立切遺跡・横峯遺跡 — 種子島に眠る3万5千年前の国内最古の落とし穴

九州の南方、ロケット打ち上げの島として知られる種子島には、日本の旧石器時代観を塗り替えた驚くべき遺跡が眠っています。中種子町の立切遺跡(たちきりいせき)と南種子町の横峯遺跡(よこみねいせき)です。両遺跡からは、約3万5千年前の「種Ⅳ(たねよん)火山灰層」の下から、後期旧石器時代前半期の落とし穴遺構や礫群(れきぐん)、植物加工用の石器などが発見されました。これらは2022年(令和4年)11月10日、「立切遺跡・横峯遺跡」として国の史跡に一括指定されています。

狩猟だけでなく植物食を営み、海を渡って島にたどり着いた、想像をはるかに超える旧石器人の暮らし。日本最南端の歴史の入り口を、ぜひ訪ねてみてください。

歴史的背景

種子島は九州本土の南方に浮かぶ南北約57キロメートルの細長い島です。後期旧石器時代の人類(ホモ・サピエンス)が東アジア各地に広がっていったこの時期、種子島はすでに今と同じく九州や周辺の島々と海によって隔てられていたと考えられています。それにもかかわらず、ここに人々が到達して暮らしていたことは、それ自体が驚くべき発見でした。

1992年に発見された横峯遺跡

南種子町の横峯遺跡は、種子島で初めて見つかった旧石器時代の遺跡です。1992年(平成4年)の発掘調査では、旧石器時代の文化層が3層確認され、特に約3万年前の種Ⅳ火山灰の下層から、9基の礫群が発見されました。これらは熱せられた石を用いた調理場の跡と考えられ、国内最古級の調理施設として大きな注目を集めました。敲石(たたきいし)、台石、磨石(すりいし)、礫器なども出土しています。横峯遺跡は2003年(平成15年)4月28日に鹿児島県の史跡に指定されました。

1995年に発見された立切遺跡

その3年後の1995年(平成7年)、中種子町坂井で立切遺跡が発見されます。1997年(平成9年)に中種子町教育委員会が本格的な発掘調査を実施し、考古学界に衝撃を与えました。種Ⅳ火山灰の下層から、土坑(どこう)2基、焼土跡14か所、調理跡とみられる礫群、そして磨石、叩石、台石、砥石、礫器、打製石斧、局部磨製石斧など多彩な石器群が出土したのです。当時、日本最古級の生活跡として大きな話題となりました。

さらに国道58号線の改築工事に伴って2006年度から2007年度(平成18・19年度)にかけて行われた大津保畑(おおつほばた)地区の発掘では、ラッパ状に開く形をした旧石器時代の落とし穴とみられる遺構が12基も発見されます。2008年(平成20年)以降も中種子町教育委員会による継続的な調査が行われ、累計で24基もの落とし穴遺構が確認されました。立切遺跡は2015年(平成27年)に鹿児島県の史跡に指定されています。

2022年の国史跡一括指定

両遺跡は時代も火山灰層位も文化的特徴も共通することから、文化審議会は2022年に「立切遺跡・横峯遺跡」として一体での国史跡指定を答申しました。同年11月10日、正式に国の史跡として告示され、日本史にとって重要な遺跡として位置づけられることとなりました。

国指定史跡となった理由 — その歴史的価値

立切遺跡・横峯遺跡が国の史跡に指定された背景には、後期旧石器時代前半期の生活像を一変させる、いくつもの画期的な発見があります。

国内最古の落とし穴遺構

立切遺跡で発見された24基の落とし穴遺構は、日本国内で見つかっている狩猟用の落とし穴としては最古級とされます。静岡県などで知られる同時代の落とし穴と比べると深さが浅く、上部がラッパ状に開く特徴がありますが、当時の浅い谷状地形に沿って構築されており、獣道(けものみち)に仕掛けられた狩猟施設と考えられています。慎重な検討が重ねられた結果、現在では落とし穴と評価することで研究者の見解がほぼ一致しています。

国内最古級の石蒸し調理跡

立切・横峯両遺跡で見つかった礫群(焼けた石が集まった遺構)は、熱した石を使って食材を蒸し焼きにする「石蒸し料理」の跡と考えられています。3万年以上前の時代に、すでに種子島の人々が高度な調理技術を持っていたことを示す、国内最古級の調理施設です。

「狩猟中心」の旧石器観を塗り替えた発見

かつての教科書では、日本の旧石器人は獲物を追って移動を繰り返す狩猟採集民として描かれていました。しかし立切・横峯遺跡からは、磨石・台石・礫器など植物を加工するための石器が大量に見つかっています。さらに伐採用の打製石斧や局部磨製石斧も出土し、定住的・半定住的に暮らしながら植物食を中心とした生業を営んでいた可能性が高まりました。花粉分析によって、当時の周辺は現在と同じような照葉樹林が広がっていたことも確認されています。温暖な森林環境に巧みに適応した生活文化が、ここに立ち上がってきたのです。

海を渡った旧石器人 — 日本列島最古級の航海の証拠

立切遺跡から出土した局部磨製石斧の中には、隣の屋久島で産出する石材を用いたものが含まれています。当時すでに種子島は九州本土や周辺の島々と海で隔てられていたと考えられているため、これらの石材は舟などを使って海を越えて運ばれてきた可能性が高いのです。日本列島における最古級の航海の証拠として、ホモ・サピエンスの南方拡散を考える上でも極めて重要な手がかりとなっています。

魅力・見どころ

両遺跡は遺構保存のため、現地は調査後に埋め戻されています。しかし、出土品の見学や周辺の景観散策を通じて、3万5千年前の人々の暮らしを存分に感じることができます。

世界最古級の落とし穴が眠る台地に立つ

立切遺跡は、中種子町坂井の標高約112メートルのサトウキビ畑が広がる台地上にあります。緑の畑の向こうに太平洋を望み、振り返れば照葉樹の生い茂る森が広がる、開放感あふれる景観です。地形のゆるやかな起伏を観察すると、当時の浅い谷地形に沿って落とし穴が並んでいたという遺跡の姿を想像することができます。

中種子町立歴史民俗資料館で出土品を見る

立切遺跡の出土品は、島の中央部・国道58号線沿いに位置する中種子町立歴史民俗資料館に保管・展示されています。2階の展示では旧石器時代の石器類を間近に観察でき、1階では大正から昭和にかけての種子島の民家を復元し、農具や民具、サトウキビの圧搾機、種子島最後の丸木舟などを展示しています。3万年以上前の生活と近現代の暮らしが同じ建物の中で見られる、種子島ならではの体験です。

横峯遺跡と南種子町の高台

横峯遺跡は南種子町の同じく標高約120メートルの台地上に位置します。出土品は南種子町が保管しています。種子島宇宙センターと西之表市街地を結ぶ道のりの途中にあり、旧石器人が水と豊かな森林に近い高台を選んで暮らしていたことを実感できる場所です。

照葉樹林の世界を歩く

種子島の内陸部には、現在も温暖湿潤な照葉樹林が広がっています。光沢のある常緑広葉樹の葉、豊かな下草、鳥のさえずり — 3万5千年前の人々が暮らした森とよく似た環境を、今も五感で味わえます。マンモスが闊歩する寒冷草原のイメージとはまったく異なる、温暖な森の旧石器世界をぜひ感じてみてください。

訪問のための実用情報

両遺跡は遺構保存のため埋め戻されており、現地に観光施設は整備されていません。見学する場合は、周辺の文化施設や種子島全体の魅力と組み合わせて旅程を組み立てると満足度が高まります。

最も充実した楽しみ方は、遺跡の所在地を訪れた後、中種子町立歴史民俗資料館で実物の出土品と解説資料を見学することです。九州本土の鹿児島県上野原縄文の森でも、種子島の旧石器時代に関する企画展示が開かれることがあります。

種子島へのアクセスは、鹿児島港から高速船トッピー・ロケットで約90分、フェリーで約3時間30分、または鹿児島空港から飛行機で種子島空港へ。島内の公共交通は限られているため、レンタカーの利用をお勧めします。両遺跡は西之表港から車で約80分の距離にあります。遺跡の現地は農地や住宅地内に位置するため、私有地への立ち入りや地域住民への配慮にご注意ください。

周辺情報

種子島は、旧石器時代の遺跡から近世の歴史、最先端の宇宙開発まで、幅広い体験を楽しめる島です。遺跡訪問とあわせて、ぜひ周辺のスポットも巡ってみてください。

種子島宇宙センター

南種子町の南東海岸に位置する世界有数の景観美を誇るロケット発射場です。無料で見学できる宇宙科学技術館では、ロケットや人工衛星に関する体験型展示が楽しめます。事前予約制で施設見学ツアーも実施されています。旧石器人が活動した同じ南端の地で、現代の宇宙開発の最前線を目にする体験は格別です。

広田遺跡(南種子町)

考古学に興味のある方には、広田遺跡もおすすめです。弥生時代後期から7世紀にかけての国指定史跡で、種子島独自の貝文化を代表する遺跡として知られます。出土品は国の重要文化財に指定されており、種子島の悠久の歴史をさらに深く理解できます。

種子島開発総合センター(鉄砲館)

西之表市にある資料館で、1543年に種子島で起こった鉄砲伝来の歴史を伝えています。約100丁の歴史的火縄銃の展示とともに、南方への玄関口としての種子島の役割を紹介する貴重な施設です。

種子島のマングローブ林

中種子町阿嶽川と西之表市国上湊川のマングローブ林は、国の天然記念物に指定されています。アジア地域における自然分布の北限地として極めて貴重な存在で、カヤックツアーで森の中を巡る体験は種子島ならではの魅力です。

白砂のビーチとサーフィン

東海岸は日本有数のサーフポイントとして知られ、西海岸の白砂のビーチは夏の海水浴や夕陽鑑賞に最適です。歴史散策の合間に、南国の海を満喫してみてはいかがでしょうか。

Q&A

Q立切遺跡や横峯遺跡で、実際に落とし穴や出土品を見ることはできますか?
A遺構の保存のため、現地は調査後に埋め戻されているため、落とし穴や礫群を直接目にすることはできません。立切遺跡の出土品は中種子町立歴史民俗資料館に展示されており、実物の石器をじっくり見学していただけます。
Qなぜこの遺跡はそれほど重要なのですか?
A国内最古の落とし穴遺構、国内最古級の石蒸し調理跡、植物食中心の生業を示す石器類など、後期旧石器時代の生活像を一変させる発見が数多く出土したためです。さらに屋久島産の石材が見つかったことから、3万5千年前にすでに海を渡る技術があったことを示し、ホモ・サピエンスの南方拡散を考える上でも極めて重要です。
Q国の史跡に指定されたのはいつですか?
A2022年(令和4年)11月10日に「立切遺跡・横峯遺跡」として一括して国の史跡に指定されました。横峯遺跡は2003年から、立切遺跡は2015年から鹿児島県の史跡に指定されており、両遺跡が一体で国指定となった形です。
Q本土から種子島へはどうやって行けますか?
A鹿児島港から高速船で約90分、フェリーで約3時間30分のアクセスです。また鹿児島空港から飛行機で種子島空港にも入れます。島内は公共交通が限られているため、到着後はレンタカーの利用がおすすめです。
Q旧石器時代の人々が船で海を渡ったという証拠はあるのですか?
Aはい。立切遺跡から出土した局部磨製石斧の一部には、隣の屋久島で産出する石材が使われています。当時すでに種子島は周囲の島々と海で隔てられていたため、舟を使って石材を運んだ可能性が高いとされ、日本列島における最古級の航海の証拠として注目されています。

基本情報

名称 立切遺跡・横峯遺跡(たちきりいせき・よこみねいせき)
所在地 鹿児島県熊毛郡中種子町・南種子町(種子島)
時代 後期旧石器時代前半期(約3万5千年前)
指定区分 国指定史跡(2022年11月10日指定)
遺跡分類 集落跡
主な遺構・遺物 落とし穴遺構24基(立切)、焼土跡14か所、礫群(立切5基・横峯9基)、磨石、敲石、台石、砥石、礫器、打製石斧、局部磨製石斧など
層位 約3万5千年前の種Ⅳ(たねよん)火山灰層の下位
立地 標高約112〜120メートルの台地上
調査の経緯 横峯遺跡は1992年(平成4年)発見、立切遺跡は1995年(平成7年)発見・1997年(平成9年)本格調査、2006〜2008年以降の継続調査
出土品の保管 立切遺跡:中種子町立歴史民俗資料館/横峯遺跡:南種子町
アクセス 西之表港から車で約80分。レンタカー利用推奨
現地状況 遺構保存のため両遺跡とも埋め戻されており、出土品の見学は中種子町立歴史民俗資料館で可能

参考文献

立切遺跡・横峯遺跡 - 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/594443
国指定文化財等データベース - 立切遺跡・横峯遺跡(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00004170
立切遺跡 - 鹿児島県
http://www.pref.kagoshima.jp/ba08/pr/gaiyou/rekishi/genshi/tatikiri.html
国内最古の落とし穴~立切遺跡(中種子町)~ - 鹿児島県上野原縄文の森
https://www.jomon-no-mori.jp/国内最古の落とし穴~立切遺跡(中種子町)~/
横峯遺跡 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/横峯遺跡
3万5000年前、国内最古の「落とし穴」 旧石器時代、種子島の立切遺跡が国史跡に - 南日本新聞
https://373news.com/_news/storyid/157897/
埋蔵文化財|鹿児島県中種子町
https://town.nakatane.kagoshima.jp/korina/kyoiku-bunka/bunka/bunkazai/maizo.html
立切遺跡・横峯遺跡 - かごしま文化財事典
https://k-bunkazai-school.com/cultural/d-m-40202/

最終更新日: 2026.04.30