鹿児島から高速船で渡るか、空港まで短い飛行機で入る。空港から坂井までは国道58号を南へ車でおよそ20分。砂浜、島南端のロケット発射場、サーフィンや釣りといった種子島ならではの楽しみと合わせて訪ねる人が多い。

Q&A

Q家の中に入れますか。
A入れます。中種子町が管理する公開施設で、当番の地元ガイドが室内を案内してくれます。開館時間や室内の公開は季節で変わるため、町の社会教育課に確認してから訪ねると確実です。
Qいつ建てられた家ですか。なぜ年代が分かるのですか。
A弘化3年(1846年)の建立です。屋内に残っていた棟札にその年が記されており、棟札も建物とともに附として指定されています。
Q本当に種子島で最も古い建物ですか。
A建立年がはっきりした住宅としては島で最古です。種子島は毎年台風に襲われるため古い木造家屋がほとんど残っておらず、1846年の年代が確かな家はそれだけ貴重です。
Q室内で何を見ればよいですか。
A座敷は1846年の状態に近い形で残っています。接客の座敷部と土間部に分かれるL字型の間取り、そして正面が入母屋造で背面が切妻造に切り替わる屋根のつくりにも注目してください。
Q近くに見どころはありますか。
A住宅は「歴史の里坂井公園」の中心で、短い散策路があります。すぐ近くの豊受神社には、日本一とされる樹齢600年超の大ソテツが立っています。

基本情報

名称古市家住宅(ふるいちけじゅうたく)
所在地鹿児島県熊毛郡中種子町坂井字門ノ原3182番地(種子島)
指定区分重要文化財(建造物) 平成6年(1994年)7月12日指定
員数1棟、附:棟札1枚
建立弘化3年(1846年)、江戸末期
構造主屋:桁行約6.7m、梁間約11.1m、正面入母屋造・背面切妻造。北面突出部:約7.9m×6.0m、入母屋造。桟瓦葺、平屋建
建築者古市源助(坂井村の庄屋・横目を務めた郷士)
管理中種子町(所有は古市家)
アクセス種子島空港から国道58号を南へ車で約20分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3639
中種子町 町内の国・県指定文化財
https://town.nakatane.kagoshima.jp/korina/kyoiku-bunka/bunka/bunkazai/kuni-kenshite.html
かごしま文化財事典 古市家住宅
https://k-bunkazai-school.com/cultural/a-h-10008/
中種子町 大ソテツ
https://town.nakatane.kagoshima.jp/tiiki/shisetsu/kanko/007.html

最終更新日: 2026.06.03